13.めばえ



三日経っても、キラの頭に残っていたのはアスラン・ザラの不安げな表情だった。常にあるわけではなく、時折降りてくる。特に女を抱いているときはいつも彼女の表情が浮かんだ。

あの時の彼女は母親だった。幼い子供の危険に動揺する母親。彼女はシンと過ごすうちにいつの間にか母親として目覚めてしまったのではないか。それとも、息子である彼を愛してしまったか。どちらが確率が高いかを考えると、やはり前者だろう。

キラはああいった表情をかつて見たことがあった。それはキラの母親だった。キラはそれを離れた場所から見ていた。どちらも、キラに向けられた表情ではない。

キラが笑うと、下で息を切らせた女性も笑う。その声にキラはやっと自分が抱いている女性が誰なのかを思い出した。キラのことが好きだといってくる女の一人。どこを取ってもそれなりだった。手に入れるまでは極上の女に思っていたが、あっさりと物になると他と同じつまらない女だった。縋ってくるから抱いてやる。それだけのこと。

「……萎える」

小さく呟くと、女性が表情を変える。聞き返すとキラは彼女を睨み付けた。

「気持ちよくない。全然」

吐き捨てると言葉通り萎えてしまった部位を引き抜く。湿っているスキンを爪を立てて引き剥がすとその場に叩きつけた。キラはすぐさま服を着始め、状況がわからない女性が咄嗟に起きあがるとキラの腕を掴む。キラは苛つき、その手を振り払う。

「キラ!」

キラがシャツを羽織ると女性が涙声で訴えてくる。それを睨み付けた。うるんだ瞳を初めて見たときは綺麗だと思ったが、今では何も感じない。

「君、飽きた」

自分から言い寄っておいてなんという言い様だろう。勝手すぎることなど彼自身が一番よく知っている。呆然としている女性を無視し、派手な部屋を後にする。彼女の啜り泣く声が聞こえたが、一度も振り返ることはなかった。

アスランが自分のものになったら、こうやって捨てるのだろう。その時には彼女は身籠もっていて、一生自分を憎む。キラ自身はそれを想像できるが、アスランの表情を想像しても無表情以外浮かばなかった。アスランもシンも勿論キラもその未来は望んでもいない。だからシンの思惑通り、未来は変わるのだろう。

甘ったるいホテルの中をキラは進んでいく。外に出ても深夜だというのに明るい光に包まれていた。絡みつきながら男女が歩いている。それとすれ違いながら暗い道へと進んでいく。

街は眠らずに騒いでいるというのに、キラは孤独を感じていた。キラが一声掛ければ女は容易に足を開く。みんなキラのことを愛していると言ってくれる。しかし、キラの満たされない寂しさを埋めてくれる人間はラクス以外いなかった。だからキラは彼女から離れることが出来ない。離すことが出来ない。

期限が迫っているというのに、やはり前に進めない。ラクスとの破局阻止だけでなく、カガリに復讐するためにもアスランを手に入れることが必要だった。彼は自分の汚名返上のためなら何でもする。

ラクスはキラの傍にいてくれる唯一の人。どうしようもないキラを何も言わず包み込み、満たしてくれる。彼女とは体の関係がなくても満足できる。穏やかな気持ちにしてくれるのは彼女だけだった。それは彼女も同じことだと信じていたのに、つまらないプライドのために破局など認めない。

涼しくて心地よい風がキラを撫でた。決意に満ちたキラは煌々と照らされた光の中へと消えていく。その先に何があるかは彼自身わからなかった。




***




ザラ邸は二十年後とは小さな違いがある。それを見つけることがシンは好きだった。暇な時はそれを探す。アスランの元で暮らすようになってかなり経つが、見つけ終わっていないほど、敷地は広い。

庭だけでも新しい木が数本、花だと数え切れないほど。新しく植えられたうちの一本はシンが生まれたとほぼ同時に祖父が植えた木だ。現在ではそこには何も植えられていない。

シンはその木が植えられるはずの場所に立ってみる。周囲を見渡し、そっと瞳を閉じた。

――ここに……あの木が植えられることはない

シンの記憶も恐らく幻の物となるだろう。キラとアスランが親しくなることはない。そしてシンが生まれることもない。

シンはそっと自分の胸に触れた。数日前に痛みを発した箇所は今では何ともない。存在してはならない存在に痛みなど必要なのだろうか。

『俺、カガリと付き合うようになったから』

今でも告げられた言葉をシンは覚えている。持っていた物を落としそうになった。彼女は恋愛感情がないと言ったが、シンはそれでも胸騒ぎがした。直後に思い出す未来での出来事。

『他人が父親になるより、伯父の俺がなった方がいいだろ?』

シンを口実にアスランを手に入れようとするカガリがシンは大嫌いだった。いつでも出しゃばり、父親面をする。彼の下心丸出しの態度はいつ見ても気に入らなかった。キラと結ばれてアスランが不幸になるのは嫌だが、カガリと結ばれるのも、それと同じくらい嫌だ。

それ以外の男ならば許すのかと聞かれれば首を傾げてしまう。彼女が幸せになるなら誰でもいいと思っていたが、今は自信を持ってその言葉を言えない。シンの心には彼女に対して母親以上の感情を抱き始めていたのだ。

そう感じてしまう心を振り払うように首を振り、シンは自室へと戻る。戻る途中、アスランとはすれ違わなかった。彼女はシンを未来へ戻すためにトリィを作っている。彼の脳裏に研究以外何も見えない母親が浮かんだ。数式ばかりの研究所に籠もりきりで周囲に称えられながらもトリィを完成させることしか頭になかった。そうなって欲しくないとシンは願っている。

シンはベッドに伏せる。暫く経ってから寝返りを打つと、壁に掛けてあるカレンダーが目に入った。大きな文字で六月と書かれているそれを見て唇を結ぶ。もうすぐ七月だというのにシンの計画は進んでいなかった。

機会はあるのにキラを殺すことも出来ず、アスランとキラの仲を完全に断ち切ることも出来ない。今のところはカガリがいるため落ち着いているが、キラが暴走しないとも限らない。だから何か手を打たなければならない。

『シン、シン!』

涙を溜めて手を握るアスランは温かかった。包み込んでくれる彼女に芽生え始めてしまった感情は日に日に大きくなるばかり。それは禁じられたものだった。彼女はシンの母親だ。しかし、彼女に対する思いが消えることはなく、徐々にシンの心でその居場所を広げていく。

彼女を知れば知るほど、思いが募るばかりだった。はじめは無表情で素っ気なかったが、今では笑顔を向けてくれる。気がつけば彼女を追っている自分がいて、彼女の隣にいたいと願ってしまう。こうやってずっといられたらどんなに幸せだろうか。

シンは彼女は母親なのだと何度も心の中で叫ぶ。そのためにポケットから写真を取りだし、未来の母親を確認する。何度もそうしているうちに写真はすっかり草臥れてしまった。写真の中のシンが少し薄れている気がして、彼は不思議に思いながら擦る。すると写真は色を戻した。

横になりながら写真を胸に当てるとシンはアスランの名を口にした。声にすると止まらなくなる。罪に苛まれながらも、彼女の名を紡ぎ続けた。




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