12.camouflage


ソファに寝転がったカガリは画面に流れる文字を追っていった。実ったはずの恋が音を立て崩れ去ってからまだ二時間ほどしか経っていない。唇にそっと指を添えてそこに触れたはずの彼女の唇を思い出した。柔らかい感触だったはずなのに驚きでほとんど覚えていない。

『合わせてくれて済まないな。だがもう少し演技に付き合ってくれ』

申し訳なさそうに言うアスランが目を伏せていた。彼女は普段人に迷惑を掛けることを極端に嫌う節があるため、そうなった場合ものすごく謙虚な態度を取る。謝るときは友人とはいえ、きちんと頭を下げる人間だった。そういうところで彼女の躾が厳しかったということにカガリは気がつかされる。

『でも……いいのか。キラはシンの父親なんだろう?』
『知ったことか。あいつには可哀相だけど。俺はあんなやつの子供を産むかと思うと吐き気がする』

その言葉を聞き、カガリは安堵した。キラに何度も彼女を奪われてきたため、どこか慎重になっているのだ。目の前で彼女がキラの胸に飛び込むのをカガリは幾度となく見てきた。彼は全てを持っているのにカガリから大切な物を奪っていく。だからキラのことが嫌いだった。

そんなキラに屈しないアスランは彼にとって尊敬に値する。勿論彼女にキスをされて嬉しくないはずがない。少しの間でも彼女と思いが通じ合っているのだと思っただけで心臓が破裂しそうになった。

このまま演技が終わらなければ、アスランと恋人でいられるのに。きっとそれは叶わない夢だろう。

「よくも、僕に恥をかかせてくれたね」

画面を遮った足をカガリが見上げた。腕を組み、刺すように睨み付ける双子の弟の姿がそこにあった。カガリは無言でテレビの電源をオフにするとそこから離れようと立ち上がっる。

「何のことだ」
「しらばっくれないでよ」

キラが肩を掴み、カガリを無理矢理正面に向かせる。カガリは面倒に思いながらキラを同じように睨み付けた。二人の視線が交わる。

「よくも、よくも!僕があんな屈辱を受けるなんて!」

全部君のせいだとカガリを責めるキラが彼の胸座を掴む。いつも吠えるカガリに鼻で笑うキラと今日は状況が違っていた。怒り狂うキラと相手にしないカガリ。それもキラを怒らせる要因となる。だが、やはり一番彼の怒りを呼ぶのは見下している双子の兄と標的が目の前でくっついてしまったことだ。キラの経歴とプライドに傷を付けるには十分だった。

「離せよ」

軽く突き飛ばし、カガリが吐き捨てる。いつもは柔らかな瞳が細く、鋭く形を変えていった。

「アスランはお前なんか一生相手にしない。俺に復讐するためだけにアスランを傷つけようとしたら俺はお前を許さないからな」

カガリの形相にキラは驚き入る。ずっと共に育ってきたというのに初めて見た表情だった。そしてキラを見透かしたような言葉が怒りを更に誘った。

カガリが自室に戻ってもキラは暫くその場に立ちつくす。

「カガリのくせに……カガリのくせに!」

キラは感じたことのないような苛つきを覚える。彼の鼻をへし折ってやりたい思いでいっぱいになった。どうにもできない怒りをカガリの座っていたソファを蹴り上げることで落ち着かせる。

やはり気持ちが晴れることはなかった。




***




国立の遺伝子の最先端技術を誇る研究所を通し、伝えられた真実にキラは固まった。どうしてもというのならば遺伝子検査をしてみろというシンの挑発に乗ってしまい、親子関係であるかどうかを調べ、結果を確認しに来たのだが、示された答えは親子関係であるということだった。

勿論アスランとシンの検査も行い、彼らも親子関係であることが証明された。アスランについてはそれに驚く素振りも見せず、顔色一つ変えなかった。それどころかキラが傍にいるというのに少しも目を合わせようとしない。キラなど存在しないように扱う。それがキラのプライドをずたずたにしていく。

国立の遺伝子研究所に顔が利くとはさすが、次期国のトップになる人間を親に持つだけある。示すグラフや確率を目にしても、まだキラはシンが自分の子供だという事実を否定し続けていた。

