Family complex



月面都市コペルニクス。直径93qの月面クレーターにあり、地球連合とプラントのどちらにも属さない自由中立都市。地球から近いこともあり、コロニーと地球とを結ぶ重要な役目をしているため産業も盛んである。都市の規模は地球やプラント、コロニーを入れても指折りであった。なおかつ中立を保ち続ける、オーブ連合首長国よりある意味では特殊な位置にある。

メサイア攻防戦の後、キラ・ヤマトは戦後処理のためプラント最高評議会に召喚されたラクスと共にザフトに籍を置くことを決めた。ラクス・クライン直属のイザーク・ジュール率いるジュール隊とキラ率いるヤマト隊が彼女を補佐し、プラント復興のために力を尽くした。そして三年後の春にその任を降りている。

そして彼と同じくメサイア攻防戦を戦ったアスランは、プラント出身でザフトに入隊、復隊もした身だが、戦友であるイザークによる再三の勧誘を断り、キラの姉であるカガリを支える者とし、地球側の戦後処理を行っていた。そしてキラと同じく三年後、准将という位をアスハ代表に返上した。

三年に及ぶ遠距離恋愛のすえ、キラとアスランはひとつの地に落ち着いた。それが幼少期を過ごした月面都市コペルニクス。アスランが過ごした家はもう他の人間が住んでいたが、キラの住んでいた家はまだ空き家で、ふたりはそこに越してきた。意外にも初めての同棲生活が始まったのである。

不定期ではあったが通信機越しに連絡を取り合っていたものの、生身で逢うことは難しかった三年間を埋めるようにキラとアスランは月面都市で過ごしていた。

「ただいま」

昔懐かしい桜並木を歩いてある場所から帰るアスラン。キラが起きる前にすべてを済ませる。もう日課となってしまった事だった。変わらないヤマト邸だが、“おじゃまします"が“ただいま"に変わるとなんだかくすぐったい。この家にカリダはいないが、アスランの記憶の中では微笑んで迎え入れてくれる彼女が一番濃く刻みつけられている。

「おかえりなさーい」
「起きてたのか、キラ」
「どこいってたの?」

出迎えたキラの頭をアスランが撫でた。ふんわりと柔らかい猫っ毛だ。アスランに撫でられてキラは嬉しそうにはしゃいだ。

「ああ、大したことじゃないんだ。散歩」
「ぼくもいきたかったな」
「又今度連れて行ってやるよ」

どうにか突っ込まれないよう無難な言葉を選び、彼は恋人を宥める。戦時中や軍属時には落ち着いてしまったと感じたが、コペルニクスに戻ってからは時折小さな子供のように甘えてくることも増えた。アスランにとってはそれは嬉しいことのひとつだ。

家に上がろうとしたアスランは足を止めた。顔を崩さずにそのまま後ろへと戻り、ドアを閉め、玄関から出、もう一度扉を開けた。きっと何かの見間違いだ。恐らく疲れているのだろう、そう自分に言い聞かせながら顔を覆った手を離した。

「なにしてるの?」

大きな瞳が不審そうにアスランを見ていた。それはそれは可愛らしい瞳で。それはそれは可愛らしい声で。

「キラ……!どうした、何があった!こんなに縮んで!」

アスランの目の前にいる恋人は最後に見た時より40pは縮んでいる。そして大きな瞳と丸みを帯びている体は紛れもなく子供のものだった。コーディネーターはまだ未知の人種である。突然変異で女になったり、子供に返ったりするのもあり得ない話ではない。キラに至っては母胎を通さず生まれたコーディネーターでも特殊な存在だ。

「キラ、大丈夫だ。プラントのラクスに連絡して優秀なドクターに診せれば治
――
「アスラアァァァン!」

自分に言い聞かせるように大丈夫、と繰り返すアスランの言葉を遮ったのは目の前にいる、縮んでしまった恋人――ではなく奥の寝室から聞こえる低い悲鳴に近い叫び声だった。どうして寝室からキラの声が聞こえるのか考えるより先にアスランは小さな恋人を抱きかかえたまま寝室へと急ぐ。

「キラ、どうし
――
「アスラン、なんでこんなにちっちゃくなっちゃったの。可愛いけど可愛いけどっ……これじゃあエッチできないよ」

めそめそと泣きそうな声を出すキラはシーツにくるまったまま、あるものを抱きしめていた。子供のような口調で騒いでいる割には発した言葉は恐ろしいもので、彼はようやく紛れもなくこちらがよく知っているキラだと理解する。キラに抱きしめられたものをよく見るとそれは藍色の髪に黄緑色のベストを身に纏った小さな子供だった。その子供は振り向くと寝室へと入ってきたアスランと小さなキラ似の子供を見つめた。

