インターチェンジツインズ |
アスランが四人目の女性とのダンスを終えると、先ほどまで椅子に座っていたキラの姿はそこになかった。会場を一周しても彼を見つけることはできず、辺りを見回す。熱に浮かれるパーティー会場は主役がいなくても十分盛り上がっている。ダンスに料理に世間話。その三つだけでこれほどまでに明るくなれるのが羨ましくもある。料理はともかく後の二つはあまり好きではないアスランには理解できないことだった。 ダンスから戻って十分弱。バルコニーで彼を見つけることができた。アスランは静かにそこに出る。騒がしいホールとは窓一枚隔てているだけなのに別世界のように気温も雰囲気も明るさもまるで違っていた。春とはいえまだ夜は寒い。海に面しているため潮風もきつく、上等とは言え薄い布一枚では厳しい。長袖のアスランでさえその寒さに一瞬肩を震わせた。 しかしキラはじっと前を向き、動かずに海を見ている。動くと言えば時折手に持ったカクテルを飲むだけだった。アスランは上着を脱ぎ彼の肩に掛けてやる。そこでやっとキラはアスランの存在に気がついた。 軽く感謝の言葉を述べると、海に向けていた体を翻し、上着の裾を持つ。影武者は笑顔を向けた。 「アスランってダンスも踊れるんだね」 「あれが踊れるというのならな」 自嘲気味に言うとキラが笑う。アスランはレディの髪や服の乱れを直す。食べることに集中しすぎたのか、汚れはないが草臥れていた。既に唇にルージュはなく、色の薄い唇が剥き出しとなっている。目元を抑えたので、アスランは咄嗟にそれを注意した。 「化粧が崩れるぞ」 「コンタクトがゴロゴロするんだ」 手で擦ろうとするキラの手を取り、アスランは彼の目を開かせる。そしてコンタクトをチェックした。コーディネイターには無縁のコンタクトレンズだが、付け方と直し方くらいは把握している。キラが痛くないようにコンタクトを直した。 それから静かに解放し、持っていた白いハンカチを折り畳み、布の角でキラの目元を吹いてやる。その行動にキラがしみじみと言う。 「アスランってやっぱり王子様だね」 「何言ってるんだ」 幼馴染み兼恋人のいきなりの発言にアスランは呆気にとられる。どういう意味で言ったのかわからず、彼の顔を覗きこんだ。悲しそうに笑っている。そこでやっと彼の異変に気がついた。 「みんなの王子様。女の子はみんな君と踊りたくて仕方がない。君がラクスと踊ってから君の周りを囲んでた」 「気のせいだろう」 鈍感とキラが言う。その通りかもしれないとアスランは笑った。それは自分自身を嘲る意味の籠ったものだったが、キラは違うように捉えたらしい。俯いて鼻を啜った。 「ひどいよ、アスラン」 「キラ?」 「護衛だっていっても僕はほったらかしで、見せつけるみたいに違う女の子と踊って。いつもならそんなこと我慢できる。だって僕は男で、君も男なんだ」 喉を掻き毟るように変声機を取ると、それを床に叩きつけた。頑丈にできたそれは壊れることはない。いつもなら叱咤するが、今のキラには厳しいことは言えなかった。 わかってはいるが胸に突き刺さる言葉だった。男同士。何度想いを断ち切ろうとしたことかわからない。男と女のカップルが平然と許されることも自分たちは許されないのだ。色んなものを犠牲にして、常に何かに耐えている。それを再び思い知らされるようだった。 一日アスランといられる権利と嬉しそうに抱きついてきたキラを思い出す。放ったらかしにされてどれだけ寂しかったことか。キラがどれだけ傷ついているのかはわからなかった。ただ溜め込んでいたものが音を立てて破裂し、彼にも制御できなくなっている。キラは泣きながらアスランに訴える。 「でも今日は僕の誕生日なんだ。