思わず動いてしまった右手をキラはもう一度振りかざしてから耐えるように拳を握った。
女の子に手を挙げたのは生まれて初めてだ。だけど我慢ならなかった。いきなりキラの職場にやってきて何もなかったように姿を見せた実の姉に。
だから思わず叩いてしまった。
「……何してたの、カガリ」
「……キラ」
キラはカガリの肩に手を掛けると強く尋ねた。カガリは誤魔化すように視線を逸らす。それがキラには許せなかった。
「友達の家に行って……」
「そういうことじゃないでしょ!?どうして結婚式来なかったの!?」
「……それは」
昼休みのファミレスにキラの甲高い声が響く。カガリは先ほど叩かれた頬を庇うようにして俯いている。キラが机を叩けばカガリはやっとキラの方に視線を向けた。
「アスランがどうなるかわかってやったんでしょ?ねぇ、他に男がいたの?だからすっぽかしたの?」
キラが軽蔑の視線を送るとカガリは答えづらそうに唇を噛んでいる。申し訳ないという感情と多少の悔しいという感情が入り混ざっているようで今にも泣きそうなカガリにキラは苛々した。
「私は……」
「何?今更謝っても遅いよ」
それとも何かあるの、とキラは腕を組みながら背もたれに寄っかかる。上からものを言うのはカガリのせいでキラもアスランも辛い思いをしたからだろうと彼女は察する。
だけど我慢ならなかった。あの日逃げていなかったら今よりもっと後悔するとそう思ったらいつの間にか逃げていた。
いつの間にかできた疑問が確信に変わって必死に耐えたけれど限界を超えてしまった。
「……私はお前の代わりじゃない」
絞り出すように出た声に真剣さが加わり、キラは思わずきつく組んでいた手を解いた。それからもう一度机を叩いた。
「何言ってるの……。半年間カガリの代わりをしたのは僕の方だよ?」
「私は4年だ……4年……お前の代わりをした!」
昼休みのファミレスは忙しくてキラとカガリが少し騒いだところで全て雑音に紛れていく。少し大声を出したくらいでは誰もふたりが喧嘩をしているとは気がつかないだろう。
「……僕の代わり?」
「お前は酷い。お前は男だからアスランと結ばれないってそう思って一番近い私とくっつけて」
「何言ってるの?僕はアスランとは親ゆ……」
「アスランだって私のことなんて見てなかった。ずっとお前を見てたんだ。お前に悪いからって私を愛していると錯覚してたんだ」
カガリだってアスランのことが好きだった。だけどアスランの視線の先にいる人物を知って、弟自身気がついていない感情に気がついた時それは絶望に変わった。
キラがカガリをアスランに紹介したのは自分に一番近くて似ている女を彼とくっつけさせて自分の代わりにするため、アスランはキラに似たカガリを愛することでキラを愛していることに気がついていないだけ。
カガリはふたりの愛に体よく巻き込まれて躍らされて結局残ったのは失望だけだった。
「違う……僕は君の代わりに」
アスランを慰めて、アスランの性欲処理に付き合って、いつも行為の後に熱が集まるのは生理現象で、アスランに気がつかれないようにそれを鎮めるのも男だから当たり前なだけなのに。
「アスランは親友だ……カガリの恋人だ」
「お前はアスランが好きなんだよ。アスランもお前しか見てないんだ!性別とかそんなの超えて……」
信じたくない、キラは首を横に振る。
脳がブレーキを必死に踏んでいるのに他の器官がその命令を聞こうとせずに暴走する。男同士とか、親友とか、義弟になるはずだったとか、感情と常識が葛藤した。
『すまないな』
――どうして謝るの?
いつも見せていたあの憂うような瞳は熱に冒されて欲に飲み込まれそうになっているからではなく愛しているキラに触れられて喜びを押し殺しているとしたら?
キラが唇を落とす時に髪をなでるのは彼なりの愛情表現だとしたら?
いつも手で触れると目を強く閉じるのはキラの熱を感じたいという願いだったら?