「お、俺っ!?」

まず翡翠の瞳ということ、それから一つ一つのパーツがコピーしたように似ていることに驚きを隠せない。着ている服も幼少時に着ていたものとよく似ている
――というより同じものだった。彼の後ろ姿からまさかとは思っていたが、本当に自身にそっくりで目が点になってしまう。

つぶらな瞳は同じ容姿のアスランに向けられ、小さなアスランは不審そうに彼を観察している。この瞳、あまり好きじゃないかもしれないとアスランは思った。

「アスラン、変なもの食べたんじゃないの?どうしよう、救急車呼ばなきゃ」

キラは裸のまま右往左往して、未だに周りが見えておらず、アスランが二人いることはおろか、自分にそっくりの子供がいることすら気がついていない。キラは昨夜のまま何も身につけないまま小さなアスランを抱きかかえて通信機へと走り出す。小声でどうしよう、どうしようと呟いていて恐らくそれが逆に彼を混乱させているように思える。

「ストップ」
「ア……スラン?」

通信機に手を伸ばしているキラをアスランが直前で止めると、やっとキラは本物のアスランに気がついた。

「キラ、頼むから落ち着いてくれ」

自分もまだ整理できていないというのにキラが騒ぎ立てるとさらに混乱して考えることが出来なくなる。だからまず彼を黙らせることが何よりも最優先されることだろう。

「アスラン、戻ったの?よかったァ」

キラは裸だと言うことを気にも留めずアスランをきつく抱きしめた。勘違いをするキラに反論したのはアスラン
――ではなくアスランが抱えている小さなキラだった。

「くるしいよ」

キラはアスランの脇の下、そして自分がきつく締め上げているものからする、恋人ではない声に思わず後ずさりをする。アスランをよく見てみればなにか違う生物を担いでいる。それはそれは可愛らしい、よく見たことのある子供。小さい頃によく鏡で見た……

「僕!?」
「きら?」

裸のキラの脚にぴったりとくっつく小さなアスラン。キラはそれに気がつき、考えることを強制的に停止した。寝ているアスランが縮んだわけでも、それが治って大きくなったわけでもなく、アスランとキラの分身が何故かここにいるということすら整理できないのだった。




***




キラの一日の楽しみであるおやつをふたつ小さな子供達に与えると、彼らはおいしそうにそれを頬張った。覚束ない手つきはまさに幼い子供で、推定するとまだ四歳か五歳くらいだろうか。

キラとアスランはとりあえず彼らが何者かであるかを知らなければならなかった。彼らをリビングに残すと寝室で、話し合うことにした。

「ちょっと気持ち悪いくらい僕らに似てるよね」
「ああ……異常だ」
「僕はこういうの慣れたけど、君は初めてだし。一応、覚悟しておいた方がいいと思う」

キラが言うのはクローンの話。キラ自身のクローンは今のところ存在しないが、キラ・ヤマトという成功体のために何百という失敗作が生まれ出て、その生き残りの何人かは成功作であるキラを妬んだ。彼らはテロメアの短いため短命であり、長く生きていたいという願いすら叶わずに死んでいった。キラやアスランの記憶に特に濃くある人物は戦友であるムウ・ラ・フラガの父親であるアルダ・フラガのクローンであるラウ・ル・クルーゼ、そしてクルーゼのクローン体であるレイ・ザ・バレル。彼らの人生はキラ・ヤマトという成功体のための犠牲者であり、悲しい生命だった。キラはふたりのクローンを通してそれがどれだけ悲しいことかが身にしみていた。

「デュランダル議長が……?」
「……彼はメンデルで研究員として働いていた過去があるからもしかしたら」

キラがプラントに行ったのはラクスの補佐だけではない。自らの過去を全て知る決意をしたからである。レイというひとりの少年の死をきっかけに自分の生と向き合う決意をした。バイオハザードによって壊滅したメンデルの調査もラクスの心遣いもあって、担当していた。

本当の父親のしていた人間の高みという名の人体実験。それは想像していたものよりずっと残酷だった。キラの第三の母親とも呼べる人工子宮は破壊されていたが、その残骸に対面したときには名もない感情が溢れ出したことをよく覚えている。データはデュランダルによって廃棄されたらしく、ほとんど残っていなかったため、調査は難航したが、キラが己の過去と向き合うには十分な情報だった。

