Substitute 結婚式当日、花嫁は逃げた。 タキシードに身を包まれた男は被害者だというのに皆に頭を下げる。すみませんでした、と深々と。 男に花嫁を紹介したのは誰でもなく自分だった。双子の姉が君の話をしたら興味を持ったから一度あってみないか、と。今ならわかる。さほど仲のよくなかった彼と親しくなりたかったのだ。頭がよくて何でもできて他のクラスメイトとは違った雰囲気を放っていた彼にあこがれた。 家で彼の話ばかりをしていたから姉が彼に興味を持つのは当然のことで自分がそうさせたと言っても過言ではない。実際に合ってみて気に入ったと言った姉に心から喜び、女の子は苦手なんだと言いながらも彼女のためにいろいろと悩む彼を見てうまくいけばいいな、と思っていた。 自分の願い通りになった。なるはずだった。しかし姉は現れなかった。 逃げたのはキラの姉だ。そして逃げられたのはキラの友だ。 キラの記憶ではふたりはうまくいっていたはずだ。カガリもアスランも頑固だから時々喧嘩はするが誰がみてもお似合いで、きっといい家庭を作るだろうと思っていた。何が姉をそうさせたのかキラにはわからない。 そしてどうして彼をおいていくのか、と疑問に思う。なぜ逃げたのだ、と心の中で姉を責めた。 しかしキラの中で大切な友達を悲しませているカガリをもう姉とは思っておらずにただただ頭を下げるアスランを眺めていた。 「アスラン」 キラは帰宅すると靴も揃えずにリビングへとかけていった。4メートル弱の短い廊下でも走りたくなるような夕飯のいいにおいに上機嫌になる。リビングへと通じるドアをできるだけ大げさに開けてキラは明るく振る舞うよう努めた。 花嫁から逃げられたかわいそうな青年が姉と一緒に暮らすはずだったマンションにキラは住んでいる。はじめは逃げられてしまったからかわいそうだと同情していると誰もがそう思ったことだろう。だけどそんな噂をはね除けるくらいキラとアスランの友情は深いことを誰もが知っていた。 アスランとカガリが恋人同士である前に彼とキラは親友だから一緒に住むことに疑問を抱くものは徐々に減っていった。 「今日はビーフシチューかぁ」 キッチンに立っているアスランを覗き込むキラは楽しそうに言いながらネクタイを緩めた。それからサラダに伸ばされて手をアスランがぴしゃりと叩く。 「キーラ、手洗ったのか?」 「洗ったよ」 「うがいは?」 「う……まだ」 「早くして来い。今年の風邪は強力だってニュースで言ってたぞ」 エプロンもせずにブラウスの袖をまくったアスランが腰に手を当てて言うのでキラはしぶしぶとそれに従った。水が流れ落ちる中キラは専用のコップに水を入れてそれを口に含む。 並んだ色違いの歯ブラシ。アスランの歯ブラシは軟らかめだけれどキラの歯ブラシは硬め。緑と青のスケルトンの歯ブラシはとても切なくてキラはすぐにそれから目を逸らした。 口元を伝った水をタオルで拭くとアスランが待つであろうキッチンへ向かう。アスランが作ったものをテーブルに運ぶのがキラの役目だった。そんな小さなことでもアスランは助かると言う。 「ごめん、今運ぶね」 キラが笑いながらそういうとアスランは急がなくていい、とでも言うように微笑んだ。その微笑みはごくごく自然でキラは安心する。初めの頃、アスランは誰もが止めたくなるほど無理をしていて表情さえも皆に心配を掛けまいと無理矢理作っていたから。 「キラ、溢すから着替えて来いよ」 アスランは真っ白なワイシャツを着てビーフシチューと向かい合っているキラに言う。そういう自分こそ真っ白なシャツを着ているというのに。だけどキラはアスランが食べ物をこぼしているところを見たことがない。それが散らばりやすいパンだとしてもアスランは綺麗に食べこなしていた。 「えー、お腹すいちゃったよ。絶対溢さないから大丈夫だって」 「ったく……溢してから後悔しても知らないからな」 アスランは呆れたようにキラから渡されたスプーンを握りしめた。少し疲れたようなキラはそれを隠して明るくいただきますと言った。アスランもそれを追うようにいただきます、と言う。 アスランは結婚するはずだったカガリに逃げられてから仕事をやめた。今は大学の助教授として機械の開発に勤しんでいる。週の半分は家にいるからこうして家のことはほとんどアスランがこなしていた。アスランも家事は未経験だっかが手先が器用なのでコツを覚えればたやすい。 「おいしいー」 「そうか」 ビールを片手に叫ぶキラの表情を見てアスランの顔も綻ぶ。アスランもビールを少量口に含むとそっと自分の襟元を緩めた。今日は午前中だけ大学に行き教授の調べ物を手伝った。少し活字疲れしてしまったが本まみれで過ごすのも悪くない。 「アスランずるいよね」 「え……?」 「料理もできちゃうなんてさ。――の割には要領悪くて損ばっかりだし」 キラが自分のことのように言うのでアスランはスプーンを持つ手を止めてしまう。それからまた自嘲するようにビールを流しこむ。 