隣を歩く彼女と子供を作るどころか会話も全く成立しないというのに、紙だけで言われても今ひとつ実感できない。やはりカガリとシンの検査もした方がいいのではないだろうかとさえキラは思ってしまう。

「アンタ、本当にわかってんのか」
「何を?」

シンの声にキラが適当に答える。ラクスに告げられた期限は刻一刻と迫っているが、いまだに進展はない。それとは逆に、カガリとアスランの仲は順調に進展しているようだった。キラが横目で一瞥すると、無表情のアスラン・ザラが見える。高い鼻と長い睫が印象的だった。正面から見ることばかりで横顔は珍しい。

「アスラン」

聞き慣れた声にアスランが視線を前方へと向ける。同時にキラもそれを追った。見えたのはカガリだった。アスランがそれを見て表情を変える。微妙な変化だったが、まったく同じ表情しか見たことのないキラはそれに素早く気がつくことができた。

走り出すアスランの背を眺めながらキラはゆっくりと歩いた。後方からは粘り着くような足音が耳に入る。いつもとは違う歩き方にキラが視線を向けると、シンがカガリに鋭い視線を送っていた。キラはそこで気がつく。彼はカガリとアスランの仲を良く思っていないのだ。あまりにわかりやすい彼にキラが口元に手を当てて笑う。何故か、それが面白かったのだ。

「カガリ、別にわざわざ来なくても良かったのに」
「会いたかったから」

甘いやりとりをする二人が手を取り合う。幼稚な触れあいにキラが心の中で嘲ると、二人が軽く抱き合った。親愛を込める行為にキラの苛つきが増す。一度落ち着きかけた怒りと期限が迫っているという焦りがそれを助長させた。勿論アスランに対する恋愛感情ではない。

彼らの唇が触れ合おうとしている状態はまるで見せつけられているような気がして、キラは視線を逸らす。彼が視線を外した瞬間、視界の隅で何かが崩れた。

「あんな……」

跪いたシンは胸元を押さえて苦しみ喘いでいる。息絶え絶えに何かを発しているが、キラにはそれが聞き取れなかった。

「ちょ……何?どうしたの?」

キラはシンを支え、汗を噴出している彼を見やった。今にも死んでしまいそうなほどに苦しむ彼の唇の色の青みがかった紫へと変色し始めている。医学の知識のないキラも彼の異常に命の危険を察した。

「シン、シン!」

大きな足音と叫び声が近づき、アスランが走ってきた。キラはそれを見上げると、彼女は息子の名前を叫びながらキラの腕の中で事切れそうなシンを奪い返す。動作はかなり乱暴で、キラの手を彼女の爪が掠める。

アスランは自分の腕の中に彼を収めると必死に手を握った。何度もシンの名を叫ぶ彼女の表情は不安げだった。初めて見せる表情にキラは小さな驚きを隠せない。歪んだ表情は整いを失ったというのに美しさは変わらず、寧ろ増しているような気がした。

「どこが、痛いんだ?」

シンの額を撫でながらアスランが叫ぶ。いつの間にか顔色が戻ったシンは、徐々に呼吸も安定し、彼女の腕の中から起きあがる。白い手で鼻の頭にかいた汗を乱暴に拭った。

「もう、大丈夫」

起きあがったシンから手を離すアスランの表情はまだ不安が残っている。その瞳には悲しみも込められていた。

「本当にもう……」
「母上も、そう言って……倒れた」

強めにアスランが言う。シンはその言葉に固まった。手を握るアスランを握りかえし、体温を分ける。アスランは彼も母親のようになるのだと不安になったのだろう。それほどに彼女はシンがいなくなることを恐れていることが窺える。彼女の手が小刻みに震えていた。

彼女の中でシンという存在がどれほど大きいのか、キラは初めて知った。

「大丈夫です。俺、消えたりしませんから。ずっとあなたの傍にいます」

彼女を落ち着かせるために発した言葉はどこかぎこちなかった。まるで告白のような言葉にキラは視線を落とす。恋人同士のやりとりのようだ。

アスランはシンを抱きしめる。存在を確かめるそれは、子供のようでシンが動揺していた。しかしすぐさまアスランの体を強く抱きしめて彼女の思いに応える。シンの表情は母親に向けるものとは到底思えなかった。

母と子が逆転したかのような光景をキラは一歩下がった視点から無言で見ていた。



13.めばえ