「議長の命令をただ聞くだけの戦士……か」

アスランが小さく発する。アスランがザフトを脱走する前、デュランダルがキラのことをそう言った。恐らくアスランやシン、レイのことも含まれている。アスランが脱走することを踏まえてアスランの遺伝子を何らかの形で採取して、それでクローンを作ったのかもしれない。キラの遺伝子はメンデルに勤めていた彼ならば容易に手に入っただろうし、不可能ではない。キラ・ヤマトという最高のコーディネーターと彼に匹敵する唯一の人物であるアスラン・ザラを幼い子供の頃から調教し、自分の命令を聞く戦士に仕立て上げる。策略家の彼がいかにも考えそうなことである。

「ラクスに頼んで遺伝子検査しよう……」
「でも、テロメアが短いって言われたら……どうするの?」
「……それは、だが彼らが俺たちのクローンだろうと、可能性は低いがたまたま似てるだけでも俺たちには手に負えない」

腕を組んでいたキラは納得がいかないような顔をした。アスランの言うことは常に正論だ。だがキラは彼らが自分たちのクローンでテロメアが短かったとしても、引き取って育てたいと考えていた。プラントでも地球でも彼らは恐らく歓迎はされないだろう。

「でも」
「ラクスに連絡するか
――

リビングからの大きな音にアスランは言いかけた言葉をかき消される。キラは何かあったのではと音のしたリビングへと急いだ。

「きら?」
「きら?」

アスランにそっくりな子の後に続くようにキラにそっくりな子が繰り返す。テーブルは戦場と化していた。差詰め“プリン大戦"とでも命名しておこう。こういう戦争ならキラも参戦したいものだ。だが、アスランはきっと拒否するだろうが。

「あーあ、僕のプリンが」
「ぷりん?これぷりんっていうの?」

キラの楽しみであるプリン。夕食後にひとつだけ食べることが許されているものである。週末に買い物に行ったときに一週間分買い置きするためプリンだけは常に冷蔵庫に入っていた。子供達に与えたせいで最低でも二日間はプリンにありつけないことを思うとかなり辛いものがあったが、それが胃にはいるのではなく、テーブルの上に無惨な姿で晒されているのを見ると涙が出そうになった。

小さなキラが笑う。写真を見ているようでキラはぞくり、とする。彼がクローンだと決定してしまったら何かが変わるそんな気がする。けれどもし彼がクローンならばすぐにでもテロメアの老化を抑えるための薬を投与しなければならないだろう。そう思うとどちらでも残酷な気がしてならない。

「プリンしらないの?」
「はじめてたべたよ。ぼく、ぷりん。すき」
「そっか、僕も好きだよ。大好物なんだ」

くすくすと笑うキラは自分にそっくりな子供の頭を撫でる。

「君、名前は?いくつ?」
「わかんない」

又一つ、クローンである可能性が高くなった。そのことに焦る。アスランの言うとおり、彼らはキラとアスランでは手に負えないのかもしれない。プラント最高評議会議長であるラクスに任せて、遺伝子を研究する最先端のチームに少しでも長生きできるようにしてもらった方がきっと彼らも幸せなはずだ。

「わかんないけど、ぷりんはすきだよ」

キラが暗い顔をしていることを子供ながらに察したのか、彼にそっくりな子供はべたべたの手の平を見せながら笑った。となりでアスランにそっくりな子供も小さく笑っている。その姿にキラもつられて笑った。子供の力は驚くほど強くてどうも敵わない気がする。

「何をしてるんだ、お前達」

なるべく声を抑えたアスランがプリン大戦の惨劇を嘆く。掃除する前だったことだけが救いだろうが、彼にとっては毎日綺麗にしているリビングを汚されて沸々と怒りがこみ上げてくる。

「あー、あすらん」
「食べ物を粗末にするな!勿体ないだろう」

彼の登場に喜んだのもつかの間、アスランが声を張り上げたことで子供達は驚いて肩を震わせる。みるみるうちに変わっていく表情にキラは嫌な予感がする。

「う……」
「ふぇ……っ」

赤らんだ顔と水分を帯びた瞳にアスランは気がつき、まずいと思ったがそれは既に遅かった。

「うわああああん」
「ふええええええ」

同時に泣き出した子供達。アスランがどうすればいいのか迷っていると、キラが子供達の頭を撫でながらアスランを見上げる。睨み付けるような視線は彼を責めるような意味合いが込められている気がしてならない。

