07.宣戦布告

アスランの家から学校まで帰りはカガリと帰ってくることが多いが行きは電車と歩きが常だった。早めの行動が癖なので大体学校に到着するのはSHRの三十分前。ちらほらと登校してくるクラスメイトをよそにただ黙々と読書をしているアスランのその独特の雰囲気は他の人間を近寄せないバリアのようで、誰も彼女に近づこうとはしなかった。

そんな彼女に唯一近づくのがカガリ・ヤマトである。彼女の友人と言えば彼だけで、彼女がまともに会話をするのはカガリだけかもしれない。

カガリは鞄を置くと足早に彼女の席に向かうと、軽く挨拶をした。

一時期アスランはカガリが好きなのではないか、と噂が立ったがアスランのカガリに対する言動や行動は友人以上のないものでもないことが誰にでもわかるものでそれはアスランの耳に届く前に否定された。

本から目を離さずに彼女が挨拶を返した。カガリはアスランの前の席に座った。窓際の席からは桜の木がはらはらと散って風情がある。人工的に並べられた物とはいえやはりこの国に桜は欠かせない春の代名詞なのだ。

「昨日あれからどうしたんだ、アイツ」
「別に」

どういう“別に”かがわからなくてカガリは言葉を失った。アスランとの会話は九割がカガリ、一割がアスランで成り立っている。三年目になればそこそこ慣れてくるものでそれが普通となっていた。

おそらく“別にもういないけど”の意味であろう。既に“一日だけだ”と言っているのだから、彼女が意見を曲げたところをカガリは見たことがない。

「家にいるけど」

その言葉にカガリは驚愕の声をあげた。家から帰るときにはそんな雰囲気は微塵もなかったというのに昨晩の間に何が起こったというのだ。アスランの性格はもう長い付き合いなのでわかっている。予想していなかった答えに困惑を隠せない。

「だけどアスラ
――
「おはよう、アスラン・ザラちゃん」

カガリの発そうとした言葉は朝には少々高すぎる作り声が遮ってしまい、アスランに届くことはなかった。カガリとアスランが声の主に視線を向けるのは同時だったが声を上げたのは、カガリだけだった。

「キラ!」

ざわめく室内に気にするでもなくキラは窓側のアスランの席へと近づいていった。アスランは先ほど一瞬だけ視線を彼に向けただけで今は本へと視線を戻している。昨日と面白いくらい同じ行動だった。

「ねえ、アスラン」

カガリがキラの登場により離れていた席に当然のように座り、アスランの表情を観察するキラ。本はカバーが掛けてあり、題名がわからないがきっと難しいものに違いない。まっすぐに活字に向ける瞳は透き通っていて冷たくてとても綺麗だとキラは思った。

「誰?」
「昨日会っただろ、俺の弟」

キラのかわりにカガリが答える。余計なことをしたカガリにキラが睨み付けるがカガリも同じようにキラを睨み返した。キラはまさかそんな回答が帰ってくるとは思わずに唖然とする。彼女は一筋縄ではいかないようだ。

「何か?」

初めての会話がそんな素っ気ないものなんてちょっとムードに欠けるな、などと思いながらもキラは笑顔でアスランに微笑みかける。

「君と話したいなって思って」

キラの口説きモードの基本である笑顔と甘い言葉。どこか幼い雰囲気を残すのが年上の寂しい女には受けるのだという。勿論年下や同い年の女にだって受けるが顔や仕草は断然年上向けだった。

勿論年上の方が金を持っているからという考えもあるが、美容に金を掛けているからそれなりに綺麗だ。キラは綺麗なものに目がなかった。目の前にいるアスラン・ザラも綺麗なもののひとつである。

「用がないなら向こうに行け。作り笑顔見てると反吐が出る」

吐き捨てるような言葉を投げかけられて一瞬無表情になりそうになるがどうにか笑顔を作り直した。最初はみんなそうやってキラを煙たがる。そのうち彼女もじわじわと欲しくなってくることをわかっているからキラは笑顔を向けた。

