Family complex


彼に恋をしてから十年、両想いになってから四年。そのうち一年は戦争まっただ中で、残りの三年は遠距離恋愛。念願叶っての同棲生活は一ヶ月で思い出深いコペルニクスで終止符を打とうとしている。

アスランが出て行ってしまっても、キラはラクスの頼みを引き受けた。彼女はいつだってキラの力になってくれる。フリーダムを強奪して自らテロリストのレッテルをはられたり、キラのために一緒に隠居してくれたり、キラの願いを聞いてそれなりの地位を与え、メンデルの調査をさせてくれたり、彼女への恩は返しても返しきれない。恋人としては彼女の気持ちに応えられないままのまま終わってしまったが、共に平和を願う者同士、彼女とは一生繋がっている。

「きら?」

小さなアスランがベッドからちょこんと顔を出した。となりですやすやと眠る小さなキラを起こさないように気を遣ってその声はキラにだけ聞こえる小さなもの。キラは家に置いてあった古びた絵本をベッド脇の棚に奥と彼に視線を向ける。恋人を写しだしたようなその表情に複雑な気持ちが浮上する。

「あすらんは?」
「ちょっと、外に行ってる」
「……」

アスランにそっくりな子供が黙りこくる。行動一つ一つが彼に似ている子供に苦笑した。幼い頃のアスランは大人に気を遣っていた。遣いすぎていた。隣で見ているキラが不安な気持ちを駆り立てられるほど大人びていて、この子はそんなところまでアスランに似てしまったのか。

彼女はクローンではないと言ったが、ならばこの子供達は何なのだろうか。

「あすらんは、ぼくが……ぼくたちがきらいなの?」
「え?」

絞り出すような声。彼は翡翠の瞳を水でいっぱいにしながらもじっと我慢をしているようだった。キラの大好きなアスランの瞳とそれは同じ。

「どうして君はそう思ったの?」
「……わらってくれないから」

確かに彼らに向けてアスランは微笑んでいなかったかもしれない。父親譲りで元々感情表現が苦手な彼だが、それをわかっているキラならともかく子供達は不機嫌なのだと勘違いしてしまったのだろう。子供は大人の行動や表情を無意識的に読み取るのが上手なのだ。幼い頃はキラだってそうだったはずなのにいつの間にか忘れてしまったようだ。

「アスランは笑ったり泣いたりするのが人より少し苦手なだけなんだ。だから怒ってたり機嫌悪いようにようみえても、本当はそんな風じゃないんだよ」

アスランが聞いていたらきっと赤面して照れるだろう言葉。キラは何とも思わないのだが、キラの吐く台詞は気障らしい。でも子供に言い聞かせるのだからこれくらいが丁度いい。確かにアスランは彼らの受け入れに反対はしたものの、彼らを疎んでいるわけではない。

アスランの言うことは確かに正論である。ラクスの言うように彼らがただのコーディネーターだとしてもキラもアスランも小さな子供の扱いはよくわからなかった。キラは孤児院で二年間暮らしてはいたが、子供達とはほとんど関わりはなくラクスやカリダが面倒を見ていた。それ以前にキラはあまり喋らず、笑わないことから子供達から恐れられていた。アスランに至っては子供は苦手だと断言している。

それから同性カップルという異常な環境で育てられて子供の性格が曲がってしてしまったり、トラウマになったり、彼らも同性愛に走る可能性だってある。その他にも思いつくだけ箇条書きにすればきっとレポート用紙五枚は軽くいく。

そしてアスランがやらないという宣言。キラ一人ではどうにも彼らを育てていく自信はない。

「かがりもそういってた」
「へ?カガリ?カガリのこと知ってるの?」

普通にぽろりと出た名前にキラは驚く。驚いたのは今日何度目だろうか。もう誰の名前が出てこようと、どんな事実が彼らの口から出ても驚かないようにしよう。ラクスが確かコーディネートした後にオーブに行ったと言っていた。カガリの元で赤ん坊の頃から育てられたのだろうか。

「ぼくたちがおきたときにきてくれた。きらとあすらんのこともおしえてくえれた」
「僕らのこと?なんて?」

キラはくすくすと笑いながら恋人に似た広い額を撫でる。キラは行為中よくそこに唇を落とすことを思い出すと少し恥ずかしくなった。この子も彼のように成長するのだろうか、だとしたらキラとしては嬉しい半分困ったことにもなりそうだ。