よりによって誕生日にそんなことしなくてもいいじゃないか。僕の気持ちなんかちっともわかってないよ!こんなことなら影武者なんて……」 ルージュの感触が残る唇にアスランは強引に口付けた。彼を黙らせるために、そして彼を安定させるために。キラは目を見開いていたが、ゆっくりと目を閉じる。アスランに抱きついたことで下ろし立ての上着がバルコニーの冷たい床に音もなく落下した。 長いキスを終えると、アスランは微量のルージュを手で拭った。窓から届く弱い光りでも手の甲に付いたそれは確認できる。そこでやっと自分がしたことに気がつき、恥ずかしくなった。 恐る恐るキラを見やると驚きで涙が止まり、虚ろな瞳をしていた。涙を流したにも拘わらず、化粧は崩れていない。化粧品という未知の物体はアスランが思っているよりもずっと高度な技術があるようだ。男性が踏み入れてはならない領域なのかもしれない。女性と同じくその魅力を増大させる化粧品は不可解だった。 目尻に残った涙をそっと拭うと、アスランは再び恋人を抱きしめた。ないはずの豊かな胸がシャツ越しに触れた。薄い胸板に慣れてしまったため違和感がある。 「……俺がお前だけど踊れば妙な噂が立つかもしれない。でも他の女性とも踊ればただのダンスだと思ってくれる。だからなるべく多くの女性と踊った」 キラが目を丸くする。潤んだ瞳にどこか色を覚えた。アスランは恥ずかしさから視線を逸らす。 「僕のため?」 「じゃなければ俺が知らない女性とダンスをすると思うか?」 キラは暫く考えてから首を横に振った。それを見て安堵する。一生に一度くらい人の目の前で踊るのも悪くないだろう。普通の恋人同士になれたように錯覚するくらい自分たちの自由だ。 先ほどまでヒステリックに叫んでいた人物と同じとは思えないほどにキラは落ち着いていた。余裕のできた彼は、アスランのシャツを引き寄せて口付けをする。応える代わりに硬い腰に手を回した。耳元でキラが笑う。 抱擁を解くとアスランは落下した上着を軽く叩いた。そしてそれに腕を通し、手櫛で髪を梳かす。気障なことは慣れない頭と体で一生懸命特別さをアピールした。できるだけ優しく手を差し出すとキラが目を輝かせていた。 「キラ、俺と踊っていただけませんか?」 紳士を演じるアスランをキラは茶化すが、アスランは反論しなかった。キラはアスランの手を取り、承諾の言葉を返す。自分の髪に付いた紫掛った青い花を毟ってアスランの胸ポケットに入れた。アスランは彼をエスコートしながらバルコニーを後にする。やはり恋人にはどこまでも甘かった。 *** パーティーが終了し、招待客を帰して役から解放されたのは午後十時をとうに過ぎていた。扉が開くと同時に傾れ込む。キラもアスランも着替えずにパーティーでの格好のまま宿舎に辿り着いた。部屋に入ると、自動的に玄関の電気が点く。アスランは先に上がると屈めないキラの代わりに平たいパンプスを脱がせた。その間にキラはウィッグを取り払い、放り投げてしまう。アスランは頭上に降ってきた金髪を抓んで、パンプスと一緒に置いておいた。 キラは汗で張り付いた髪を手でくしゃくしゃにすると、その場でカラーコンタクトを外そうとする。アスランはそれに気がつき、先ほどと同じく恐怖を与えないように目を開けさせ、人差し指を近づけた。それだけでコンタクトから外れてくれる。指先にオレンジ色のコンタクトが吸い付き、キラの紫の瞳が現れる。アスランはやはりこちらの瞳の方が好きだった。それを口にはせず、瞼に唇を落とすという行動で現す。 それに気をよくしたキラがアスランの顎を掴み、口付けた。蕩けるような熱に火照ってしまいそうになる。しかしキラはヒートアップする前にアスランを解放した。