「あーあ、泣いちゃった」
「い、いや……泣くほどの事じゃないだろう」

アスランが少し近づこうとするとおびえた表情でキラ似の子供が見上げ、アスラン似の子供は必死に俯いている。小さな頃はこんな風だったのかもしれないなどと思うとどうしてか強く怒る気にはなれなかった。女性の対応の仕方も今ひとつわからないが、子供はさらにわからない。大人と男の同年代ばかりの中で育ったアスランとしてはどちらも苦手意識があった。

「大きな声を出して済まなかった。えっと、泣きやんでくれないか」

なるべく柔らかい口調でアスランが言うと、小さなアスランが隣にいるキラに向けて視線を送る。キラは首を傾けて微笑み、大丈夫だということをアピールすると、子供のアスランは人差し指で泣きじゃくる小さなキラにアスランが“こわいひと"ではないことを小声で伝えた。

「う……」

恐る恐る彼に視線を向ける小さなキラにアスランは微笑んで安心させる。小さな手で涙を拭う仕草は幼い頃のキラと瓜二つで思わず笑みがこぼれる。それに気がついた大人のキラが少し恥ずかしそうに肩を竦めた。

せがまれるように幼いキラを抱き上げると、プリンでべたべたの手で強く抱きしめられてアスランは苦笑した。一応自慢の髪の毛が砂糖まみれになってしまうが、また洗えばいいだけのことだろう。小さくても大きくても抱きしめられているときのキラの温かさはアスランを安心させる。

「えっと、君はなんていう名前なんだ?」

キラと同じ質問に小さなアスランが首を振った。恋人に視線を移せば、彼も同じように首を振る。

「じゃあ質問を変えよう、どこから来たんだ?」
「ちきゅう」
「プラントじゃなくて?」

キラがすかさず質問を重ねる。クローンならばプラントから来たに違いないが彼は地球から来たとはっきり証言したのだ。カーペンタリア、ジブラルタル、ディオキア……地球にあるザフト軍基地を思い出してみるが、ラクスもキラもそこには何度も顔を出している。それに地球から来たと言うことは誰かが一緒に近くまで来たと思うのが普通だろう。キラとアスランを知り、ふたりがコペルニクスで共に暮らし始めたということを知っている人物。

「やっぱラクスに相談するしかないみたいだね」
「ああ、そうした方がいい」

彼らがただの子供ではないことはキラもアスランもとうに気がついている。プラント最高評議会議長のラクスに力を借り、解決するしか今の彼らには手段が見つからなかった。




***




プラントの首都、アプリリウス市。議会から戻った議長、ラクス・クラインはジュール隊の隊長であるイザーク・ジュール、そしてヤマト隊長の除隊により事実上解体されたヤマト隊の副隊長を隊長として新しく結成されたアスカ隊の隊長シン・アスカを後ろに従える。

戦後三年経ち、随分と治安も安定したようだ。ギルバート・デュランダル前議長がメサイアと共に死亡したことにより混乱したプラントを立て直すためにラクスは尽くした。キラが姉であるカガリの元ではなく、ラクスの元で戦後処理をしたいと言い出したときは嬉しさ半分心配でもあった。プラントと敵対してきた彼が他の兵士となじめるだろうか、と。

キラは戦後処理をすることは戦争に携わった人間のすべき事だと言った。先の大戦では静かに暮らしたいあまり逃げてしまった。ラクスはキラのために隠居することを決め、その結果普通の女の子を死なせてしまった。ラクスは戦後処理をせずに表舞台から逃げたことを後悔した。それはもちろんキラの責任ではないが、キラはずっとそれを気にしており、ラクスに恩を返すのだとザフトに入隊した。

キラの願いは自分の出生と過去を知ること、戦後処理が済んだら恋人と共に静かに暮らすこと。その条件をラクスは呑んだ。三年間、隊長を務めたキラをラクスはやっと解放したのだ。

「そろそろでしょうか」

ラクスが小さくつぶやくと、イザークとシンが不審そうな顔をする。ラクスが突拍子もなく発言するのはいつものことだが、今回は特に意味不明である。

「……なにが、ですか?」

シンが口にするとラクスが振り返る。長く結った髪とリボン、着物のような作りの服がふわりと柔らかく揺れる。

「内緒ですわ」

口元に人差し指をあてて少女のように微笑むラクス。その仕草は可愛らしいが、嫌な予感がしてイザークとシンが顔を見合わせた。彼女がこんな風に悪戯に笑う時は大抵いいことではない。

