インターチェンジツインズ |
午前中に通常勤務を終えると、エレカを走らせた。バースデーパーティーの打ち合わせを兼ねて昼食を共に取ることとなっている。内閣府官邸に足を運ぶと、意外な人物がそこにいた。 「キラ!」 今朝別れたはずの恋人はきちんとオーブ軍の軍服を身に纏い、カガリのすぐ傍の席に着いていた。カガリは何でもない様子で振る舞っていることから、ずっとそこにいたことが窺える。アスランは勤務中なので口にしかけた文句をしまい込んだ。 「アスラン、こっちこっち!」 キラは嬉しそうに隣を指定したが、アスランはそれを無視して彼の正面の席に座る。勤務中は特に厳しくけじめを付けていた。プライベートと仕事の切り替えは超一流である。アスランの場合は同僚として接しているというより、嫌っているようにしか見えないのだという。冷たくしすぎだとフラガに言われたのを思い出した。案の定冷たくされたキラは萎んでしまう。それを見てカガリが呆れた顔をした。 「キラも暫くはこちらにいることとなった。当日の配置で手の足りないところは?」 カガリはテーブルに置かれた書類を覗きこんだ。アスランは冊子を捲り、左から右へと視線を走らせる。配置図に赤字で名前が記されている。 「各所三佐から一佐がふたりずつ配置されている。手は足りている」 「じゃあ私の護衛にまわそう」 アスランは言いたいことがわかり、強めに彼女の名前を呼んだ。そしてすぐにキラを睨み付ける。彼が姉に泣きついたことは目に見えていた。案の定、カガリは肩を竦める。弟の我儘はどうしても聞いてしまうらしい。そういうところは似ているが、けじめをつけてもらわねば困る。 「甘やかせないでくれ。君の護衛は俺とミリアリアで十分だ」 「ミリアリアは女の子なのに護衛なの?なら僕が……」 「彼女は正確には護衛じゃない。流石に俺が更衣室やトイレにまで付いていくことはできないから頼んだだけだ」 申し出を一刀両断すると、一瞬輝いたキラの瞳が光を失った。いくら護衛とはいえ、プライベートルームにまで付いていくことはできない。それこそ大問題だ。いまだコーディネイターをよく思っていない人間はオーブの中にもいる。先の大戦でザフトが侵攻してきたこともあった。だがナチュラルもコーディネイターも住むからこそ、その感情がほとんど表に現れることはなく、しかも徐々に改善しつつある。しかし国家元首に纏わることとなれば話は別だった。 それ以前に女性の化粧室や更衣室にまで入ることは紳士的ではない。自分が彼女の弟と恋人同士であってもそれは変わらなかった。 しかし女性でカガリが信頼できる人間は少ない。彼女の至っての希望でマーナはそれから外され、アークエンジェルから交友関係のあるミリアリアがそれを務めることとなった。ナチュラルでありながら高度な射撃能力を持つラミアス一佐が後方に上がっていたが、彼女は育児休暇で軍を離れているため、ミリアリアが適任とアスランが判断した。 「いいじゃん。僕は双子なんだし」 「知っている人間は軍でも一部だ。妙な噂が立ったら困るのはカガリなんだぞ」 アークエンジェルクルーやオーブ軍上層部、首長達というごくわずかな人間にしかその事実は知られていない。双子ではあるが、姉はナチュラルで弟はコーディネイターというだけでも特殊なのに、出生や特別なコーディネイターであったこと、実の両親の研究など説明しがたいことは山ほどあった。事実、知っている者に幾度か嫌味を言われている。これが国民に知られたらカガリの立場が危うくなる可能性もある。それだけは避けなければならなかった。 「そうやってカガリカガリって」 キラは再び不機嫌になった。アスランも引くつもりはない。任務について私情を持ち込まないのがやり方だ。何度も説明しているにも拘わらずキラは少しもわかっていないようだった。彼の急下降を気がつかない振りをして会話を終了させる。 