物足りないアスランが彼を見つめた。 「踊ろう!」 アルコールの力なのか、キラはテンションが高かった。答えを聞かずにアスランの手を取り、飛び跳ねている。下に迷惑が掛ると思ったが、防音性抜群で、フラガ一家は一軒家に移り住んだため殆ど宿舎を使うことはない。あまり考えなくて良さそうだった。 「さっき踊ったばかりだろう?」 アスランは溜息を吐いた。思い出すだけでも恥ずかしい。輪に交じって隅で踊ろうと思っていたのだがキラはわざと目立つところに立ち、注目を浴びたのだ。その上キラがダンスを踊ったことがないとは知らないアスランは何度も足を踏まれた。確認していないので定かではないが、足を負傷しているだろう。極めつけに自分のドレスの裾を踏んでバランスを崩して転んでしまったキラを庇い、ホールの真ん中で受け身を取ったのだ。ダンスでの転倒ほど情けないものはない。 非常識さに怒りに震えるイザークを思い出す。ラクスは転倒とは違う意味で楽しそうに笑っていた。それでも口元に手を当てるだけの笑いだった。 「踊ってないよ。あれはカガリで、僕は踊ってない」 膨れたキラが声を低くする。少し悲しそうな彼にアスランは謝罪した。一瞬気を落としキラだったが、それを聞いてまた明るい声となる。まだ誕生日は終わっていない。彼に付き合うしかなかった。 口で即席のメロディーを奏で、上機嫌なキラが懸命にステップを踏む。アスランは彼がどう動いてもいいようにゆっくりとリードした。少しずつ焦らすように玄関からリビングへと移動する。踊るスペースが至るところにあるほど、この部屋は広い。やはりひとり暮らしには贅沢すぎるとアスランは思った。 ダンスの終着点はベッドルームだった。どちらかが言ったわけではなく、ごく自然な流れ。それはキラの願いでもあり、アスランの願いでもあった。 「リードがうまいな、僕の王子様は」 キラはアスランの胸ポケットに入っていた青い花を取ると、匂いを嗅いだ。本物ではないが、触らなければ見分けが付かないほどリアリティがある。その花で顎を撫でられ、アスランは小さく反応する。 「我儘な姫が相手じゃな」 でたらめなメロディーを口ずさみ、滅茶苦茶なステップを踏むキラに合わせているといった方が厳密かもしれない。笑いながら言うと、キラも忍び笑いをする。それから持っていた花を床に放り投げ、代わりに手をアスランの顎に当てた。指と爪の感触に背筋に電流が走る。 突き飛ばされるように力強く押し倒され、ベッドが大きく揺れた。 「でもこっちのリードは僕だよね」 そこに取り替えっこなんて可愛らしい遊びをする子供のような准将はそこにはいない。いるのは鋭く獰猛な目をしたひとりの男である。ドレスを着ても、化粧をしても欲の孕んだ視線は隠すことができない。アスランの隠された欲望を呼び起こす暗示のようなものだった。それにいつも負けてしまう。 キラはリアルを追求したパッドを外し、それを放り投げると間を入れずにアスランに口付ける。お互い結構な量を口にしているためアルコールの味がした。絡んだ熱がいつもより高い気がする。切なげに吐かれるキラの息に胸が苦しくなった。 アスランは呑み込まれそうになりながらも必死にキラの胸を叩く。そこはもう豊満でやわらかな感触はない。いつもの薄い胸板に鈍い音がするだけだった。 だがキラはアスランのことなどお構いなしに手を進めていく。おろし立ての上着は皺だらけになっていた。 あまりにしつこく胸を叩くアスランに渋々キラが従う。離れたことによってだらしなく唾液が耳元へ伝った。キスによって空気を奪われたアスランは肩で呼吸をし、歯の内側を舌でなぞる。呼吸を整えて口を開こうとするとキラがそれを認めないとでも言いたそうに首筋に鼻を擦りつける。 