LIKE OR LOVE |
キラは慣れない紅茶を前にして黙りこんでいた。大通りに面したオープンカフェは休日のため賑わっていた。濃い色のテーブルと同じ木で作られた椅子に馴染む深緑のクロスがテラスを彩る。梅雨終盤には珍しい晴れという天候に、テラスで一息吐く物も多かった。 世間話に花が咲いている他のテーブルとは違い、隅のテーブルは沈黙が続いていた。 ティーカップを持ち上げ、ラクスが紅茶を口に含んだ。キラはその音に反応する。カップの中に自分の姿を見つけ、意味もなくそれをスプーンで崩した。ラクスが静かに口を開く。 「まだ彼女を落としてらっしゃらないので?」 カップに視線を落としてからキラを見つめるラクスの表情に笑顔はなかった。透き通った薄い青の瞳がキラを射抜く。キラは彼女の問いに答えることが出来ず、しどろもどろになった。 「いつものようになさらないのですか」 彼女の言う“いつも"に見当がつかず、彼女の言葉を繰り返した。カップを持ったまま、ラクスを見つめる。彼女は珍しく緩やかなウェーブが掛かった髪をバレッタで留めていた。髪の毛よりも薄いピンクのワンピースは彼女の肌の白さを際だてていた。 「いつものように肉体関係になればと言っているのです」 彼女の突拍子もない発言にキラは紅茶を吹き出しそうになる。お嬢様のラクスから出てくるような言葉には思えなかった。キラはそれを無理矢理飲み込み、口端から洩れる雫を指で拭き取る。 「あのね、僕がいつ――」 「いつもですわ。寝ては捨て、寝ては捨て」 彼女の言うとおりだった。手に入ったらそれで満足し、魅力を失う。他の人間の物であればあるほど手に入れ甲斐がある。目を向けてさえくれなかった女性が自分しか映さなくなる時が一番の快感だった。それが終わると、ゴミのように捨てる。女は消耗品だと彼は思っていた。 「そんなに女性がお嫌い?」 核心を突かれてキラが黙る。彼女には全て見透かされているような気がした。キラがラクスを抱いたのは一回のみ。彼女だけは手を出してはいけない神聖な物に思え、それ以降、関係を持ったことはなかった。それでもラクスはキラの大切な恋人だ。 「わたくしも、あなたが見下す女性ですわ」 「君は違う!君だけは!」 即座に否定したが、彼女の言っていることは正論だった。女性を見下し続けるキラだが、大切に思っているラクスもその中の一人だった。そしてキラは女性がいなければ生きていけない弱い生物。それでもキラにとってラクスだけが特別だった。 「キラはわたくしに何を求めるんですの」 ラクスが小首を傾げる。留めていた髪が同時に流れていく。彼女の質問は簡単に思えるようで何よりも難しかった。恋人に何を求めるか、いきなり尋ねられても答えることは困難である。 「あなたはわたくしを恋人として見てませんわ」 キラが質問に答える前にラクスが言った。キラは持っていたティーカップを乱暴に置き、その言葉を否定する。ラクスがやっと笑顔を向けた。その表情はいつものように天使のようで、妖精のようで、女神のようで。 そして母親のようだった。 「キラは彼女に何を求めているんですの?」 何を求めているか、彼女を手に入れなくてはラクスと破局する。彼女を手に入れなくてはカガリに復讐が出来ない。彼女を手に入れなくては自分自身のプライドが許さない。求める物は何もないはずだ。彼女も他の女性と同じなのだから。 「僕は君が好きだ。ずっと変わらない……知ってるはずだよ」 キラが勢いよくテーブルを叩く。食器の擦れる音がし、カップの中の紅茶が波打つ。ラクスは顔色一つ変えなかった。 「ええ、勿論知ってますわ」 「なら!」 「キラはわたくしを好きでも、愛してはいませんわ」 キラが向けるのは究極の“LIKE"であり“LOVE"ではないとラクスは言いたいのだろう。究極の“LIKE"は恋愛ではない。結局ラクスに求めていたのは母性だというのか。しかし、キラはそれを認めない。認めたくなかった。 彼女に向けるこの感情が勘違いであるなど、信じない。現に彼女を大切に思っている。彼女は特別だ。混じり合わない思いにキラは締め付けてある物がはち切れそうになる。気がつけばその場を離れていた。 ラクスはやはり追って来なかった。大通りを無言で早歩きをしながら、キラは彼女の発言を思い出す。彼女の言うことは結局は屁理屈だ。彼女はキラと別れる口実を作りたいだけで、自分が嫌な人間になりたくないからキラのせいにしているに違いない。そんな彼女の思惑に乗せられるものかと、まっすぐ前を睨み付けて歩き続けた。 苛つきが頂点に達し、キラは携帯を取った。斜め上をエアカーが飛ばしている。大通りのため車通りが激しかった。車の影に暗くなったディスプレイに表示された人物を眺めて、誰にしようか悩んだ。表示された顔写真を凝視し、ひとりひとりどういった人物だったかを思い出していった。