「痴話喧嘩はやめろって。いいじゃないか護衛が二人でも」 見かねたカガリが口を挟む。仕事が恋人の国家元首にはアスランの意地もただの痴話喧嘩にしか見えないらしい。神の救いの言葉にキラの目が再び輝いた。彼にしっぽが付いているのなら、大きく激しく左右に揺れているだろう。キラは起ち上がってアスランに詰め寄った。 「……アスラン、そうしたら一緒にいられるよ。ね?」 小首を傾げ、大きな瞳を潤ませたキラが可愛らしく攻撃をしてくる。恋人のそれにアスランの鉄で固めた強靱な心が揺さぶられてしまった。地図を端から端まで見渡し、暫く考えた後、溜息混じりに配置を告げる。 「お前の持ち場はD-4だ」 キラは嬉しそうにアスランの持っている地図を覗きこんだ。アスラン・ザラ、ミリアリア・ハウの名前は枠外にC-1と書かれている。キラの目が左右に揺れた。アスランはそれを見ないふりをする。 「D-4……ってムウさんと一緒に受け付けっ!?」 キラは会場の前に、ムウ・ラ・フラガの名前を見つけた。彼の他に十数名の名前が明記されている。ムウの名前の上にはボールペンでキラ・ヤマトと書かれていた。まだインクは乾いていない。驚きと怒りの混じった目でキラがアスランを睨み付けた。 「受付なら何人いてもいすぎるということはない。異論はないな、カガリ」 キラが反論する前にカガリを丸め込んでしまう。そうすればどんなに我儘な彼も何も言えなくなることを知っていた。一部に鬼の准将と恐れられるアスラン・ザラは特に恋人には容赦がない。アスランは大声を出して抗うだろうことを予想し、予め耳を塞いだ。 *** 恋人になってから百七十五回目の絶交宣言を受けたアスランは、珍しく宣言通りに口をきかないキラを相手にする余裕もなく当日を迎えた。気持ちいい晴天。パーティー日和である。 パーティーは夜に設定されているため、夕方頃までは来賓の出迎えの警備に当たる。これに紛れて侵入するものがいると軍は睨んでおり、アスランをはじめ、多くの士官が出向いてチェックに当たった。ほとんどがオーブや隣国の要人や財界人である。 来賓の出迎えのピークが過ぎると、主役がドレスアップをする控え室に足を運んだ。廊下に立っていると、人の気配を感じたのかミリアリアが扉を開ける。 「終わったのか?」 腕組みを解くと、ミリアリアの方を見やった。彼女はスタイリッシュなパンツスーツを着ていた。軍人らしさをあまり主張させないように軍服は控えている。アスランも後で着替えなければならないことを思い出して落ち込んだ。軍服はどんなものでも苦痛に感じないが、正装は窮屈で堪らないのだ。 アスランの憂鬱をよそにミリアリアが小さく肯いた。目を細めて嬉しそうに微笑する。 「カガリさんが見て欲しいって」 「カガリが?だが、俺は」 「いいから、いいから」 女性の控え室には入れないと言う前に、ミリアリアが有無を言わせず部屋に引き入れてしまう。一歩足を踏み入れてしまえば簡単なもので、そのまま部屋の中央まで連れられてしまった。 控え室は一方が全て鏡張りとなっていて、ソファとテーブルが中央に置かれている。 壁とドレッサーが一体化している一面の丁度真ん中にカガリが座っていた。いつもとは違い、整った髪に紫や青の花に象られた髪飾りが添えられている。化粧っ気のない顔はプロの手で魔法のように変身していた。カガリが鏡越しにアスランの呆けた顔を見て、ルージュの薄く引かれた唇を吊り上げて笑った。 彼女は起ち上がると長いドレスが皺にならないように気をつけながらアスランの方に近づいてくる。先日と同じようにドレスの裾を持ち、見せびらかすように胸を張るカガリが感想を求めているようだった。 「よく似合ってるよ」 言ってしまってからそれが失言であることに気がつく。口元を抑えたが、もう手遅れだった。 「ホント?本当に似合ってる?変じゃない?」 アスランの予想を裏切り、カガリは嬉しそうにはしゃいでいる。