「埋め合わせ、してくれるんでしょう?」 甘える声ではなく色気の漂う声で囁かれ、アスランは熱くなる。行為の直前はどこか強引なところがある。彼が可愛らしく振る舞うのは余裕があるときだけだと知っているのはアスランだけだった。 「ちょっと、待……」 「だめ。待たない。アスランが寝ちゃう前に寝れなくしなきゃ」 数日前のことを指摘され、アスランは過剰に反応した。そして言葉のまま受け止めて赤面する。耳まで紅くなっていそうだった。それをキラが感じたのか、耳を甘噛みしてくる。思ってもみないそれにアスランが耐えていた声をあげてしまった。 「キ……キラ、ドレスが!」 「いいじゃんこのままで。ムードが台無しになっちゃう」 無頓着なキラは額にキスをして、誤魔化そうとする。アスランは懸命に彼の胸元を引っ張った。彼は面倒そうに上体を起こす。ドレスは既に皺だらけになっていた。皺だけならまだいいが、汚しでもしたら大変なことになる。借りているのがいくら彼の姉だろうと、道具のような使われ方をされたものは着たくないだろう。それにいまから付くとすればただの汚れではなかった。 値段が安ければ弁償すると言いたいところだが、プラントでも裕福な暮らしをしていたアスランでさえ顔が引きつるほどの高価なドレスだったのだ。准将とはいえ一軍人のアスランの二ヶ月分の給料とほぼ同等である。 アスランのそんな考えもお構いなしに、キラはどんどん先へ進んでいく。気がつけばシャツのボタンは全て外されていた。大声で名前を呼び、注意しようとすると上目遣いで小動物のように瞳を潤ませる小悪魔がそこにいた。 「まだ今日は僕の誕生日なんだ。だから僕の好きにさせて、ね?」 キラは壁に掛けてある時計を指さした。まだ十一時十五分前である。アスランは大げさに溜息を吐いた。 「お前が好きにしないときがあったか?」 アスランが鼻で笑う。それはキラを甘やかせ続けた自分の責任かもしれない。特に戦争が終結して同じ軍に身を置く上で、仕事中はプライベートとのけじめをつけるために彼に厳しくすると決めてから、その反動でプライベートは何でも彼の言いなりになってしまうようになった。どんなに呆れても、アスランは文句を言いながらもそれを受け入れる。嫌だと思ってもキラが望むことなら与えてあげたいのだ。 その結果が今の逆らえない状態だった。それをアスラン以上にわかっているキラは、何か理由をこじつけてアスランを黙らせてしまう。 キラはアスランの問いに答えなかった。答える意味がないのだ。彼が前屈みに体重を掛けるとベッドが軋む。臍の窪みに触れられて腰が浮いた。何もかもを知る手が全身を這う感触に加え、肌に触れるドレスの柔らかな生地が腹部を擽る。アスランは薄く口を開くとキラの耳元でそっと囁いた。それは誰も知らないふたりだけの秘密の言葉。 *** 翌日、一週間ほどの休暇をもらったアスランはキラの誕生日プレゼントに旅行をプレゼントした。とある南の島へバカンスに行くのだ。皺になったチケットを上着のポケットから発見したキラによってアスランはハグ&キス攻撃で起こされた。 キラはよほど嬉しかったのか、自分から朝食を作ると言いだしキッチンに立っている。フリルの付いたエプロンではないのが残念だとアスランは冗談交じりに思った。言えばきっと裸エプロンなどくだらないことをやりそうなので黙っておく。 ふたりで暮らすには丁度いい広さの部屋。キッチンからはキラの悲鳴が響いていた。アスランは仕方なく起ち上がるが、腰に鈍痛が走る。椅子に戻り、腰をさするとキッチンから鍋がひっくり返る音が聞こえた。アスランはこめかみに手を当ててその惨事を想像しないようにした。 インターホンが鳴り、アスランも卵の欠片を頭に乗せたキラも目を合わせた。