「ラクス様」
「あらあら、メイリンさん、どうしましたの?」

メイリン・ホークである。姉と同じくアスカ隊に勤務し、今も尚エターナルのオペレーターを務めている。エリートとされる姉より実は彼女の方が実は人気がある。ファンクラブもあるほどだ。アスラン・ザラを捨て身で守ったことや、その愛くるしい姿もその理由だろう。二十歳を過ぎてからはツインテールを卒業し、髪を下ろすことで大人っぽさが増し、それもファンを増やすことになった。

アスランに恋心を抱いていたが、彼にキラという存在がいることを知ってからは彼らの仲を応援している。吹っ切れた後はずっとイザークに片思いをしている。当のイザークは鈍感なため気がついていない。仲間の中では相変わらずエリート好きだが物好きだという声も少なくなかった。

「はい、アスランさんから通信で
――
「アスランだと!?」

メイリンが言い終わる前にシンとイザークの声が重なった。アスランという単語は彼らにとって禁句であることは言うまでもない。イザークが何度復隊を促してもアスランは首を縦に振ることはなく、オーブに行ってしまった。一発殴っただけでは済まされない。シンにとってもプラントに必要な人材であることは確かなのに二十代前半にして隠居という彼の選択が納得できなかった。

「あいつがなんだって!?」
「いえ……ラクス様にですから」
「議長に通すときはまず、俺に断りを入れるだろうが普通!」

メイリンが後ずさりすると、イザークが彼女を責め立てる。通信機越しでは何度も会っているものの、生身で会ったのは毎年恒例のニコルの墓参り以来というなんとも無礼なことである。イザークにとってはアスランも大切な戦友だというのに、何も相談しない彼に憤りを感じた。

「ジュール隊長、あのアスランがわたくしに通信なんてよほどのことがない限りありませんわ」
「は?」
「つまり、それほど急を要していると言うことです、わかってくださいね」

にこやかに言うラクスだが、彼らがさほど良い仲ではないことを他人にあっさりと言ってしまうことに周囲は驚いた。この三年間でアスランがラクスにプライベートに通信をすることはキラのことだけ。元婚約者といえど恋愛感情が芽生える前に消滅したため友人にもなり損ねたただの知り合い程度だ。

そしてアスランはラクスのことを快くは思っていない。フリーダム強奪事件の時から抱いていた疑念は、年々増すばかりだろう。ふたりが共通するのは彼女を死なせてしまったという背徳感とキラを心から愛しているということだけだった。

人払いをした後、自室に入るとラクスは通信ボタンを押した。彼からの贈り物であるピンクのハロが床をぽんぽんと跳ねている。

「お久しぶりですわ、アスラン」

通信機越しに見える彼は複雑そうな顔をしていた。いつ対面してもアスランはこの表情を浮かべる。

「ああ、君も忙しいのにすまないな」
「いいえ、お元気ですか?」
「ああ、キラも……元気だ」

表面上のやりとりをすませるとアスランが本題に入ろうとする。そこで画面上にはアスランと共にキラの姿が見えた。キラはひらひらと手を振ってラクスに存在を示す。ラクスはにっこりとわらった。

――極秘に遺伝子検査をしたい。君に協力して欲しいんだが」
「その必要はありませんわ、アスラン」

即答のラクスに画面上のアスランが眉を顰めた。ぎこちない会話はさらに続く。議長の彼女ならそれくらいは簡単な事であるはずなのに、拒否する理由が見つからなかった。いきなり断られるとは思ってなかったアスランはキラに言わせれば良かったと後悔した。

ラクスは昔からキラには甘く、アスランには冷たい。

「理由を聞かせて欲しい」
「子供達はクローンではありません。安心してください」

見透かした言葉にキラもアスランも驚きの声を上げる。アスランが元軍人の割には思っていることが顔に出てしまう性格だということを入れても、さすがに自分とキラ似の子供達がやってきたなど到底わかりはしないだろう。彼女は人の心を読める力でも持っているのだろうかと疑いたくなるほどラクスの発言はピンポイントだった。

「何故?」

キラが隣で口を挟む。彼もラクスの発言を不審に思っているらしく、その眼差しは真剣そのものだ。特に遺伝子関係の話になるとキラはどうも神経質になってしまうようだ。初めて自分の出生を知ったときに彼がパニック状態になったことを思い出すと成長した。過去と向き合い、スーパーコーディネーターの自分を受け入れてからのキラは驚くほど落ち着いてしまったのだ。