思ってもみないそれにアスランは呆然とした。何が起こっているのかわからず、カガリからの抱擁に小さく応えた。 「……カガリ、背が大きくないか?」 鏡に映る自分たちを見て、アスランは違和感を覚えた。いつもならば彼女の頭が視線の高さにあるはずだ。しかし今、彼女の頭は視線のかなり上にある。鏡にはさほど身長の変わらないふたりが移っていた。 「ヒール履いてるからに決まってるだろ!」 カガリが元気いっぱいにアスランの背中を叩いた。アスランは首を捻りつつも納得してしまう。ブルーのチョーカーにはサファイアが吊り下がっている。カガリが動く度にそれが大きく揺れた。 「それよりキラ知らないか。朝見かけたきりで受付にもいないみたいだし、一体何処に行ったんだか」 しがみついたカガリをそっと放すと、皺になっているドレスをさっと直した。柔らかい布は手触りがいい。包みこむ優しさが感じられた。少し物足りないようなカガリにアスランは苦笑した。こんなところばかり似ている双子。彼らの共通点を探すのは困難なのだ。双子とはいえ、別々に育ったため当たり前と言えば当たり前かもしれない。だが時折変なところで共通するところがある。それを見つける度、アスランはどこか嬉しい気持ちでいっぱいになった。 「そこら辺にいるんじゃないか?放っておいてもそのうち帰ってくるよ」 カガリは少し言いにくそうだった。珍しく冷たい口調だ。普段キラのことはアスランと同じくらい甘いというのに。尤も彼に関わるものは殆ど皆彼に甘くなるのだが。アスランには手厳しいラクスでさえキラには逆らえないのだ。 アスランは配置を知って肩を落とすキラを思い出した。ふたりきりならば泣いてしまったかもしれない。それを彼は必死に堪えていた。 「……少しきつく言い過ぎたかな。本当は護衛に付けても良かったんだけど」 今更後悔しても遅かった。アスランはポケットの中に入っているプレゼントを触って確認する。受け取って貰えないかもしれない。キラからしてみればカガリの方が贔屓されていると思ったのだろう。どれだけ傷ついたことか。 カガリがアスランの腕を握った。筋トレが趣味の腕は見るからに健康的だ。今日はファンデーションが重ねてあるのだろう、焼けた肌が若干薄まっていた。 「けじめをつけようとすると、あいつにどうしても厳しくなってしまう。誕生日に一緒に護衛になんか付いたら、どうしてもキラのことが気がかりになってしまうし、カガリがこんなに盛大に祝ってもらえるのに自分が祝ってもらえなかったこともきっと気にする。俺が君につきっきりで、フラストレーションが溜ってるみたいだし」 特に恋人がカガリに対して特別に優しくしたり、守ろうとするとキラは過剰に反応する。彼女がそれを知っていつも平気な振りをして彼に遠慮していることも知っていた。キラもその感情を露わにせず、普段は我慢をしていることも。だがこの日だけはキラも我慢できないのだろう。二人の誕生日でも、アスランは一人しかいない。二つ体があるのなら喜んでひとりひとりのために働こう。だが残念ながら体はひとつ。いくらコーディネイターでもふたりに分かれることはできない。 「休暇のことだけど、少し早めて欲しい。二時間でも一時間でもいい。今日のうちにあいつの誕生日を祝ってやりたい」 誕生日は特別なのだとキラは言った。少しの時間でも祝ってあげたい。そんな自己満足がアスランの中にはある。怒って相手にしてくれない確率は高いが。 国家元首が何か言おうとして体を震わせた。涙目になりながら、唇を噛みしめている。綺麗に塗ってもらったルージュが台無しだった。 「アスランの意地っ張り。そういうの、僕に言ってよ!」 肩を強く掴まれ、アスランは声を失った。ようやくわかった事実に驚愕する。声はカガリのものだが、口調は明らかにキラのものだった。 アスランが口を開く前に、ドレスアップした国家元首が飛びついてくる。