すぐさま緑のエプロンをしたキラが通信機の前に立つ。 「は〜い」 キラは稀に見ぬ上機嫌だった。二人でいるときに第三者が来るといつも機嫌が悪くなる。特に寝起きの悪い彼にとって朝の来客は基本的に無視をするのが常だった。同一人物とは思えない対応にアスランは声を潜めて笑った。プレゼントを喜んでもらえたのならこれほど嬉しいことはない。 今開けるねと、キラが玄関に向かっていく。暫くして彼が引き連れてきたのはカガリだった。彼女も同じく上機嫌である。運転手は下に待たせているのだろう、珍しく一人きりだった。軍服ではなく私服であることからお忍びであることが窺える。手には大きな紙袋を持っていた。 「アスラン、昨日はすまなかったな。驚いただろう?」 カガリが紙袋を持っていない方の手でアスランの肩を叩く。謝っているのに悪いとは思っていないようなトーンだった。 「驚いただろうじゃないだろ。全く君は国家元首なんだぞ。今後ああいうことはするなよ」 アスランは呆れた口調で言った。これで甘い顔をしたら度々入れ替わりをしそうだ。パーティーならまだしもカガリの公務をキラがこなしたらと想像するだけで眩暈を覚える。准将としての仕事も怠けるキラに彼女の代わりができるはずがなかった。週休六日制の提案でもしそうだ。そんな提案が通るはずもないが。 「わかった、わかった。でも連れ戻さなかっただろう?」 「それは、まあ」 「そのお陰で、私はカリダさんと色々話せたし。買い物も料理できた」 感謝の気持ちを込めてカガリがアスランの額にキスをした。キラもその意味がわかっているので何も言わず、アスランの前にマグカップを三つ置いた。先ほどは頭しか見えなかったが、肩にも胸元にも卵の欠片がくっついている。それを見てカガリが目を丸くした。そのまま視線で説明を求められ、アスランは首を横に振る。それだけでカガリは理解したようだった。 その卵を見て気がついたように紙袋の中からタッパーを取りだし、コーヒーの隣に置く。カガリは半透明のその蓋を開ける。コーヒーの匂いを打ち消すほどの甘い香りが漂った。 「カリダさんに教えてもらったんだ。見た目は悪いけど味は結構いけるぞ」 恥ずかしそうなカガリを見てキラとアスランは目を合わせた。動けないアスランを気遣い、新妻のキラが食器とフォークを取りに行く。食器はほとんど二組しかないため、一人はスプーンとなってしまう。アスランは進んでそれを選んだ。 均等に切り分ける役も何も言わず、アスランの役目となった。キラは偶数以外の等分はできないのだ。カガリも同じようなものだった。ふたりともやろうとしないだけだが。怠けものの姉弟。アスランが真剣に考えていると両側の双子がじっとそれを観察している。その瞳があまりにもそっくりでふたりにわからないよう小さく笑った。 分け終わると、タッパーから皿に移し替える作業に進む。制作者の言うとおり、随分と柔らかくできていた。慎重に作業を完了させると、甘いものに目がないキラが飛び跳ねて喜ぶ。その振動でアスランのものになるだろうケーキが倒れた。 キラは気まずそうに席に着く。カガリも空いている席に座った。一人部屋とは言え四人用のリビングテーブルが備わっていた。キラとアスランはいただきますと言ってほぼ同時に口に入れた。カガリが不安そうに目ふたりの顔を覗きこむ。普通の女性のようで可愛らしいと純粋に思ってしまう。言えば愛の鉄拳がふってきそうだ。 「おいしいよ」 「うん。母さんの味と一緒」 アスランはまた当たり障りのない言い方をする。感想を言うのは苦手なのだった。確かに懐かしい味がする。自分が食べることも想定していたのだろう、砂糖控えめに調整してあるところが何とも言えない。