「用ならあるよ。君と話したいっていうね」

アスランは答えない。白いカバーを掛けられた手のひらより二回りほど大きな本を時折捲りながら読むだけでキラが何を言ってもそれ以上口を開くことはなかった。

やけにガードが堅いけれどキラにとっては堅ければ堅いほど攻略する甲斐があるというものだ。あの綺麗な瞳がキラしか映さなくなるのを想像するだけで笑いが止まらない。我ながらイヤな趣味だと思いながらも、病みつきになってしまっているからどうにもならない。まだ始まったばかりのゲームに口を吊り上げながらキラは笑顔を作った。





***





一日中付きまとってきたキラを無視し続けていたとはいえ流石のアスランでもずっと耳元で騒がれていたのでは疲れが溜まる。やっと解放されたのは放課後になってからだった。彼と兄弟であるカガリを見るだけで苛ついてしまうから普段はエアバイで帰宅しているが行きと同じように電車で帰ることにした。

アスランが使用する駅は駅前に大きなショッピングモールやデパートがあるわけではないので住民以外が利用することはほとんどない。そのため乗降する人間も数えるほど。それにしては大きい駅なのは比較的裕福な人間が利用する駅だからだろう。待合室の設備が最新だったり、改札が多かったりと色々と無駄な面で贔屓されているこの駅をアスランは好きとは思えない。くだらないことに金を使うなら、もっとためになることに回せばいい。この国の負債は増え続けるばかり。だというのに無駄ばかりだった。空路開設に多大な金額がかかったのもその原因のひとつだが、昔からなくならない裏金や横領のせいで赤字は膨れあがるばかり。だというのにこれ以上無駄なことをして何の意味があるというのだろう。

――この世には無駄なことが多すぎる。

「早かったね」

家の門の前に寄りかかっていた人物を見てもアスランは表情を変えない。この男が何をしたいのかわからなかった。しかし特に危害を加えるつもりでもなさそうなので放置しておく。こういう男は反応を見て喜ぶタイプだから無視が一番だ。

「無視しないでよ」

アスランがセキュリティを解除していく。視界にちらちらと茶色の物体が見え隠れするが気にしないことにした。門を抜けても後ろを付いてきている様子のキラにアスランは溜息を吐いた。後ろでキラが嬉しそうな顔をする。

「すごい綺麗な庭。お金持ちは違うなあ」

観光気分か何かは知らないが、こんな何者かもわからない人間を家に入れるわけにもいかない。かといって反応すればこの男はつけあがるだろう。ここまでしつこい男は初めてだった。いつも冷たい素振りを見せれば皆言いたいことを言って去っていくというのにこの男にはどうしてか通用しない。本当に鈍いのか、それともそういう態度は慣れているのかどちらかに違いないおそらく後者であろう。

アスランは指紋チェックをしてIDカードをスキャンする。

「アスラン・ザラ」

いつもと同じようにこれで家の扉が開くようになった。物珍しいのかキラは淡々とこなすアスランを観察するように見ていた。頑丈な扉に手を掛けると一気に引いた。部屋の中から花の香りがするのはいつものこと。

「お帰り、母さ……じゃない、アスランさん」

走ってアスランを迎えたのはシンだった。彼には住まわせるかわりに家のことをやるというのが約束。といっても今はロボットが家事をする時代だからスイッチを入れるという行動のみで家事といえるレベルではない。

何年ぶりかの“お帰りなさい”にアスランは一瞬固まってしまった。こんな風に誰かに迎えてもらったのなんて本当に久しぶりで何か心の奥が疼くような感覚に陥った。普通なら当たり前のことだろうがアスランにはそれが何かわからなくて少しむず痒い。

「……ただいま」

“お帰り”も久しぶりなら“ただいまも”その分だけ久しぶりなわけで少し俯いた。するとアスランの後ろからひょっこりとキラが頭を出した。それを見てシンの目の色が変わる。暖かい色から憎しみを灯した色へ。