思ってもみなかった相手の行動にアスランはバランスを崩し、その場に倒れ込んでしまった。固い床に受け身を取り、対象に傷が付かないようにする。 相手は倒れ込んだことには気にせず、アスランに馬乗りになって抱きつき、折れそうなほどに力を込めている。明らかに女性が出せる力ではなかった。 「アスランッ。ごめんね、ごめんね、ごめんね!我儘言ってごめんね。絶交なんて言ってごめんね!僕が子供でごめんね!」 キラは耳元で何度も謝罪をした。ほのかに香る香水と受け身を取ったことによる衝撃、そしてあまりに馬鹿げている状態に頭がくらくらする。何故恋人が女装をして自分にしがみついたまま謝罪を続けるのか、理解できなかった。 アスランは動かせない体を懸命に起こし、傍に待機していたミリアリアを見上げた。口元に手を当てて笑っている。驚いた表情は全くないことから、彼女も片棒を担いでいたのだろう。フラガ一佐も先ほど異常なしと言っていたことから周囲皆がグルだったことに気がつき、アスランは眩暈を覚えた。 「……どういうことか、説明してもらおうか」 怒りに震えるアスランに、しがみついたキラがやっと顔を上げた。よく見れば少し不自然なカラーコンタクトである。恋人なのに気がつかなかった自分が情けなくなる。アスランの気持ちなど気にも留めないキラは先ほどの言葉で上機嫌になっていた。 「僕らがお互いに誕生日プレゼントを贈ったんだ。カガリは僕に一日アスランの傍にいられる権利。僕はカガリを一日自由にする権利」 入れ替わりごっこってやってみたかったんだよねとキラが楽しそうに言う。アスランは一抹の不安を覚えた。小さな子供ではあるまいし、そんな悪戯が通るわけがない。国家元首と二重軍籍を持つその片割れ。ただでさえそんなふたりが入れ替わるのは大事なのに、今日は大切なパーティーがある。ジョークなどでは済まされない。 「じゃあカガリは何処に」 アスランはキラの肩を掴み、軽く揺さぶった。早くカガリを見つけねば取り返しのつかないことになる。来賓も来ているため、今更中止になどできるはずがなかった。連れ戻す時間くらいはあるだろう。アスランは時間を確認した。 「君が警備に出ている間に窓から出て行ったよ。連れ戻されるのが嫌だから通信機は持って行ってない」 何のことでもないようなキラの口調。アスランはその瞬間、血の気が引いていくのがわかった。 *** 午後六時にパーティーは幕を開けた。ホールの二階からアスランにエスコートされたカガリに扮したキラが笑顔で降りていく。拍手喝采の中、一番はらはらしていたのはアスランだろう。それに比べ、一日限りのカガリ・ユラ・アスハは堂々としていた。こんな筋肉質な女性はそうそういないというのに、誰もがシャンデリアの光りに誤魔化されている。それは有り難いことだが、彼にとっては複雑だった。 男性の中でも小さいわけでも大きいわけでもないキラがヒールを履くと大女になってしまうため、裾で足下を隠し、ヒールのないパンプスにしていた。そのためアスランの身長を超す心配はない。 普通のカップルのように寄り添って公の場に出られることは二度とないだろう。男女のカップルに見えれば見えるほど虚しかった。普段気にならないこともこういった時ひどく気になってしまうものだ。 キラが笑顔を見せたため、アスランもつられて笑顔となる。しかしいつキラがぼろをだすか気が気じゃないため、どこかぎこちなかった。キラは声を何度か確かめている。変声機は即席でモルゲンレーテの社員に頼み込んで作ってもらった物らしい。機械いじりが趣味のアスランも軽く開けて調べてみたが、急ぎで作ったわりにはしっかりしていた。喉の震動に合わせて声が発せられるというもの。実際にキラは声を出していない。驚いたりして声を出せば、勿論キラ・ヤマトの声が出る。彼はそこを注意しなければならなかった。 アスランの心配を他所にキラは挨拶をはじめた。