アプリリウスに戻ったキラ達ヤマト隊はエターナルをドックに収容後、軍司令部へと向かった。勿論ヤマト隊全員ではなく、エターナル艦長であるアーサーとヤマト隊副隊長であるシンとキラの三人である。キラは報告の後、休暇の申請をしようと考えていた。一日でも、半日でもいいからアスランの元に行き彼の誕生日を祝いたい。プレゼントはまだ用意していないが、休暇が出来たらアプリリウス市内で購入する予定だった。
一週間にわたる任務により疲労は更に蓄積され、体中が悲鳴を上げていた。
彼ら三人が通路を通ると、通行人が珍しい物でも見るような視線を送った。元地球軍の少尉、オーブ軍の准将をし、アカデミーも出ずに白服になったキラに対して軍は冷たかった。「何故アスラン・ザラでないのか」と誰もが影で言う。ヤマト隊と同じくラクスの護衛を担うジュール隊のイザークでさえそう思っていることも、キラは知っていた。
キラは口を真一文字に結び、まっすぐ前を向いて歩く。俯いていれば周囲の思うつぼだ。キラはザフトにいるのは軍のためでなく、プラントのためでもない。プラントを母国と謳うアスランとは違い、コーディネーターとはいえプラントには何の思い入れもない。全てはラクスと願う平和のため。
「キラ、お帰りなさい」
扉が開き、見慣れたピンクの髪を靡かせ、ラクスが彼を出迎えた。いつものように笑顔でキラを受け入れる彼女をキラはそっと抱きしめる。親愛を込めたその行為をラクスはそのままキラへと返した。
「ただいま」
キラはすぐに彼女を解放すると、変わりのない彼女を見て安堵した。ラクスの後ろに控えているイザークがキラを睨み付け、ディアッカが苦笑いをしている。
「キラ、報告を聞きますわ。ジュール隊長も一緒に来てください」
ラクスを先頭にキラとイザークが並んで彼女に続く。ラクスが通路を歩くと、交う人全てが挨拶をし、敬意の籠もった視線を向けた。それは若くしてザフトを担うイザークに対しても同様である。先ほどとは打って変わった軍の人間の態度ももう慣れてしまったキラにとってはさほど気にする要因ではなかった。
ラクスの執務室に通されるとすぐに厳重に施錠をし、外界をシャットアウトした。ヤマト隊がこなしたのは極秘任務であり、第三者に伝わるといらぬ混乱を来すおそれがある。
「――それで、どうでしたか?」 「やっぱりただのデブリ帯だったよ。あそこにあんな数あるっていうのは妙だけど……」
ヤマト隊はL4コロニー群付近にできたデブリ帯の調査に向かったのだった。ただのデブリ帯ならば宇宙中に存在するが、その質量と場所は不審に思うのが当たり前である。
「しかもここ最近急激にということは……嫌な予感がするな」
イザークの脳裏に浮かんだのはユニウスセブンの地上への落下だった。彼は破砕作業に参加し、それが同じザフトの人間の仕業であることを知り衝撃を受けたひとりだった。ブレイク・ザ・ワールドにより世界は混迷し、再び戦争が起きてしまった。イザークはそれをいまだに悔やんでいる。破砕作業がもっと円滑に行われていたのならば、大気圏で破片が燃え付き、地球に被害が及ばなかったかも知れない。
「人為的な装置だとかそう言ったものは見受けられなかったけど……」 「レクイエムだって廃棄コロニーを利用した大量破壊兵器だっただろう」
イザークが強めに言う。人為的なものを感じられなくても、何が起きてもおかしくない程技術は発達している。悲しいことに兵器も同じである。再び悲劇を呼ぶことはあってはならないのだ。
「デブリ帯の軌道はどうですか?」 「安定しているよ。専門機関に調べさせたところかなりの確率で変わることはないって。ただ、あれが何の破片なのかとかはまだ出ていない」 「出るまでどれくらいですか?」 「二日以内だと思う」 「今月中にはどうにか解決しないとなりませんわね」
キラはその言葉を聞いて口籠もる。今月中ということは、アスランの誕生日に休暇を取るのは不可能と断言されているに等しい。キラは一気に気持ちが急下降していくのがわかる。
ラクスを支えるためにザフトに入ったことはキラの意志であり、多忙を極めることも承知の上だった。恋人と遠距離恋愛になるのも、たまにしか通信で話せないこともどうにか我慢できる。他のことならきっと耐えられるのに、今のキラにはアスランの誕生日にどうしても傍にいたいと強く願っている。口には出さないが、心の中では小さな子供が駄々をこねるように叫び続けていた。
「キラ……、どうなさいましたの?」
ラクスがキラの顔を覗きこむ。そっと頬に手を当てられてキラは現実に引き戻され、心配そうにキラを見つけるラクスの整った顔がそこにあった。