「ぼくたちのかぞくだ、って」

“家族”、その言葉はひどく幸せなものに感じられた。キラが十六の時に真実と引き替えになくしてしまったもののひとつ。そして二度とつかめないと思っていたもの。

まっすぐにキラを見つめる視線。それは純粋すぎるほどだった。カガリもラクスもはじめから彼らをキラとアスランと共に住まわせるつもりだったのだろう。彼とキラに似ていることを抜けば彼らは普通の子供だった。

似ているといえばアスランとアスランの母親のレノアだって似すぎている。そして写真でしか見たことのないキラの母親とキラもそっくりだった。恐らくザラ夫妻もヒビキ夫妻も生まれる前に妻に似るようにコーディネートしたのだろう。キラの双子の姉であるカガリはナチュラルで髪の色は父親そっくりだがさほど似ているという程ではない。母体を通して生まれてきた胎児はコーディネート通りに生まれてこないこともあり、母体を通して生まれてきていないキラはともかくレノアから生まれたアスランは完璧とも言える。

「そうだね、僕たちは家族だね。君も、彼も」
「あすらんも?」
「勿論」

幼いアスランの少しだけ表情が明るくなる。小さな手が彼の額を撫でていた小指を握る。温かい子供特有の体温は心地いい。彼が少し強くシーツを引っ張ったことで隣で寝ているキラそっくりの子供が唸った。

「かがりはかぞくはずっといっしょにいるものだっていってた」

アスランがこれからプラントに行くにせよ、オーブに行くにせよ、一度この家に帰ってこなければならない。その際にどうにか説得しよう。封印していた涙攻撃を使うのもやむを得ないかもしれない。どちらにせよこんなことで長年想ってきてやっと両想いになれた彼と別れるなんて嫌だ。

「うん、そうだよ。ずっとずーっと一緒」

キラの穏やかな声色とゆっくりとした口調に彼は安心し、キラの言葉を復唱した。そんな彼の頭をキラが撫でる。そうすれば子供らしい笑い声があがった。きっと今まで寂しい思いをしてきたのだろう、可能性は低いがカガリが預かっていたのだとしても彼女はオーブの国家元首であるため、彼らに触れ合う時間も少なかっただろう。そんな多忙な彼女のそばに置いておくよりも仕事はしていても家にいることが多いキラとアスランの傍の方が彼らは寂しい思いをせずにのびのびと育つかもしれない。

泣き落としてでも家族になってもらおう、とキラは心に決めて立ち上がった。




***




ヤマト邸から桜並木を潜り抜けるとショッピングモールがある。コペルニクスほどの大都市はほとんど存在しない。コロニーと地球を結ぶ役目を果たすため、宇宙では特に重要視されていた。戦時中にもアークエンジェルはこのコペルニクスに訪れている。もう四年近く前のことだ。

幼い頃も随分と開けた都市であることは小さいながら思ってはいたものの、現在ではその頃以上に繁栄を続けている。それはこのコペルニクスで手に入らない物はないかもしれないと思わせるほどであった。行き交う人々は休日のためか家族連れが多い。アスランは自分たちそっくりの子供を思い出して複雑な気分になる。

それからすぐに手のひらを見つめた。キラのことを振り解いた。とても強い力で。そのことに自己嫌悪していた。あのときのキラの泣きそうな顔は今でも容易に思い出すことができる。

罪悪感に苛まれながらアスランはショッピングモールをひとりで抜ける。頑固な性格で納得のいかないことは絶対に首を縦に振らない性格だが、ひとりで冷静になって色々と考えるとすぐに自分の行動や言動がどれだけ人を傷つけたか、困らせたかに気がつき、後悔する。幼い頃からそうだ。

アスランは脇に紙袋を挟み、黙々と歩き続ける。自動歩行システムがあるにも関わらず歩いているのは完全に無意識だった。アスランは考え事をしていると誰が話しかけても、どんな騒音でも他の情報は何も受け付けないというほどの集中力を持っている。今の彼の思考はキラ一色であることは言うまでもない。

そしてキラを突き放した後に子供達に取ってしまった態度はこの上なく大人気ないもので、アスランはそれについても後悔をしていた。小さなキラが自分の名を呼んだが聞こえないふりをして、外に出てしまったのだ。扉を閉めるより前に聞こえた泣き声はひどく懐かしいものだった。

「やっぱり馬鹿だな、俺は」

そう呟いてアスランは桜並木を眺めた。宇宙とはいえ、コペルニクスでも一年中桜を見ることが出来るわけではない。一年を通して一定の温度で保たれるプラントや他のコロニーとは違い、四季を楽しめるように春夏秋冬を地球によく似せて設定してある。秋になれば紅葉を見ることができるし、冬になれば大雪にならない程度に雪も降る。地球と同じ環境は今の技術ではさすがに実現できないが、それに近いものだったらどうにか作ることができるのだという。