台詞も立ち振る舞いもカガリの侍女であるマーナが教えたものだという。パワフルな彼女を思い出し、アスランは苦笑いをした。 今日は楽しんでいってくださいとキラが締めると、パーティーの雰囲気に花を添える穏やかな音楽が流れる。会話には差し支えのない程度の音量は心地よかった。すぐさまキラはアスランの元に戻ってくる。顔が少し紅かった。 「よかったよ。上出来だ」 キラが聞く前に言うと、更に彼の頬が紅潮する。笑顔を向けると腕を絡ませてきた。軽く注意をしたが止める気配はない。仕方がないのでエスコートの延長だと思うようにした。これくらいで仲を疑うものなど一人や二人くらいだろう。彼女がアスランを信頼していることは誰もが知る事実だった。 「アスラン、あれ食べたい!」 「化粧が崩れるから駄目です。挨拶回りが終わってからにしてください」 挨拶という言葉にキラの顔が引きつった。敬語を使われるのも気に食わないようだ。こんな状態のキラのモチベーションを上げるのもアスランの仕事である。代表、と声を掛けるとアスランはキラに耳打ちをした。そして秘密の言葉を彼に囁く。それだけでキラのモチベーションは上がってしまった。 それから一時間半掛けて一日国家元首は来賓の挨拶回りを終えた。丁度その頃、シャトルの不備で遅れたラクス・クラインが到着したとの連絡が入る。彼女を迎えに行くためにキラとアスランは会場を飛びだした。少しの間くらいなら主役がいなくなってもパーティーに支障はない。 アスラン達がホールから入り口へ向かって歩いていると、遅れたことにより気が立っている声聞こえた。聞き覚えのある声にキラとアスランは目を合わせる。その予想はやはり的中した。 曲がった先にいたのは護衛のイザークとディアッカだった。ラクスはそこにはいない。ドレスアップに時間が掛り、彼らだけでもと先に行かせたのだろう。あと二三人は護衛がいそうだ。スーツ姿の友人はアスランを見て目の色を変えた。 アスランが挨拶をしようとすると、それを阻んでイザークが挨拶代わりに胸ぐらを掴む。 「久しぶりだな、イザーク」 「何が久しぶりだ。貴様!」 イザークに胸ぐらを掴まれるのはいつものことだった。挨拶代わりとでもいおう。アスランが苦笑した。それが更にイザークの逆鱗に触れてしまったらしく、ヒステリックな声があがる。切り揃えられた銀髪が揺れた。 「落ち付けって、イザーク」 予想通り、仲裁役のディアッカがやってきた。髪が今まで見たことにないほど固められている。久しぶりにミリアリアに会えるからだろう。何度ふられても懲りない、自称不死身のディアッカ。ナチュラルとコーディネイターのカップルは平和の象徴だと主張している。確かにそうだとアスランが言ったところ、何故か応援しているのだと勘違いされ、ミリアリアには恨まれていた。 固めた髪が崩れないように庇いながら引き剥がすと、イザークが鼻息を荒くした。 「貴様は黙っていろ!キラ・ヤマトはどこにいる」 アスランはその質問に視線を逸らす。イザークはもう一度怒鳴った。しかし女装をしているキラを差し出すわけにもいかず、曖昧に笑顔を張り付ける。馬鹿にしてるのかとイザークは顔を真っ赤にして怒りを露わにした。 「キラの奴いきなりいなくなって『暫く旅に出ます』って書き置きだけが残ってたんだよ。フリーダムもなくなってるし、記録から地球に向かったってことで、まあオーブだろうってことはわかってたんだけど」 アスランは頭が痛くなった。突発的な帰国だということは予想していたが、ラクスに申告していなかったとは、ほとほと呆れてしまう。周りに多大なる迷惑が掛っていることは聞くまでもなかった。彼の様子からイザークにも迷惑が掛ったのだろう、アスランはキラに代わり、謝罪をする。あとでお灸を据えなければと思った。 「ジュール隊長、落ち着いてください」 ラクスはイザークを宥めた。