「彼女にもそう言われたよ」 キラはその言葉に思わず口元に手を当てた。発してしまった言葉はもう訂正などできないのに。それからどうしてそんなことを言ってしまったのだろうと悔やんだ。 ずっと触れないように、触れないようにしてきたのに。カガリのことを思い出させてはいけないとキラの方がナーバスになるくらい不自然に彼女をはじめからいなかった人間のようにすべてから消し去ったというのに。 「ごめ…アスラ……」 「何で謝るんだよ。双子なんだから仕方ないだろう」 容姿は茶髪と金髪で似つかぬ髪。目の色もまったく違うから言われてみれば似ているというそんなレベルの二卵性の双子。性格は勝気でじゃじゃ馬娘な姉と気弱でやさしい弟。世間はそういった目で見ていた。 姉はキラにとって太陽だった。明るくて元気でみんなに好かれて何事にも一生懸命で…。彼女にもあこがれていた。だからこそ彼女の裏切りを許すことができない。もしそれに理由があったとしても、彼女を許す日はきっとこないだろう。 「ごめん……ごめんね」 *** 布が擦れる音が部屋に響く。キラはすぐさま散らばる藍色を見て唾を飲み込んだ。少女のように柔らかい唇に自分の唇を強く押し付ければアスランはキラの頭を強く掴んで固定する。 キラがアスランに口づけをしている間にアスランは一日働いて疲れたワイシャツのボタンをひとつずつ外していった。それから両脇を引けばキラの日に焼けた肌が剥き出しになる。 キラもキスを送りながらアスランのシャツを脱がしていく。しなやかな肉体が視界に広がった。決して柔らかくはないが色気に満ちたアスランの肢体。キラがそれに触れるのはもう何度目だろうか。 両手の指では決して足りないほどキラはアスランに触れていた。この短い期間でふたりの関係はただの親友とは言い切れない仲になってしまった。 「……っぅ」 胸元の熱に苦しそうな表情をするアスラン。キラは女のものとは違った色気を放つ飾りを口に含むと何を思うでもなく義務のように愛撫した。声を押し殺したアスランが何度も何度もキラの髪をなでる。 挿入しないとはいえ抱いた女の弟に抱かれるというのは何とも滑稽な話だ。義理の弟になるはずというより同じ性別で親友で、それにセックスの役割が逆なのではないかと感じる。 キラはベッドの上でカガリを演じる。口調もまるで彼女のようにまねをして。声が似ていると言われたことなど一度もないのに真似をするなんて自分でも滑稽だ。 キラは誘うように指先で熱を弄ぶ。掠めた爪にしびれるような快感が走った。爪を通してでもわかる、集まった熱ととぎれとぎれの息づかい。それに羞恥を覚えるように瞳を閉じる彼。 「アスラン…」 「うっ…」 「『平気か?』」 暗闇の中で、キラはカガリにそっくりだ。声も似せているからまるで本当に彼女がいるようだ。だけどどうしてだろうか、すごく虚しい。彼のために必死にカガリだと思いこむようにすればするほどキラの顔が思い浮かんだ。 結婚式の時のように今にも顔を歪めるキラが脳裏に焼き付いていた。 自分の熱を鎮めるようなキラとの行為。キラは掠めてからゆっくりと根源まで手を這わす。それから上から下へ持ち上げるように擦っていく。 「……はぁっ、くぅっ」 ベッドの上で向かい合ってキラが一方的に快感を与える行為をアスランは拒否しない。キラもキラでカガリのことに責任を感じているのだろうからアスランが止めてはいけない気がしていた。 お互いが無理をすることによって気軽な親友という関係は上辺だけのものになり、一番大切なものをなくしてしまった。 キラの肩に右手を乗せて左手はキラの右腕に添えたアスランは快感に動揺していた。同性の親友から贈られる快感は禁断ものだ。いくら似ていてもキラはカガリではない。そんなことはわかっている。 「あぁっ…」 脱力したアスランが熱を放つとキラの元にもたれ掛かる。キラは汚れた手のまま彼の体を支えた。息が荒くて色づいたその体と色気はとても男とは思えない。 「……ィラ」 「ん?」 「すまない」 ――どうして謝るの?君は…いつもいつも。悪くないのに。 「やだな、僕も男だからわかるけど生理現象だって」 少し呼吸が落ち着いたアスランの先端をキラがティッシュで拭いていく。それから飛び散った液体も丁寧に拭けば案の定アスランは恥ずかしそうな顔をした。 行為はアスランが望んでいることではない。キラが勝手に慰めているだけ。アスランはそれについていいとも嫌だとも言わない。朝になれば何もなかったように振る舞う。それがふたりの常だった。 「もう寝るでしょ?僕はシャワー浴びてから寝るよ」 「ああ……」 未だ達した時のままの体制のアスランはキラに渡されたバスローブを羽織ると横目でキラの様子を伺った。いつも慰められるのはアスランだけだから申し訳ないと思っている。そしてそれ以上に自分自身が惨めで惨めで仕方ない。 しかしそんなことを言い出せるはずもなくアスランは横になった。 Next |