この桜はアスランにとって大切なものだった。キラとの思い出が詰まっている、アスランの平和の象徴。幸せな生活が日常だと思っていた頃のもの。

「トリィ」

聞き覚えのある機械的な羽ばたきの音と共にピンクの靄の中から現れた緑にアスランは足を止めた。それから手を目線より上に掲げると、アスランが作り出したそれは彼の手に止まった。

「トリィ?」

アスランがキラの願いを叶えて作ったペットロボ。自分がプラントに言ってしまうことを悲しんでいたキラに少しでも寂しさを紛らわしてほしいという想いと、自分のことを忘れないでいてほしいと思って作ったものだった。その後に婚約者であったラクスや、心を通じ合わせたカガリにもペットロボは贈ったが、やはりトリィには特別な思い入れがある。キラに対する贔屓だと怒った彼女を思い出して、少しだけ気分が明るくなる。

「トリィ」

再びトリィが空に羽ばたく。小さな機械音を発しながら飛び去ったその先から入れ違うように段々と見えてきた人物にアスランは目を見開いた。

「アスラン!」

のろのろと走ってくるそれは、十年ほど前にここで別れた幼馴染み。片手で一人の子供と手を繋ぎ、もう片方の手でもう一人の子供を抱きかかえているため走る速度がものすごく遅い。抱きかかえられている彼によく似た幼子がトリィのしっぽを捕まえる。トリィは懸命に羽ばたきを繰り返してそれから逃れようとするがキラ似の子供はそれを許さなかった。

「キラ……」

一定の距離を保ち、キラが足を止めた。抱いていた子供を降ろし、その手からトリィを解放してやる。トリィは小さな声をあげて跳びだし、もう一度アスランの肩に止まった。その緑調の体はアスランの透き通った緑の瞳を相乗効果でさらに美しく見せる。いわば母親のような存在の彼をトリィは覚えているのかキラよりもアスランの肩に止まることが多い。

「どこに行くの?」
「どこって……それは
――
「プラント?オーブ?それとも違うどこか?」

キラはゆっくりと彼に歩み寄る。アスランは後退りをすることはなく、キラの真剣な眼差しを受け止めた。それは幼さを残しつつも余裕があるいつもの彼の瞳とは違って、どこか焦った感情が籠もっていた。行為中のキラが時折見せるものによく似ている。

「ちょ
――
「どこにも行かないで。僕の傍にいて」
「キラ、話を
――
「別れの言葉なんて聞きたくない!君は僕とずっと一緒にいるんだから!」

完全にキラが勘違いをしていることにやっと気がついたアスランは額に手を当てた。確かに一人にしてくれと言ったし、やりたいなら勝手にやれとも言った。けれどもアスランはもうオーブにもプラントにも戻るつもりはない。そしてキラと別れるつもりも少しもない。アスランの態度にキラは突っ走ってしまったのだと理解すると頭が痛くなった。

「よせ、子供が見てるんだぞ」

彼からの無意識プロポーズを聞くのは初めてではないが、照れを隠すようにアスランがキラから視線を外す。いくら小さな子供とはいえ男と男がこんな風に妙な喧嘩をしていたらわかってしまうかもしれない。アスランにそっくりな子供は特に自分によく似てそういった勘が鋭そうだ。それに郊外とショッピングモールやステーションのある中心地を繋ぐ知る人が少ない裏道とはいえ、他の人間が来ない可能性だって皆無ではない。

「アスランが考え直してくれたらよすよ!」

キラが少し強引にアスランの腕を取ると、アスランは半歩後退してそれを防ごうとした。しかしそれは間に合わず、アスランには当たらなかったものの、脇に挟んでいた紙袋を直撃した。

大げさな音を立てて紙袋が破れ、中身が勢いよく飛び出した。アスランはそれに気がつき、素早くキャッチした。これがナチュラルの民間人であったならば全てばらまいてしまっただろうが、さすがはコーディネーター。その上ザフトのアカデミーを首席で卒業し、エースパイロットとして活躍した人間の身のこなしである。それでも拾いきれなかった中身が桜のクッションの上に落下した。

キラはそれをアスランより早く拾い、眺める。手に収まらないほど厚い本はずっしりとしていた。その重みは本と呼ぶより辞書と呼んだ方が適切だろう。真っ赤なその本の題名を半分読んだところでキラはアスランを見上げた。