バージンロードを花嫁が歩くようにゆっくりと近づいてくる。ハロがアスランの名を叫びながら懐に入ってきた。目が明滅する。 いつも通り主役より目立つ紅いドレスを着ていた。激しい露出のそれはピンクの妖精と呼ばれていた頃には想像も付かなかったほどの大胆さである。いつもと違う髪留めをそっと押さえた。 ラクスの秘書役でもあるメイリンとオーブ出身のシンもいる。男性陣はスーツで、メイリンは派手さの抑えられた控えめなワンピースを着ている。シンは挨拶をしなかったが、メイリンは笑顔を向けて頭を下げる。アスランも軽く挨拶をする。 「キラ、そんな格好でどういたしましたの?」 ラクスは笑顔でキラを見つめている。一同が驚愕した。キラとアスランは彼らとは違った意味だ。特にイザークが一番驚き、目を丸くしていた。アスランでさえ一瞬では気がつかなかったというのに、ラクスは本当に全知全能なのではないかと錯覚してしまう。それはある意味恐怖だった。キラだけが笑う。 「ラクスには敵わないなあ。アスランなんか全然気がつかなかったのに」 小首を傾げ、同意を求めるキラにアスランが肯いた。すぐに同志と抱擁を交わす。女性のラクスと比べるとやはり骨格からして全く違う。女性だから気がついたのかもしれないとアスランは考察していた。ラクスはアスランの思考を読んだのか、口元に手を当てて笑っていた。つくづく彼女はわからない。 「アンタって人は!こんなところで何やってるんですか!」 直属の部下であるシンがキラの肩を掴んで揺さぶった。髪に付いた花がよれてしまう。彼にも迷惑が掛ったのだろう、彼が怒っているところは幾度となく見てきているため、すぐにそれが窺えた。更に女装をしてカガリの振りをしていることも彼の許容範囲を超えているらしい。シンは根が真面目なのだ。 「みてわからない?影武者」 「純粋な青少年を騙すな」 アスランは突っ込むと乱れた髪を軽く直してやる。キラが少しくすぐったそうな顔をした。偽物だろうと今はキラがカガリ・ユラ・アスハなのだ。完璧にしてもらわねば困る。 「取り替えっこだよ。誕生日プレゼントとして」 「何も言わないでくれ。気がつかなかった俺が全部悪いんだ」 一同呆れ返っていた。勿論ラクスはその中に入っていない。国家元首が子供の悪戯のようなことをすること自体彼らの理解を超えているのだ。特に型に填る傾向にあるイザークは全く関係がないのにアスラン以上にダメージを受けていた。そんなイザークが好きなのだが、本人に言えばきっと怒られるので告げてはいない。 「そんなに気落ちしないでください、アスランさん。私応援します」 メイリンが天使のような微笑みを向ける。彼女はいつでも味方だった。それは今も変わっていない。ここまで自分を応援してくれるのは彼女くらいだろう。アスランは心が合われた。今の流行は癒しである。 「アスハ代表に護衛は付いていないのか?入れ替わったとはいえ、流石にまずいだろう」 気を取り直したイザークは腕を組んだ。アスランはキラを見やる。彼女の居場所すらわかっていないアスランにはそれすらわからなかった。 「母さんが付いてるから大丈夫だよ」 「カリダおばさんと一緒なのか?早く言えよ」 心にもない軽すぎる謝罪を述べると、キラは舌を出した。珍しい組み合わせだと思ったが、口にはしなかった。キラの養母の彼女は双子の叔母で、彼らに残された唯一の肉親である。わからなくもなかった。 そこにいるほとんどの人間がカリダを知らないはずだが、無視してキラは続ける。 「カガリ、生まれのこと隠さなくちゃならないから母さんとふたりっきりでゆっくり話したことなかったらしいんだ。ウズミさんの奥さんもカガリが小さい頃に亡くなったらしいし、僕以上に母親に飢えてる。今日は目一杯母さんと一緒に過ごしたいって」 変声機ではなく、地声だった。喉が震えるためカガリの声も混じっている。まるで二人が同時に話しているようだった。