ソウルメイト |
二日間十分な睡眠と栄養を摂取したことで、アスランの風邪は完治した。一日休むと大分良くなったのだが、シンがキラのこともあり休ませたのだ。アスランは仕方なく彼の言葉を聞き入れてベッドで大人しくしていた。 その間考えていたのはシンを未来へと帰す方法だった。彼女の中で理論的には時間を超えることは可能だ。それが過去から未来ならば尚更のことである。しかし、それを実現するにはいくつか無理な点があった。 それを解決しようと色々と考えるのだが、その度に雑念が入った。実際、アスランがシンを未来へと帰す方法を考えていたのはその雑念を抑え込むためであったというのに、段々とそれが彼女の中で存在を主張してきたのだ。 「アスランさん!」 アスランは大声で名を呼ばれて現実に引き戻された。視界を占めたのは未来の息子である。あまりの至近距離にアスランは後退りをしてしまった。 「どう……したんですか?」 素頓狂な声を発したアスランを訝しむシンが詰め寄ってきて、アスランは制止を求めて胸元に手のバリケードを作った。一瞬シンが別の人物に見えてしまったのだ。雑念を与える原因である。親子なのだから仕方がないという言葉は使いたくはなかった。 「少しぼうっとしていた。すまない」 朝だというのに容赦なく太陽は照りつけている。アスランはその眩い光を手で遮り、溜息を吐く。雑念を振り払おうと首を横に振った。 アスランはシンが学校に通うようになってからは電車を止め、徒歩で通学するようになった。電車やエアバイクに比べれば時間は掛かるが、徒歩でも十分に通える距離だった。 二日ぶりの学校にアスランは憂鬱な気分だった。授業中に教室へと乱入したキラに拉致されたのだ。どんな噂を立てられているのか想像するだけで背筋が凍る。後ろ指さされることは気にも留めなかったアスランが現在進行形で人の噂を気にしている。そんな些細な心境の変化でさえアスランは許せなかった。 苛々をひた隠しにしながらシンの半歩前を進むアスランは慣れた道を曲がる。しかし見慣れた道には、見たくもない人物が立っていた。アスランはすぐさま足を止め、後ろから来るシンを待った。案の定、シンはアスランの分までリアクションをしてくれた。嬉しそうに目の前にいる人物が手を振りながら近づいてくる。 「おはよ。今日も朝からウルサイね」 キラはシンに嫌味を言うと、アスランの腰に触れた。過剰に反応するシンの頬を軽く抓ると、シンは痛みを訴えた。アスランは腰に触れるキラの手を振り払うと彼の存在を無視し、前へと進んだ。 「アンタ、何でここにいるんだよ」 「君を怒らせたくて仕方がないんだ」 満面の笑みで笑うキラ。懲りずにアスランの腰に腕を回した。アスランが振り払おうとしてもきつく拘束されてしまい、解くことは不可能だった。 「風邪治った?大丈夫?二日も休むから心配になっちゃって」 アスランの表情をキラは至近距離で覗きこんだ。あまりに近いキラの顔に、アスランは小さな悲鳴をあげ、そっぽを向く。解放を求めたが、わかりやすいアスランの態度にキラが従うはずもない。頼みのシンも仲を割ることはなく、アスランはされるがままとなってしまう。 キラの香水がいつもより濃い気がした。それがアスランを不快にさせる。匂いが移ったらきっと他の人間に色々と噂されてしまう、それは避けたかった。 「触るな。離せ。向こうへ行け!」 絞り出すアスランの要望をキラはすべて拒否する。すべてを探ろうとするキラは、加減を知らなかった。シャツ越しに伝わる熱を知りたくなくて、アスランが藻掻いた。胸元が開いたシャツが何よりも気に食わない。第一ボタンまでしてネクタイをしっかりと締めてやりたいくらいだ。そうすれば少しはまともになるだろう。 そこまで考えてアスランは首を振った。彼を理想に近づけても全く意味がないのだ。相手は恐らくアスランの反応を見ている。ここで何をしても彼の思うつぼだ。平然と装うのが一番である。 アスランは暴れるのを止め、キラの腕を掴む手を彼から離す。いきなりのことにキラが覗きこんだ。アスランは目を合わせないように努める。すると、キラはすんなりと彼女を解放した。あまりに簡単だったので、彼女は思わずキラを見上げてしまった。その顔に感情はほとんど見受けられない。それが逆に不気味だった。 ペースを乱されてはいけない。そう自分に言い聞かせ、鞄を握りしめる。復活したシンの手を取ると、アスランはキラを無視して歩き出す。 「ごきげんよう、皆さん」 おっとりとしたトーンによってその場の空気は一瞬にして変わった。後方からの声に一同は発せられた方向へと視線を向ける。そこにあったのは高級エアカーである。それなのに上の道を使わず、徒歩と同じ位置、同じペースで動く車は明らかに不審だ。そして窓から手を振る人物はどこからどう見ても場違いである。 「お前の恋人だろ。じゃあな」 そう言い、アスランはキラを突き放す。キラが名を呼ぶ声を唇を噛みしめながら無視をした。