「母さん……まさかこいつと」

そのままの瞳でシンがアスランに問う。アスランは否定の意味を込めて首を横に振った。キラはそんなシンを挑発するようにわざとアスランの腰を抱く。引き寄せてもアスランは何も言わなかった。

その代わりにシンが思い切り引き離そうと暴れたがキラはおもしろがるようにそれをかわす。あまりにストレートな彼の行動は見ていて飽きそうにない。

「まだ言ってんの君?あー、でもよく見たら僕に似てなくもないかも」

似ていないと言われれば似ていないけれどどことなく雰囲気は似ているかもしれない。そんな曖昧な程度。血が繋がっている父と子でも似ていると言われるのはほんの一部で全てが似ている親子なんてそうそう存在しないだろう。

似すぎているなんて気持ち悪い。

「僕らの子供らしいよ、彼。てなわけで仲良くしようよ」

そう言いながら再びアスランを引き寄せる。抵抗も反応もしない彼女の態度が頭に来た。暴言を吐かれることより無反応の方がキラにとっては苛つく。変わりにシンが過剰に反応した。

アスランの腰を抱くキラの手を引き剥がす彼の姿からは必死さが伝わってきて、どうしてここまでするのかキラにはわからない。

「何するの、息子」
「息子っつうな!馴れ馴れしいんだよ!俺はアンタと母さんをくっつけさせないために来たんだよ!」

怒鳴りながらシンはキラの胸座を掴んだ。それなのにキラは笑顔を浮かべたままで、それはシンの怒りを更に肥大させるものだった。

息子のどこが馴れ馴れしいのかわからないが、そこを突っ込むと更に逆上しそうなので敢えて言わないでおく。彼が自分を目の敵にしていることは十分にわかった。こういう憎しみの孕んだ視線を向けられるのは嫌いではない。

「それは無理だね。僕が口説いて落ちなかった女の子はひとりもいないんだよ?」

わざと最低なことを言えば彼女が反応してくれる気がして厭らしく笑う。だけど彼女は何を言うでもなく、嫌がるでもなくただ床を見つめるだけ。

彼の挑発など戯言のように聞き流すアスランの態度に苛立ちを覚える。

「ふざけんな!!そんなことでっ……アスランさんに近づくな!」

シンは胸座を掴んでいた腕の力を強めた。目を大きく開いて声を荒げる彼の怒りようは異常さを感じさせる。だがキラにとってそんなことはどうでもいい。好き勝手に胸座を掴ませていたが、その腕をねじり上げてシンの体をいとも簡単に床に思い切り叩きつけた。

喧嘩はしないが子供の頃空手や柔道を習っていたため、その気になれば簡単に力でねじ伏せることができる。だが彼が暴力を振るうのは相手が手を出してきたときのみ。自分からは決して手を出すことはない。

特に女を取られたと騒ぐ男に殴られそうになるのは頻繁。そういう場合は正当防衛のつもりでそこそこ力を抑えて力を振るう。今回も先に手を出したのはシンの方でキラとしては振り払ったつもりだった。

「僕、人の指図は受けない性格なんだ。だから彼女を僕の女にする」

硬い床に叩きつけられたシン痛む背中を右手でさすりながらキラを見上げる。人にこんな風に投げ飛ばされるのは初めてだった。それが父親だと思うから彼は怒りが抑えることができない。

「奇遇だな、俺も人の指図は受けない性格なんだ。だからアンタの指図は受けない」

シンがキラを睨み付けるとキラは勝ち誇ったような笑顔を浮かべていた。その表情はご自由に、と言っているように感じる。

シンはそれでも負けじ魂でキラを睨み付けたそうすることでキラの笑顔に対抗している気がしたから。生温い空気の中必死に食らいつくようなシンの鋭い視線と一見受け止めているように見えるが実際はシンをなぎ払うようなキラの裏のある視線が交じる。

ここにシンとキラの攻防戦が始まったのである。


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