数十秒後、白羽の矢が立ったのは最近相手にしていなかった女だった。 キラはきちんとカメラモードに設定をし、電話を掛ける。声だけより表情も付けた方が効果抜群なのだ。数回コール後に女性が電話に出た。女性はカメラモードにはしていなかった。明るめの声が耳に届く。 「キラくん?」 「……会いたい」 「え……」 キラは愁いを帯びた表情で彼女に訴えかける。余計な言葉は付けず、ストレートに彼女に想いを告げると、困惑した声が聞こえた。恐らく彼女は今から用事があるのだろう。しかし、キラはそれより自分を優先することを確信していた。 「だめ?」 甘い声を発すると、彼女は簡単に了承の言葉を発した。あまりに早すぎて、彼は想わず聞き返してしまう。 「あたしもキラ君に会いたい」 今から彼女の家に行くことを約束し、キラは電話を切った。携帯をポケットに入れながら電話の女の軽さを嘲った。 「馬鹿な女」 少し遅れて行くくらいが丁度いいので、大通りの近くにあるショッピングモールに足を運ぶことにする。特に買いたい物はないが、ルックスに自信がある彼は人が集まる場所が好きだった。すれ違う女性が皆彼を見て振り返る。声を掛けてくる女性も少なくはない。 ショッピングモールを流れに乗って歩いていくと、前方に見慣れた金髪を発見する。十数年一緒に育ってきた彼にとって後ろ姿だけでそれが誰なのかわかった。つまりその隣にいるのはアスランだろう。恋人にしては少し離れている。手を繋いでいないことが珍しかった。 カガリは楽しそうに彼女に話しかけ、アスランもそれに返している。カガリの場合はキラと違って会話が成立していた。アスランはカガリの瞳を見て会話をしている。キラには一度しか向けられたことのない瞳は透き通って手を伸ばしたくなるほどの美しさだった。 ――綺麗なだけだけどね カガリは帽子を被り、この季節にはまだ肌寒いくらいのシャツを着ている。彼のお気に入りであるというズボンは彼の持っている服の中で一番高価な物だ。一方のアスランは細身のジーンズに少しゆるめのカットソーというユニセックスな服装だ。それでも細く滑らかな曲線が女性であることを示していた。初めて見た彼女の私服にキラは七十点の点数を付ける。服装はそれなりだが、彼の好みとはかけ離れているためだった。 「キラ?」 この世で一番嫌いな双子の片割れがキラに気がつき、話しかけてくる。キラはいい暇つぶしになりそうだと彼にわざわざ近寄った。彼もキラが嫌いなはずなのに話しかけてくるのはお人好しだからだろう。そんなところもキラは嫌いだった。 「相変わらず馬鹿そうな顔してるね」 キラが挑発すると、カガリが顔を真っ赤にして怒りを露わにする。キラの思惑通りいい反応を示してくれる。長年の付き合いで彼がどうすれば怒るかなど手に取るようにわかるのだ。 カガリをからかうことも程々にし、アスランに顔を向けた。彼女は案の定キラを見ておらず、無表情で大通りを眺めていた。車を見て何が楽しいのだろうと疑問に思う。本当に彼女は変わっている。キラに口説かれて落ちなかったばかりかカガリと付き合うという時点で頭か目がおかしいのだと彼は決めつけていた。それほどに自分に自信があるのだ。 「相変わらずつまらなそうな顔してるね、君」 怒らせようと挑発したが、アスランは動かなかった。ただ変わらず無表情で一点を見ている。普段なら笑って流すキラだったが、ラクスとのやりとりの後で気が立っていた。彼女の腕を掴むと強引に彼女を引き寄せた。 「聞いてる?」 引き寄せられた彼女はキラの手を汚れた物を見るような目付きで見ていた。侮蔑の込められた視線はまさしく物に向けるそれと同じである。アスランは無言でそれを振り払おうとする。しかしキラは離さなかった。 「……離せ」 「返事は?」 アスランは頑なにキラを拒絶した。彼が手に力を込めると、アスランが眉を顰める。ここまで否定され続けると段々と彼女が憎くなってきそうだった。アスランは掴まれた腕だけを見て、必死に逃れようとしている。カガリが彼女を解放しようとキラの腕を掴み、キラはやっと彼女を離した。 「何するんだ、お前」 「知らない」 「知らないって……キラ!」 キラはさっさと彼らから離れていく。何もかもが煩わしかった。人混みの中へ消えていこうとするキラは振り返らずに今日は帰らないことを大声で叫ぶ。わざわざ言うほどのことでもないが、折角町中であったのだから言ってもらおう。だが既に両親はキラの派手な遊びに何も口出しをしなかった。何を言っても無駄だと思ったのだろう。 キラは自由を持っている。だが誰にも束縛されない身と共に背負った物は孤独だった。 |
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