キラの声もカガリの声も、いつもよりずっと暗い。 アスランは俯いた。カガリが母親を求めていたことに気がつかなかったのだ。キラのことならすぐ、どんなことでも手にとってわかるというのに、守るべき彼女の気持ちに気がついてやれなかったことが悔しい。 自分を責めているのがわかったのか、キラが優しく肩を叩いた。振り返ると笑顔のキラがそんな顔をしないでと言いたそうな目で訴えてくる。それだけでアスランは救われた気がした。 「言ったら母さん喜んじゃって。娘と一緒に買い物したり料理するのが夢だったのって。きっと普通の親子がするようなことしてるんじゃないかな」 先日の買い物のようなことにならなければいいとアスランは思った。料理に奮闘するカガリをイメージしようとしたが、彼女と料理が結びつかず、断念した。きっと女同士の楽しい会話をしているのだろう。それならば何故かイメージできた。 誕生日に自分と一緒にいたいというキラの我儘とパーティーなど面倒だから出たくないいうカガリの利害が一致したからから入れ替わったのかと思えば、カガリもキラが自分と一緒にいたいと思うほど強く、自由に人に会いたいと思っていたのだ。彼女が有意義なバースデーを過ごしていることを願って、アスランは筋肉質な影武者の手を取った。 *** アスハ代表がラクス・クライン一行を連れてきたことでパーティーは更に盛り上がりを増した。大切な友人へ贈るということで特別に歌を披露し、会場を酔わせた。キラはやっと食べ物にありつけ、皿に盛られたものをすぐに平らげてしまう。 アスランはシャンパンをもらい、ミートローフを頬張るキラがドレスを汚さないか心配していた。彼が食べ物を溢す確率はかなり高い。 「子守も大変だな」 やってきたのはイザークだった。ワインを手にキラを顎で指す。アスランは答える代わりに彼のグラスに自分のグラスを軽く当てる。イザークが鼻で笑い、飲み干した。アスランも同じくシャンパンを飲み干す。すぐに給仕がお代わりを持ってきた。二人ともシャンパンを手に取り、もう一度乾杯をする。 「ディアッカは?」 「あそこだ。女の尻を追っかけている」 グラスで指された方向を見ると、皿を抱えたディアッカがミリアリアの後ろをついて回っていた。アスランは苦笑する。二年前と何も変わらない姿だった。不死身のディアッカは健在のようだ。決め込んだ髪もすでに戻っている。 「変わってないな。安心したよ」 「変わらないのは貴様だ」 グラスを揺らし、互いを見やった。数年前は同じアカデミーで競い合っていたライバルとは思えない。お互い会場の空気がどうも性に合わないのが見え見えだった。アスランはキラの様子を時折気にしながら、暫くイザークと会話をする。アカデミーの昔話から、亡くなった仲間のこと、現在の情勢まで様々だ。ただし恋愛話は不思議と浮上しなかった。イザークの女嫌いは健在のようだ。ナチュラル嫌いだった彼がこうやって地球の国家のパーティーに護衛とは言え足を運んでいるのだから、彼女ができるのも時間の問題かもしれない。それがナチュラルならば周囲は皆驚くだろう。アスランは可愛らしい彼女と歩くイザークを想像して小さく笑った。イザークは自分が馬鹿にされたと勘違いをして憤る。誤解を解こうとするが、何を言っても逆効果だった。 ほろ酔いのイザークは止まらず、最終的には愚痴をこぼしはじめる。その大半がキラであることに頭痛が生じた。アスランが謝罪をすると、またいつもの勧誘が始まる。ザフトに戻ってこないかという台詞を何度耳にしただろう。その度に丁重にお断り、もしくは違う話題にすり替えていた。いつもならば苦言を呈しながらも引き下がる彼だが、アルコールが入っているため中々放してはくれなかった。 味方であるキラは食事に夢中で、アスランのことなど見ようともしない。イザークのストッパーであるディアッカも今はミリアリアを口説くのに必死で他の人間は見えていないようだった。