終着点 |
天候は気まぐれである。運転しているキラが天候の異変に気がついたのは行きとは違い、きちんと上空路を使って戻っている途中だった。キラ達の住む場所から海までは山を通っていく。山の天気が変わりやすいのは今も昔も同じことだった痛いくらいの日差しが退き、徐々に黒い雲に覆われていく状況に不審に思った彼がナビゲーションシステムの中の天気予想を確認すると、案の定雨雲が接近していた。 気がつけばエアバイクは斜め前から来る雨に刺されていた。前も見えない状態で無免許の彼がうまく操作できるほどそれは扱いやすくなく、彼らが見慣れた町並みに到着した頃は動いているのが奇跡なほどとなっていた。 長時間雨に打たれ続け、意識が朦朧としているアスランを見て、ザラ邸の門前で待ちかまえていたシンが駆け寄る。前日、彼はアスランが連れ去られたことを第三者から聞いた。そしてアスランが自分に助けを求めていたことも耳にしていた。 「アンタ!なんてことしてくれるんだよ」 「ああ、息子。相変わらずウザイね」 お決まりの台詞を吐き、キラはヘルメットを取った。太陽が照っているというのに、キラとアスランだけが別世界から来たようにずぶ濡れである。透けたシャツはアスランの肌に纏わりつく。体は彼の背中に密着し、腕もきつく抱かれている。シンはその光景に苛立ちが隠せなかった。 アスランをキラから引き剥がすと自分の腕へと誘う。ずぶ濡れだというのにアスランの体は熱かった。彼女は虚ろな瞳でシンの名を紡ぎ、自分で立とうと彼の胸に手を当てた。しかし、バランスを崩してしまう。咄嗟にキラが手を出し、彼女を支えた。 「大丈夫?支えてもらった方が良いよ」 「平……気だ。一人で歩ける……」 交わった視線をいち早く察知し、シンはキラを睨み付けた。何かがあったということは既に彼の体の異変から知っていた。飲み込まれる衝動はどんなに遠くにいてもシンに伝わる。段々と心の距離はなくなっていた。 「キラ!お前よくも俺のエアバイに!」 シンの静かなる怒りを助長させたいのか、カガリが叫び、キラの肩を掴んだ。彼もエアバイクと二人の行方が気になり、朝早くからザラ邸へと足を運んでいた。彼の思いも虚しく、エアバイクは半壊だ。 「……いい気味」 腕を強く振り払うとキラはカガリを見下ろした。彼の表情はいつも向ける嘲るものではなく、快感で満ちたものだった。カガリは顔を歪めてキラを睨み付けている。一気に空気が重くなった。 「カガリ……すまなかった。途中で雨が降ってきて……俺、修理代払うから」 アスランがカガリへと歩み寄り、彼の肩へと触れた。彼は顔が綻び、首を横に振る。しかし、キラが強めにアスランの名を呼ぶと、彼の表情は戻ってしまった。 「君がそんなことする必要なんかないよ」 「勝手に人のものを持ち出して、壊したんだからそれくらい普通だ」 キラはカガリの肩に乗せていたアスランの手を引き、彼女を自分の胸へと引き寄せる。シンの胸に伝わるのはキラの小さな嫉妬だった。シンはあまりに意外なキラの心情に彼を見やるが、まったくの無表情で、感情を露わにさせてはいない。 同時にアスランの動揺も伝わってくる。アスランは彼とは対照的に目を背け、キラから逃げようと必死だった。触れ合っているのに不思議と温かいものはなく、シンはアスランの手を取る。キラは一瞥したが、嫉妬はしなかった。キラにとって自分は嫉妬の対象にもならないのだと思うと、シンは苛立ちを覚える。アスランの体は先ほどより熱く感じた。 「そんなことより、大丈夫?早く元気になってね」 アンタが言うなとシンは内心毒づいたが、口には出さない。濡れてボリュームを失った髪から雫が落ちていく。頂辺は明るく色付いていた。キラはアスランの耳元へと近づくと小さな声で囁いた。 「僕たち、息子作らなくちゃならないんだから」 その声はシンの耳にも届き、彼は怒りに肩を震わせる。熱があるせいかぐったりとしていたアスランも跳び上がり、キラに抗議しようと彼のシャツを掴んだ。しかし、抗議の声は発されることはない。キラがキスをすることで阻止してしまったからだ。 藻掻く力の残っていないアスランが必死に叫んでいる状態を見ても、シンは手を伸ばすことが出来なかった。キラは恐らくキスをするとシンが邪魔を出来ないことを知っているのだろう、勝ち誇った視線をシンに向けていた。 相変わらず脳の指令をすべて拒否する体に悔しさばかりが募り、声にならない声を発す。暫くするとキラは彼女を解放し、蹌踉けたアスランをシンが受け止めた。キラは見せつけるように口元に指を当てている。 シンの腕に収まっているアスランは腕で唇を乱暴に拭いた。彼女が今抱いている感情とは真逆の行動を彼は無言で見つめる。キラはエアバイクに齧り付くカガリを嘲笑し、ずぶ濡れのままその場を去っていった。アスランがその背中を名残惜しそうに見つめるのを彼は見逃さなかった。 パトリック・ザラの出現によって何もかもが狂ってしまっていた。あの時にすべて変わってしまったのだ。発作は頻繁に起こるものの、彼らが近付けば収まり、触れ合えば温かく心地良いものに包まれる。先ほどまでがそうだった。 シンは認めたくなかったのだ。アスランがキラに惹かれていることを。はらわたが煮えくり返りそうになるくらい、それが嫌だった。彼の手を取れば不幸になることは目に見えているのに、何故彼を選ぶのか。どうして自分の想いが分かってもらえないのだろうか。 シンが彼女を包み込む力を強めると胸に小さな痛みが徐々に広がっていく。実の父親への憎しみと嫉妬がシンを奈落の底へと突き落とそうとしていた。 |
26.傷心→ |