「ううん……何でもないよ」
いきなり出来たデブリ帯をどうにかしなくてはならないという話しをしているのに休暇を申し出るほど彼も馬鹿ではない。喉まで出てきている言葉を封じ込め、キラはなるべく自然に笑顔を作った。
***
キラは打ち終わったメールを見て溜息を吐いた。内容はごくごく簡単なものである。誕生日に休暇を取れなかったこと、プレゼントだけでも贈りたいから何が欲しいか言って欲しいこと、それからとても逢いたくて溜らないということ。送信しようかしまいか考えて、あることに気がつく。
「どうせ“俺は気持ちだけで十分だよ"とか言うに決まってる……」
キラはアスランの真似をしてみせる。似ていると評価する観客もおらず、室内は沈黙に包まれた。何が欲しいかという文を消し、もう一度最初から読み直してみる。そこでもうひとつ気がついてしまった。ものすごく逢いたいなどと書けばアスランは心配するのではないか。そんな考えが浮かび、キラはその文も削除する。
結局残ったのは誕生日を祝えないこととその謝罪の文だけである。キラは深呼吸をしてからそのメールを送信した。
通信手段がメールになってしまったことにキラは申し訳なく思っていた。ミリアリアのメールにはアスランも通信する余裕がなく、履歴をチェックするのも大変だと聞いていたため、すぐに読むことのできるメール以外は手段がないのだ。
意外にも早く返ってきたメールをすぐに開く。
そこには誕生日だということを忘れていたこと、気にしないでほしいということ、それからキラの体や生活、軍の中でのことを気遣うアスランらしい言葉が並べられていた。アスランが忙しいということは全く記されておらず、無理をしているのではないかと逆に心配になった。
“プレゼントだけでも贈るから欲しい物何でも言って。ちゃんと当日着くようにするから"
キラは先ほど削除した文をやはり送る気になり、それをすぐに送信した。暫く経つとアスランから再び返信される。
“俺も明後日はスケジュールが埋まってるからそんなに気にするな。プレゼントも気持ちだけでいい。もうモルゲンレーテに行く時間だから、またな"
遠慮がちな彼らしい文章。その中にある短い言葉で忙しいことが窺える。キラはわかっていながら気分が落ちていくのを感じた。
アスランの誕生日を祝いたいなどと言っておきながら、本当はただ単に無理にでも彼に会いに行く口実が欲しかっただけなのだ。彼が忙しくてもほんの何分でもいいから、会いにとんでいくだけで。しかし、今この状態ではキラも動くことが叶わない。会いに行くどころか睡眠時間すら限界ギリギリだった。
キラはそこであることを思いついた。この仕事を何が何でも早く終わらせる。ラクスに頼み込んで一日でも半日でも休暇をもらい、アスランに会いに行く。それは言葉で現すよりずっと困難なことであったが、彼は何としてでもアスランに会いたいがため、それを実行することを決意する。
彼は目を閉じ、一度深呼吸をした。種が弾ける音が脳内に響き、思考が何かに囚われそうになるのを理性で抑えつける。それからゆっくりと瞳を開けた。
***
苦しくなった首もとを少し緩め、アスランは卓上の時計を眺めた。時計は午前三時を回っている。
「誕生日……か」
忙しくてそれどころじゃなかったからな、と心の中で付け足した。毎年毎年何かといって忘れても皆が祝ってくれた。特にオーブに来てからはカガリやキラが盛大に祝ってくれて、最後の方はいったい何の記念日なのだかわからなくなるほどだった。
アスランは胸元から写真を取り出す。再会後のキラとアスランの貴重なツーショットだった。アスランはまだ傷ついたままで、キラが心配そうに包帯を巻いていた。アスラン自身はこれがいつ撮られたものなのか知らなかった。ミリアリアが副官になったときにお近づきの印に、などと言って渡す物だから恐らく彼女が隠し撮りした物なのだろう。それに気がついたときは顔から火が出るくらい恥ずかしかったことを彼は今でも覚えている。
重ねてある写真をもう一枚取り出すと、そこには白服のキラがそこにいた。アスランがプラントまで護送したときのものである。笑顔はなく、少し凛々しい大人びた表情。アスランは彼の笑顔も好きだが、真面目な表情のキラも好きだったりする。
写真を指でなぞり、四角に収まった恋人に思いを馳せる。それから肩に乗っているトリィを羨ましく思った。四六時中キラと共にいられるなんて、自分が作りだしたものとはいえ、嫉妬の対象になりそうだ。そんな馬鹿馬鹿しい考えをアスランは首を振って捨て去る。