アスランは断崖絶壁に追い込まれた犯人の気分だった。しかし何処にでも救いの手というのはあるものだ。 「楽しそうですわね。おふたりとも」 どこがだと反論する前に、イザークがアスランを解放した。声の発せられた方向を見ると、笑顔を張り付けたラクスがそこにいる。少し退屈そうな顔をしていた。後ろにはメイリンが付き添っている。 キラの居場所を聞かれ、指で示すと彼女は口元に手を当てて上品に笑った。アスランは彼女が口を開けて笑ったところを見たことがない。凝視していると、彼女がそれに気づき、首を傾げた。その仕草は婚約していた頃から何も変わらない。ラクスはきょとんとした顔でアスランを見つめてから何かを思いついたように手を叩いた。 「そうですわ。アスラン、踊りましょう」 ラクスは何のことでもないように言った。アスランは思いがけない展開に目を丸くする。何の前触れもない誘いだった。 「ダンスですか?だが俺は……」 辺りを見回すと、たくさんの男性がふたりを眺めていた。皆、ラクスにダンスを申し出たくて燻っている様子だ。彼女が高嶺の花過ぎてダンスを申し込むことすら気が引けてしまうのだろう。ダンス以外でもあまり話をしていないようだった。 「では……俺と踊っていただけませんか」 気を取り直し、アスランは形式に沿ってラクスにダンスの申し込みをする。手首を返し、彼女の手が置かれることを待った。喜んでとラクスが手を置く。アスランは彼女を連れてエスコートする。彼がラクスをリードできることがこの世に存在したことにアスラン自身驚きが隠せなかった。 ホールの中心に立つと、ラクスは左手をアスランの右手と組み、右手を預けた。アスランも左手をまわす。先ほどまで少ないが、まばらに踊っていた人々はいつの間にかいなくなり、彼らは注目の的となっていた。アスランがそれを訴えるが、勿論ラクスは気にも留めず逆にそれを面白がっているような素振りさえ見せている。彼女は暇つぶしにアスランを使ったのだ。そう思うと逃げたい気持ちでいっぱいになった。今更逃げるわけにもいかず、恐らく二度とないだろう彼女へのリードに集中することにする。 歌や絵画、楽器など芸術関係には疎いアスランがダンスが得意なはずがない。社交界に出るために一通り習わされたため人並みには踊れるが、誰かに見せられるほどのものではなかった。しかも最後に踊ったのは、婚約が破棄されていない頃である。相手がラクス・クラインであることにプレッシャーを感じた。 だが始まってみれば体が覚えているのか意外と踊れるもので、アスランは安堵する。ラクスがうまくフォローしたのもあるが、最悪の状態にはならなかったのである。ダンスが終わると拍手が起こり、次の曲が始まるとすぐ先ほど以上のカップルが輪の中へと入った。 アスランはラクスをイザークのところまでエスコートすると、元同僚は踊っている間に更に飲んだらしく、白い顔が真っ赤になっていた。先ほどまではいなかったシンが彼の餌食となっている。メイリンが苦笑していた。 息を切らしたラクスが給仕からノンアルコールカクテルをもらうと、それを一気に飲み干す。普段運動をしないラクスにとってダンスはスポーツなのだ。アスランは違う意味で汗を掻いていた。ラクスがお代わりをもらうと、複数の男性がゆっくりと彼女に近づいていく。そのうちの一人が顔を紅くしてラクスにダンスを申し込む。ラクスはいつもの笑顔でアスランのそれを受けたのと同じように返した。男性と輪に向かう途中、ラクスはキラのところに行こうとするアスランを呼び止めた。 「何人か女性と踊ったら、誘ってみては如何ですか」 彼女はやはり全知全能なのではないかと疑いたくなる。アスランはやっと彼女がただ退屈なだけでダンスに誘ったのではないと気がついた。踊りたいだけならイザークでもシンでもいいのだ。やはり彼女には敵わない。 |