キラはそれ以上考えてはいけない、と頭を振った。カガリが涙混じりにキラに言った言葉がキラの胸の一番痛いところを貫いてとても痛かった。
***
久しぶりに対峙する指輪を贈った女性にアスランは怒鳴るでもなく責めるでもなくただひとことひさしぶり、と声を掛けた。
その言葉に涙が止まらなくなった彼女に謝れば彼女は口元を押さえて涙を流した。どうして謝るんだ、と突き飛ばされて初めて自分が謝っていることに気がついた。
「落ち着いたか?」
「……ああ」
カガリの頭をなでながらアスランはタオルを渡す。目元が赤くなっている彼女は乱暴に涙をぬぐうから水で絞ったタオルを当てれば少しはましになると思ったのだ。やはり男は女性の涙には弱い。
「俺は何も聞くことはない。君が自分で決めたことなんだし」
本当のことを言えばなぜかと聞きたかった。だけどそれでは未練がましいと思われてしまうから黙っていたのだ。そしてまた彼女にどうしてキラと一緒に住んでいるのか、と聞かれるのが怖かったのだろう。
「悪かった……アスラン。でも、わたしはっ」
「君は悪くない。悪いのは俺だ」
「え……?」
カガリは目元を押さえながらアスランの腕を?む。それから赤くなった瞳を広げて驚きを形にした。
「君が逃げたくなるなんてよほどのことがあったんだろう?聞くつもりはないが……原因はきっと俺だ」
アスランはテーブルに置かれたまだ熱を持っているコーヒーを喉に通すわけでもないのに両手で包んだ。白いカップはアスランの手の大きさにちょうどいい。
アスランの言葉を否定するようにカガリは思い切り立ち上がった。椅子が彼女の後方に倒れて大きな音が響く。
「原因はお前だ。でも違う」
「というと……?」
カガリの矛盾している言葉にさすがにアスランもついて行けない。彼女のまっすぐすぎる言葉に屈折した想いが混じるとても難儀になる。
「正確にはアスランと僕……だよね?カガリ」
先ほどまで黙っていたキラが口を開いたのでアスランもカガリも口を開けたままキラに視線を移した。
「それは……どういう」
「ああ、そうだ。お前らの擬似恋愛にわたしが巻き込まれたというべきか」
アスランの声を遮るカガリの言葉。その中の擬似恋愛と言うワードにアスランは思わず眉を寄せた。何が擬似なのかわからずにただ混乱するばかりで状況が飲み込めない。
「でも……カガリの勘違いだよ、あれは」
「勘違い……?」
「勘違いじゃない!アスランはキラの代わりにわたしを愛してキラは自分の代わりにわたしとアスランを並べさせたかっただけじゃないか!」
カガリの言葉にアスランは思わず立ち上がってしまった。コーヒーが大きく揺れて白いコップの側面を伝ってテーブルに溢れた。
「あのときの言葉は……そういう意味だったのか」
「……ああ」
結婚式前夜にカガリに言われた言葉。アスランは今やっとその意味に気がついた。
『私がキラと血が?がっていなかったらお前はわたしのこと見向きもしないんだろうな』
『何言ってるんだ』
『キラと双子でよかったような、悪かったような…キラのために存在し続けるなんて意味あるのかな』
先に気がついたのはアスランの想いだった。カガリを通して見る瞳に違和感を感じて、キラと接する態度に熱を感じて。いつしか彼のすべてが嘘なのだと思うようになった。双子でなければきっと似ていてもアスランは結婚する気にはならなかっただろう。
きっと愛情は持ってくれている。だけどそれは恋愛とは違うものでそれが何よりも苦痛だったのだ。
そしてじきに気がついたキラの気持ち。キラは見守る弟の仮面をかぶってカガリを操っていた。デートはこうしたらいいとかアスランはコレが好きだからとかアドバイスをして、すべてを自分が操ってそれで満足していたのだ。
「わたし、本当にお前が好きだった。だけど誰かの代わりに存在するなんてできなかった」
「違う……違うってば!!僕は……僕はっ」
何が違って何が違わないのだ、と言われたら答えられないがキラはとにかく違うと言った。否定したかった。彼への想いは親愛なのだと理解して欲しかった。
姉と彼がうまくいって欲しいと心から望んでいたことを知って欲しかった。
「じゃあ聞くが、お前たちはいったいどこで寝てるんだ?」
その言葉にキラは凍り付いた。このマンションにはベッドはひとつしかない。ソファもあるが人が長時間快適に寝ることができるといえるものではない。
口を噤んだキラを見てカガリはほらな、と言いながら影を落とす。わかっていたのに傷ついてしまうと言うことはやっぱり心のどこかでアスランをまだ好きな自分がいるのだろうか。
 |