「彼らはあなた達にそっくりでしょう」
「うん。ものすごく」
「彼らは少し特殊な生まれなのです。コーディネートされる前はわたくしの管轄の元で、コーディネートされてからはカガリさんのところで見守ってきました」

その言葉にキラもアスランも驚きを隠せない。身近な人間が関わっているだろう事は予想していたが、よりにもよってラクスとカガリが絡んでいたとは露にも知らず。キラはラクスを、アスランはカガリを支えていたというのにどうして気が付かなかったのだろう。

「コーディネート……ってことは彼らはコーディネーターということ?」

キラがそう言うとラクスは斜めに頷いた。

「ええ。そこであなた方には連絡が遅れましたが、彼らを暫く預かって欲しいのです」

いきなりのラクスの発言。ラクスの発言がいきなりではなかったことは今の今までないのだが、それでも本当に突然すぎる。

「いきなり言われても!」
「彼らはきちんとした人間ですわ。何度も申し上げているようにクローンではありません。少し生まれが特殊なことによってわたくしの監視下にあると問題が起きてしまうのです。きっとカガリさんも」

ラクスは影を落とす。懇願するような彼女の表情はアスランが初めて見たものだった。それほどに彼らは特殊な出生なのだろう。クローンでないというのなら彼らはどんな運命を背負っているのだろう。プラントでもオーブでも問題視される存在である彼らを果たして自分たちだけで育てていくことなどできるのだろうか。アスランの頭の中には様々な問題が浮上する。

「わかったよ、ラクス」
「キラ!?お前っ」

アスランが声を上げるとキラはそっとアスランの肩を抱いた。アスランはそれを振り解いてキラの両肩を力強く掴む。

「彼らはペットじゃないんだぞ。世話するとか、しないとかそういう次元じゃない、歴とした人間なんだぞ!」

キラは昔から捨て犬や捨て猫をよく拾ってきた。繁栄しているコペルニクスでは流行が廃れることが早く、今日流行ったものも一週間後にはもう流行遅れになってしまうなど、珍しい話ではない。それが服や髪型ならば誰にも迷惑がかからないがペットの場合は無責任な飼い主が捨ててしまう。コペルニクスではしばしば見られる光景だった。誰かが拾って育てなければ彼らは処分される運命にある。それが可哀相だからとキラは毎度のように拾って育てたいと我が儘を言うのだ。それで一度飼い始めたことがあったが数日で世話をやめてしまった。それを知っているアスランはキラのその同情がどれだけ危険かわかっている。そして今の目の前にいる小さな子供達は不道理だが処分できるペットとは違う、人間だった。生まれがどう特殊であろうと、彼らが歴とした人間だ。

「わかってる。わかってるから、そんなに怒らないでよ、アスラン」
「わかってないだろう!」

アスランが声を荒げる。キラの肩が震えた。先ほど子供達に怒鳴りつけた声質とは違い、太く大きなものだった。

「ラクスも、彼らがどう特殊だということも説明せずに預かれ、だなんて一方的すぎる」
「今はわたくしからは彼らの出生理由を申し上げることができないのです」

嘆願するようなラクスの表情にさすがのアスランも言葉が出ない。自分では認めたくはないが頑固な性格なため、いまひとつ納得がいかない。ラクスは昔からアスランの考える暇を与えないところがある。彼女の示す道は確かに正しいのかもしれないが、その中には今でも納得が出来ないものがいくつもあった。彼女とは一生理解し合えない中なのかもしれない、とアスランはどこか冷静に考えた。

「俺は引き受けることは出来ない。どうしても預かるというのなら……お前一人でどうにかしてくれ」

アスランがそう突き放すとキラが動揺の表情を見せる。ラクスも穏やかな表情を曇らせてしまった。アスランはそのまま通信機から離れ、部屋を出て行こうとする。その腕をキラが掴んだ。

「アスラン、待って!」
「……一人にしてくれ」

アスランは彼の手を強めに振り解く。ザフト軍のアカデミーで訓練をしたアスランと士官学校を卒業しておらず、モビルスーツのパイロットとしての腕以外に軍人として教育を受けていないをキラとでは本来力の差が大きすぎた。キラはアスランが無理矢理手を振り解いたのがよほどショックだったのか瞳を左右に揺らす。

キラの表情に胸の奥が締め付けられたが、アスランは無言で部屋を後にした。