シンと繋がっている手だけが温かい。それだけがすべてのようにアスランは強く彼の手を握りしめた。心情を察したシンがこめた分だけ力を返す。何も言わなくてもシンにはわかってしまうようだった。それがアスランには心地良い。 「お待ちください。アスラン」 呼び捨てにされ内心不快になるが、それを表情に出さず、ラクスを睨み付ける。鋭い眼差しにもラクスは動じなかった。何度も浮気を目の当たりにして平然としているだけあり、彼女の肝は据わっていた。口元は笑顔だったが、目は笑っていなかった。 彼女の挑発を、アスランは受けずにはいられなかった。アスランが一度来た道を戻ると、ラクスは窓を全開にした。あくまで舞台には上がらないらしい。かといって高みの見物というわけではないらしい。 「ラクス」 キラがラクスに視線を送る。語り合う視線をアスランは無言で見つめた。シンが手を握りかえしたので、彼を見やると心配そうな顔がそこにあった。アスランが首を振って安心させようとしても、その表情は綻ばない。アスランはそれが辛くて目を伏せる。 「キラ、残念ですが今日はあなたには用はありませんの」 「それ……どういう意味?」 彼の困惑が耳から伝わる。しかし、声は穏やかだった。アスランといるときのように傲慢なエゴイストのキラ・ヤマトは影も形もない。違う人間かと思わせるほど、声質は違っていた。どちらが偽りなのか、彼女は知らない。 「わたくしが用があるのは、そちらのお方」 ラクスは手のひらを返した。しかし、彼女が指し示したのはアスランではなかった。 「シン・アスカさん」 柔らかい声でラクスはシンを見つめた。そして丁寧に挨拶をする。アスランは彼女を警戒した。シンに送る視線はキラへ送るものとよく似ている。しっかりとシンの手を握りしめた。 「俺は用なんてない。アンタら付き合ってんだろう?好きにやれよ。俺たちを巻き込むな」 「あらあら、元気なお方」 ラクスにはシンの皮肉も通じない。キラよりもある意味難敵であることがわかる。ラクスは仕方がありませんわねと困った表情も作らずに指を鳴らす。すぐさま車からスーツにサングラス姿の男達がシンとアスランを囲んだ。 そして息を吐くまもなく、アスランはシンと無理矢理引き離され、蚊帳の外へと放り出される。そこには同じような境遇のキラがいた。つまらなそうな表情で壁に寄っかかっている。 「何悠長にしてるんだよ。シンが連れ去られそうになってるんだぞ」 「別に、僕は息子がどうなろうと興味ないし」 そう言うキラの表情にいつもの作り笑顔はない。呆れたような、面倒そうな表情にアスランは開いた口がふさがらない。拉致しているのは彼の恋人で、拉致されているのは彼の遺伝子上の息子である。あまりにやる気のない彼に、アスランは苛立ちを隠せず、だらし無く胸元が開いたシャツを勢いよく引いた。 「お前の女だろ!どうにかしろよ」 「彼女、僕の手に負えないし。僕ら干渉し合わないのがルールだから」 キラの視線がアスランを射抜いた。右手で髪を掻き上げたキラは何のことでもないように言った。そんなキラとラクスを見てアスランは口を噤む。醜い感情を認めたくなくて、目隠しをした。目を逸らし、掴んだ手をゆっくりと離す。 屈辱に耐え、アスランはキラから離れていく。逃げるように視線を向けると、シンは既に車の中へ連れ込まれていた。アスランが大声で叫んでも、シンの返事はない。見えるのは、先ほどから少しも崩れないラクス・クラインの顔。彼女に文句を言うために詰め寄ろうとするが、それは叶わない。 キラは勢いよくアスランの腕を掴み、自分の元へと引き寄せた。痛みを伴うほどの拘束に、肘を突いて拒絶した。キラの吐息が耳に掛かる。小声で呟く言葉は耳元だというのにアスランには聞き取れなかった。 「ラクス。賭は僕の勝ちだよ」 掴まれた腕が自分の物では無いような気がしたが、それを力尽くで動かし、彼を突き飛ばした。キラの髪が舞い、時折見開いた紫色の瞳が見える。バランスを崩したキラは、その場に尻餅をついた。アスランは拳を握り、キラを見下ろした。自分でも制御できない怒りが胸を渦巻いている。 「痛いなあ。もう」 「キラは女心を弄ぶのがお好きですわね。確かにアスランのその様子ですと、賭はあなたの勝ちすわね」 アスランを横目で見やり、ラクスが微笑んだ。嘲ったものでもおもしろ可笑しいものでもない。ただ、義務的に作った表情だった。それは想像以上に冷たかった。キラを見る瞳とは明らかに違っている。 「しかし、その賭も今となっては無意味ですわね」 彼女は恋人に告げる。その表情に変化は見られない。 「……わたくしたち、求める物が違っていますわ」 「ラクス!?」 キラは驚きの声をあげ、エアカーへ迫った。三分の一ほど開いているガラスに手を掛けると中に座る彼女を見やった。アスランが見たこともないキラの焦っている姿。そこでアスランは思い知らされる。彼にとって自分は消耗品の一つであると言うことを。 