甘党のキラも久しぶりの母親の味に満足げだった。 アスランはコーヒーを啜りながら、恋人の口元に付いたクリームを取ってやる。それをナプキンで拭こうとすると、キラがその手を掴み嘗め取った。それに過剰に反応すると、彼が悪戯に笑う。 「それより、昨日のパーティーはどうだった?」 新婚夫婦のような雰囲気を漂わせる弟カップルを見たカガリが咳払いをした。会話を切り替えた瞬間、キラとアスランはその場で固まってしまう。昨晩のことがフラッシュバックする。厳密に言えば、大勢の人間の前で恥を掻いたことだが、口が裂けても彼女には言えない。 「うん、まあ。上々かな」 キラが満面の笑みで答え、アスランはコーヒーを飲むことで誤魔化した。彼と違ってアスランは顔に出るタイプなのだ。カガリも笑顔を崩さなかった。 「そうか。ドレスの裾踏んで派手に転んで上々か」 彼女の言葉にアスランは咳き込んでしまう。コーヒーを吹き出すことがなかったのは幸いだった。何故それを知っているのかという目でカガリを見つめるが、彼女は答えない。アスランはカップをテーブルに置き彼女にどう説明しようか迷った。 「違うんだカガリ。キラだけのせいじゃない俺が……」 「そうだな、お前も悪い。けじめとか言いながら結局キラに手を出してるしな」 アスランの言い訳をカガリは一刀両断した。その切れ味は抜群である。カガリはポケットから一枚の写真を出し、皿が隅に置かれたテーブルに出した。アスランはその写真を凝視する。キラとアスランがバルコニーで口付けをする瞬間だった。ドレスを着たキラがアスランの襟を引き、アスランは彼の腰に手を回していた。言い逃れのできない証拠にふたりは愕然とする。 アスランがカガリを見ると、無表情の彼女が見下ろしていた。そして紙袋から新聞を取り出し、同じようにテーブルに置く。それを見てアスランは目を見開いた。 「今じゃ国中が私とお前がカップルだって思ってるぞ!しかもラクスを入れて三角関係ってな」 今日付の朝刊の一面には先ほどの写真と、ラクスとアスランがダンスをしている写真が掲載されていた。見出しは『アスハ代表、熱いキス!お相手は歌姫の婚約者』。小見出しには『ふたりの姫を弄ぶプレイボーイ?』とあり、アスランのことは前議長の息子であること、ザフトにいたこと、ラクスの婚約者であること、カガリの護衛をしていたこと、そして現在はオーブ軍に在籍していることが書かれてあった。名前は載っていないものの、誰がどう見てもアスランである。しかもラクスという婚約者がありながらカガリに手を出しているという最低男に書かれていた。アスランはあまりの衝撃に気を失ってしまいそうになる。 「暫く旅に……」 アスランは恋人の手を取りその場から逃げ出そうとする。スーツケースを取り、国外逃亡を図った。運良く今からバカンスに行く予定でチケットもある。絶妙なタイミングだった。しかし現実はアスランが思っているほど甘くはなかった。カガリはアスランを逃がすまいと肩を掴む。トレーニングが趣味であるということを示すには十分の力だった。アスランは恐る恐る振り向く。 「午後三時から記者会見を開く。もちろんお前達の休暇はなしだ」 キラが悲鳴をあげる。カガリは笑顔でテーブルの上にあったチケットを破り、床にまき散らした。ひらひらとチケットの破片が宙を舞う。それと共にふたりだけのバカンスも跡形もなく消えた。 アスランとキラは休暇を返上し、事後処理に当たることとなった。バカンスを潰されたキラはそのショックのあまり、殆ど役に立たない。そんな今現在はひとつ年上の彼を横目で見ながら、アスランは彼と一緒にいられるのならば何処でも構わないのかもしれないと思った。 END |