「君、これ……“こどもの医学"って。別れるんじゃなかったの?」
「お前が勝手に勘違いしただけだ!」

斜め上に見える彼の頬はほんのりと赤く染まり、それを隠すように鼻と口を手で覆っていた。よく見れば彼の手には同じようなタイトルの本ばかり。“のびのびとした子育て"“いい親の心得"そして“こっこクラブ"まであって、キラはその真面目すぎる選択に笑ってしまう。

「子供のことは俺にはよくわからないから、その……」

口籠もった彼に今すぐでも口付けたい衝動をどうにか抑え、キラはその手を握って自身の頬に当てた。冷たい手はすぐにキラの体温とひとつになり、それだけでいとおしい気持ちでいっぱいになる。

「うん、ゆっくりでいいから一緒に知っていこう。僕らならできるよ」

キラはそう言うと頬に当てていた恋人の手に口付けをする。長くて細い指はキラの好きなアスランの部位の一つ。その一本一本が色気を帯びていて、キラの髪を撫でる仕草が狂おしいほど好きだった。

「キザなこと言うな」
「へ?」
「プロポーズに聞こえる!」

恥ずかしそうなアスランにキラは背筋に電気が走る。半分は照れの感情、もう半分はそれに喜んでいる自身への憤りを感じているだろう彼は扇情的で、困ってしまう。

「そう思ってくれていいよ」

キラが半分冗談で言う。もう半分はもちろん本気。表情が真面目だったため、アスランは思った通り顔を歪ませた。整ったその顔をめちゃくちゃにしてやりたいという願望のあるキラはそれだけで嬉しくなる。耳まで赤くしたアスランは珍しく、彼はアスランの手を握る力を強めた。

「あすらん」

キラに片手をキスされたままのアスランがスプリングコートを引かれて顔ごと視線を下に落とした。引っ張っていたのは彼によく似た藍色の髪に翡翠の瞳のミニアスラン。しっかり者の彼はミニキラから救い出したトリィを左手に乗せて首を傾げていた。

「あすらんもぼくたちとずっといっしょ?」
「ああ、そうだ。ずっと一緒だ」

アスランは彼の頭を撫でて不器用に微笑む。キラは先ほど彼が笑ってくれないのだと嘆いたことを思い出して、下手くそな笑顔では逆に子供達がおびえるのではないかと思ったが取り越し苦労だったようだ。小さなアスランは安心したように笑顔を見せた。アスランが彼らに笑顔を向けるのも初めてだったが、彼がふたりに笑顔を見せてくれるのも初めてだった。それは子供らしい、純粋で天使のようなその笑顔にキラも彼も引き込まれそうになる。

「かぞく?」
「家族……そうだな、俺たちは家族だ。今日から」

アスランは本を脇に挟み、彼の頭を撫でた。キラも“家族"と言う名の言葉に反応して駆け寄った小さなキラの顎を擽った。キラはアスランの手を握りながら大きく深呼吸をし、アスランに笑顔を贈った。感情をうまく表現できない整った顔がそこにあり、不器用だなと彼に聞こえないように呟く。しっかりしているのにどこか危なっかしいところもキラは愛おしい。

平凡という言葉とはほど遠い生活をしてきた彼らにとって、家族というものは特別だった。両親を戦争でなくしたアスランとテロによって失ったキラ。キラには姉がいるが、彼女とはずっと離れて暮らしていたうえ、彼女は国の主であり、母から生まれていないキラにはどこか彼女が片割れという気がしない。

キラは平凡な家庭に飢えている。それは恐らく彼も同じだろう。だから家族と発したアスランの表情は今までに見たことのないほど穏やかで、キラは溢れそうになった涙をきゅっと口を結ぶことによって阻止した。キラとアスランだけでは家族とは言えない。この自分たちそっくりな子供達がいることできっと自分たちの家庭は成立するのだろう。

「まずは、この子達に名前を付けてあげなきゃね」

キラはそう言うともう一度アスランに視線を送る。名前がないと言った彼らに何度でも呼んであげられる名前を付けよう。センスが今ひとつない彼と一緒に考えるのは骨が折れそうだが、きっとふたりなら素敵な名前が思いつくはずだから。

彼らがまだ真っ白な状態なら好きなものと嫌いなもの、楽しいこと悲しいこと、色々なものをこれからでいい、一緒に作っていこう。家族として問題は山積みだったが、キラの心は期待でいっぱいだった。

かつてキラとアスランが別れた桜の中をトリィが飛んでいく。子供達はそれを追って、アスランが転ばないように心配そうに見守っている。キラはそんな彼を眺めて過保護な親になりそうだと苦笑いをした。