「賭をしても意味のないことだと、キラも気がついていたはずです」 キラの動揺が伝わってくる。彼とラクスは触れるか触れないかの位置にいるというのに、以前公衆の面前で抱擁を交わしたカップルとは思えないほど冷めきっていた。というよりも、不自然なほど落ち着きすぎていた。 「僕が求めている物を、君は僕には与えられない?」 先ほどのラクスの言葉を言い換えるのならばそういうことになるだろう。どこの誰が見ても理想のカップルと思わせる彼らは一体何を求め合っているのだろうか。彼女が思うに、それはラクス側からだけのように感じていた。キラはラクスに満足しているはずだ。だから彼女を何よりも大切にする。他のすべてを捨ててでも彼女を優先するキラをアスランは知っていた。 「わたくしがあなたに求めている物を、あなたはくれませんわ」 「彼ならくれるの?」 その言葉で周囲の空気は一気に凍った。段々と荒げていくキラの口調に比べ、ラクスの声のトーンは一定だった。表情もほとんど変わらない。その中に微かな同情が隠っていたことを、アスランは見逃さなかった。 彼女が求めているものは一体何なのか、見当も付かない。そして、キラが求めているものは、彼女であるはずだ。偽りだらけのキラの唯一の真実はラクスなのだ。 「それはわかりません。ただ、キラよりは可能性があります」 「そう……」 悲哀が漂うキラの背中を、アスランは見つめ続ける。涙を流しているのだろうか、肩が小さく震えていた。しかし、俯くことはなくラクスから視線を外さない。一方的に彼女の手がキラの顔へと伸びた。ヒステリックさえ感じられた先ほどとは打って変わってキラの声は落ち着きを取り戻している。アスランは彼に気に留めず先に進んでしまえばいいのに、どうしてかそれが出来なかった。 アスランが動きを再開したのは、エアカーがキラとアスランを置いて発進したときだった。先ほどのように道路を使うのではなく、上空路を使うために小さな粒子を放出していくエアカーを無意味だと分かっていながらアスランは追った。しかし、すぐに諦めざるを得なくなった。 キラの手がアスランを拘束したのだ。先ほどしたように彼女の腕を引き、自分の腕の中へと収めてしまう。長い腕に包み込まれたアスランは小さく暴れ拒絶を示すが、キラは力をこめてそれを鎮圧した。 「はは……フラれちゃった」 耳に息が吹きかかる。いつもとは違う声だった。表情が思い浮かばず、アスランは目を閉じて彼の表情を想像した。愁いを帯びた彼は、弱々しく消えてしまいそうだ。それほどにさせてしまうのは自分ではなく、どこを取っても正反対の彼女である。 「どうして、浮気なんかしたんだよ。彼女のことを大切にしてやれば良かったのに。お前は最低だ」 「何……慰めてくれないの?」 息絶え絶えなキラの声にアスランは唇を噛みしめた。香水の香りに飲み込まれてしまう。以前のアスランならばすぐさま振り払っていただろうが、彼に触れられることに慣れてしまっていた。それはあってはならないことなのに。 「ラクスは、いつでも優しいんだ。僕が何をしても怒らない。包んでくれる。すごく、大切なんだ……それは性別とか、愛とか恋とかそんなの全部超えてる。ソウルメイトっていうのかな」 こんなことを説明されても、アスランには何を返したらいいのかわからなかった。彼らの関係の深さなど、知りたくもない。 「俺は……包んでやれない。彼女の代わりも、お前のソウルメイトにもなれないし、なりたくもない」 「わかってる。でも、もう少しこのままでいさせて」 キラの声が沈んでいた。これがアスランでなくても、恐らく彼はこうして縋っただろう。彼は寂しい人間なのだ。他の誰かがいなければ生きていくことが出来ない。女性を卑下していても、結局はそれ無しでは生きていけない。愚かすぎる。 どのくらいそうしていただろうか。腕時計を見る余裕もなく、背中から抱き留められたアスランはキラのブレスレットをぼんやりと見つめ、数を数えながら時間を潰した。その間、彼も、勿論アスランも何も口にしなかった。 不意に緩められた腕に、アスランはゆっくりとキラを見上げる。その表情は声とは違い、いつもの変わりない表情だった。どちらかといえば機嫌がいいように感じる。すると、キラがアスランの視線に気がついて、そっと微笑む。それは作った表情ではなかった。 アスランが声を発する前に、キラは彼女の腕を引いた。驚きの声を上げる彼女を気に留めることもなく、キラは学校とは逆方向へと向かった。 「学校どうするんだ!」 「一緒に遅刻していったらそれこそ噂の的だよ?僕は構わないけど」 それを想像して、アスランは眩暈を覚えた。確かにこの状態ならばよからぬ噂を立てる輩がいるに決まっている。そしてそれを面白がっている彼は先ほど悲しんでいたのが嘘のように振る舞っている。無理をしているのかと思えば、楽しそうでアスランは益々キラ・ヤマトという人物がわからなくなった。 |
26.Relation→ 27.母と子→ |