いつもならスイッチを切り替えればプライベートのことは考えないようにしているのに、今日はなんだかおかしかった。キラのことばかりで仕事が進まない。原因は彼からのメールだろうとアスランは思っていた。
「言わなければ気がつかないで済んだのに」
忘れたままならばこんな風に寂しさを感じることもなかった。キラが申し訳なさそうな文を送ってくるから気になって仕方なくなってしまった。
アスランが誰もいない准将室で項垂れていると、その気持ちを凍り付かせるような緊急通信の着信を知らせる電子音が鳴り響く。アスランはその音に過剰に反応し、通信機へと急いだ。
サウンドオンリーとカガリの名前が表示されたディスプレイにアスランの背筋が凍った。一気に緊張が高まり、急いで通信ボタンを押す。
「カガリッ!?」 「アスラン、官邸の正面玄関前に来てくれ!緊急だ!」
彼女が慌てふためいているのが声色からでも読み取れた。アスランは状況を聞こうと彼女に返すが、通信はそこで途絶えてしまい、彼女は応答しなかった。アスランがもう一度カガリに通信をしても回線が遮断されており、繋がることはなかった。アスランは慌ててコントロールルームに通信を試みるがそちらの回線も絶たれていて無駄だった。
カガリが危ない。そう判断した頃にはアスランは疲労困憊した体を走らせていた。人気のなく、節電のために非常電灯のみが青白く足下を照らす通路をアスランは全力疾走した。
その間に何が起こったのかを想定する。テロリストによる襲撃か、反アスハ派が誘拐したとも考えられる。そこでまず思い浮かんだのは五氏族の面々だ。特にサハク家の人間はアスハを目の敵にしている。確かにカガリが死ねばアスハ家は途絶え、五氏族の他の当主が国家元首になるだろう。
「カガリ!くそッ」
アスランは舌打ちをし、辺りを見回した。いくら急いでも准将室から官邸の正面玄関までは五分以上かかる。アスランは息を吸い、ひとり頷いた。それから窓を開け、窓枠に手をかける。一気に跳び上がり、手を突いていた窓枠に登り、見下ろした。
彼は躊躇することなく三メートルは下にある木へと飛び移った。太い枝に掴まると枝は彼の重さに耐えきれずに大きな音を立てて折れる。仕方なくアスランはそのまま着地した。コンクリートでなかったことが救いであるが、草とはいえ三階から飛び降りた衝撃は大きい。その大きさにアスランは眉をしかめた。
ナチュラルよりも丈夫な作りをしているため骨折まではいかないが、恐らく後で腫れることを予想する。アカデミー時代のサバイバル訓練の際にもっと高い場所から降りたことがあったが軽傷で済んだというのに、デスクワークで体が鈍ったらしい。
アスランは足に手を添え、痛みをやり過ごすと胸元にある銃を取りだした。安全装置を外し、息を止める。低い体勢で物陰に隠れながら正面玄関へと急ぐ。飛び降りたおかげで何倍も早く目的地に到着するが、そこにはカガリの姿は既になかった。
カガリどころか人一人見あたらないのである。アスランは訝しみ、辺りを注意して見回した。自分の気配を消し、銃を取り、息を潜めながら。やはり何の気配もなく、アスランは自分の心臓が早鐘を打っているのがわかった。
「カガリ!」
アスランは大声で彼女の名を叫んだ。応答はない。
息を切らしながら、アスランは官邸の正門から外に出ようと走った。カガリが連れ去られたならば犯人はきっとまだ遠くへ行っていないはずだから。
アスランが官邸の敷地の外へ向かっていると、けたたましい金属音が静かな夜明けのオーブに響いた。その音の原因がモビルスーツであるということはモビルスーツパイロットである彼ならば即座にわかることである。
彼は空を見上げた。モビルスーツで逃げられたのならばそれを追うしかない。ジャスティスは一番遠い格納庫に収容中のため、それで出撃しようとすれば容易に逃げられてしまう。しかしモビルスーツが量産機であれば所属がすぐに特定できる。そして各国のモビルスーツが頭に叩き込んである彼には、それが可能だった。
先ほどまで薄暗い程度であった空はいつのまにか太陽が顔を出し、官邸を染めていた。太陽の方角に現れているモビルスーツに彼は目を細めた。辛うじて影は見えるものの、あまりに眩しすぎて機体の判別ができない。
徐々に大きくなる金属音は、そのモビルスーツが彼に近づいてきていることを示していた。しかしアスランは下がることなく、必死に機体を一目見ようと凝視する。意味のないこととわかっているが、銃をモビルスーツに向けた。
近づいたモビルスーツが太陽を隠し、機体が克明に晒された。その姿にアスランは目を見開く。

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