――母さん…、ごめん |
「好きなんだ」 帰り際に呼び止められて何かと思えば人生何度目かもわからなくなった、顔も名前も知らない男からの告白にアスラン・ザラは不愉快そうな顔をした。堂々と校門で告白するあたり相手はそこそこ自信があるのだろう。背後では何人かの女子生徒がこちらを見て噂を立てている。その一句一句きちんと耳に届いていることなど彼女たちは知らないだろう。地獄耳とは彼女自身思わないがどうやら世間一般的にはその部類にはいるらしい。 「ああ、そう」 他校の男はブレザーばかりの校門の前でひとり学ラン。だから異様に目立っているが彼女にとってその男が何を着ていようが興味はなかった。無視している訳じゃないが無視にも等しい彼女の態度に戸惑う他校の男。告白の返事というのは“YES”か“NO”でしかないものだから彼女の「ああ、そう」という言葉はどちらともとれて混乱する。 「え……、あのザラさ……」 彼女が帰ろうとすると他校の生徒は明らかに焦り彼女を引き留めようと再び声をかけた。振り向いた彼女は冷ややか又はクール、という言葉が似合っている。 「だから何?」 胸の前で腕を組む彼女の仕草に苛つきを感じ、男も何か言わなければと彼女に歩み寄る。彼女は後退りをするでもなく、歩み寄るでもなく、ただ彼を義務的に見つめていた。 「だから……付き合って」 「……付き合って何するわけ?」 彼女の表情は呼び止めたときから変わることはなく、感情は伺えない。告白されたときにだって眉ひとつ動かさなかった彼女は作り物のようだ。通りすがる生徒たちのまたザラさんよ、と言う声や勇気ある、と言った声が溢れかえっていた。 彼女はそんなことを気にする出もなく用件がこれだけどわかると男子生徒にそれ以上は言わずに帰路に向かうのか足早にその場を離れる。 ――くだらない 彼女は心の中でそう呟く。口にすることすらくだらなすぎる。相手にすることすら時間の無駄だ。愛や恋に興味はないし告白など彼女にとってはどうでもいいことのひとつでしかない。 「あの言い方はないんじゃないか、アスラン」 声をかけられて彼女――アスラン・ザラは進めていた足を止める。呆れた表情のカガリ・ヤマトに視線を向け、ゆっくりと近づいていく。肩まで掛かった太陽のような黄金の髪と明るい彼の象徴の橙の瞳、それから彼の一番の宝物であるエアバイクが視界に入った。磨かれた車体は彼がそれを何よりも大切にしていることが伺えた。 「じゃあなんて?お前に言われたとおり『今付き合いたいと思ってる人がいない』って言ったら『好きにさせる』からとか『お友達から』とかしつこく付きまとわれたの忘れたとは言わせないぞ」 思い出しただけでも苛々するのか不機嫌そうに言う彼女に彼はヘルメットを渡す。アスランはそれを当然のように受け取り髪が乱れないようにそっと被った。カガリのこういうストレートな態度は嫌いではない。男はくだらない生物だが例外もいることを教えてくれたのがカガリだった。 「あれは悪かったと思ってるけど……もうちょっとさ、気遣いって言うか……」 「くだらないな…」 言葉を慎重に選ぶカガリの言いかけた言葉を理解してアスランは一刀両断した。内容が同じならば別にどう言おうとこちらの勝手だ。自分が言った言葉を受け取る側が勘違いするくらいなら確実に伝わる言葉で言ってやる方が断然いい。 カガリは人差し指でキーに触れる。エアバイが普及にするにつれて頻発した盗難を防止するために作られた遺伝子キー。登録された本人以外はほぼ100%の確率でキーを解除することも操縦することもできない優れたものだ。双子や兄弟は遺伝子の配列の都合上解除や操縦できる場合もあるが他人には完全に動かすこともできない。下手に盗もうとすればセキュリティが作動して管理会社に通報されるし、認識番号を入力すれば所持者のパソコンから簡単に現在位置が確認できるから盗難するものなどいない。 『ロック解除』 すぐに機動するエアバイに跨るカガリ。その後ろにスカートを折り込みながらアスランは座り、手はしっかりと彼の肩に掴まる。エンジンが暖まるまで多少時間を要するのは安物だから。このエンジン音が低音に変わるまでの時間帯をカガリは嫌いだと言う。 暖まったエンジンが吐き出すのは地球に有害な排気ガスではなく50年前に見つかった環境に優しい気体。そしてエアバイを動かしているのは発達したソーラーパワーと空気中に散らばる未知数エネルギーを結びつけることによって発生する爆発的な力。これはエアバイだけに言えることではなく、家庭電化製品もこれによって働いている。この新しいエネルギーのおかげで誰もが快適に過ごすことができているのだからすごい発明だ。このエネルギーがなければ地球などとうに滅びていただろうに。そのエネルギーが発見された5年後の2040年に宙に浮くバイクという意味で発明されたのがエアバイク。今のエアバイに比べればスクーターという部類にはいるが当時はものすごい発明として称えられた。それから改良に改良を重ねて宙に浮かぶ車エアカーが発明され、今はエアバイもエアカーもなくてはならないものになっていた。 緩やかなカーブを曲がると信号があり、それが点滅している。スピードを徐々に緩めながら静かに着地するエアバイ。最後にブレーキを軽くかければ従来のバイクのように地に着いた形となる。 エアバイだからといって地を走れないわけでもなく、きちんとタイヤは付いているので空陸両用といったところだろう。この信号から先は浮いて走行してはならないという標識が立っているから指で操作して走行形態を変えた。 「今時宙行禁止区域なんて」 「仕方ないだろ。強風がふいたら吹っ飛ばされるんだから。エアバイのデメリットは強風に弱いところなんだ」 「そりゃあわかってるけど」 アスランの筋の通った言葉にカガリは反論できない。聡明なアスランに一度だって口で勝ったことはなかった。アスランの言っていることはいつでも正しいし、納得できる答えだから。 「……ん?なんだ、あれ」 カガリの声に反応し、アスランは彼の視線の先を見た。そこにいるのは少年。白い服を着た少年が後ろを注意しながら走っている。何かから逃げていると捉えた方がいいだろう。 二、三歳くらい年下に見えるその少年は黒い長めの前髪を揺らし左と右のどちらに行けばいいのかわからないのか右往左往して結局まっすぐ進んで逃げることにしたらしい。服はボロボロで白い服は所々黒ずんでいてお世辞にも独創的とも言えない。徐々に変化してきているファッションもあそこまで行くと変人の部類に入る。 「なんかこっち来てないか?」 カガリの言葉にもアスランは取り合おうともせずに「まさか」と言う。どうせ何かして警察から逃げてきたのか仕事が辛くて逃げてきたと言ったところだろう。カガリのオーバーリアクションにうんざりしながら信号が変わるのを待った。どこをどう考えてもあの少年との接点など浮かばないし、現にこちらに来ているとしても関係ないのだから無視すればいいだけの話だ。 「……ん?」 少年から発せられた声に思わず顔を向ければ少年は目をゆっくりと見開きながら彼女を見、驚きを隠せないといった表情を顕わにし、そのまま固まってしまった。口を動かしているが声になっておらず、ただアスランに驚いていると言うことだけは確かだ。 |