中立を唱えるオーブ連合首長国。先の大戦でプラントと戦った爪痕は時間が経った現在も尚所々残されている。ユニウスセブン落下により他の国も他国の面倒まで見ていられる状況でなく、各国各々が自国の復興のため最善を尽くしていた。
それは宇宙に存在するプラントも同じ事で、レクイエムに撃たれたことやクライン派とオーブ勢力との戦闘での痛手は思ったよりも深かった。何よりレクイエムの攻撃によって崩壊してしまったディセンベル・セブンとディセンベル・エイトの被害はユニウスセブンの被害を全てにおいて大きく上まった。
地上も宇宙も混乱を極める中、大々的に戦争をしていたプラントとオーブがその先陣を切り復興に努めることはある一種の義務である。クライン派とオーブ軍の義勇軍のコーディネーターのほとんどがラクス・クラインと共にプラントに帰国し、ナチュラルのほとんどがオーブへと身を置くことを決めた。それはクライン派の掲げるナチュラルとコーディネーターの共存という希望とは全く逆の方向になってしまったが、彼らが両極端に別れることによって内側からの改革を推し進めるという一種の道であるのかもしれない。長い道のりではあるが、ナチュラルとコーディネーターはお互いに歩み寄ろうとしていた。
そんな中、プラントとオーブの勢力を均衡にするためにキラとアスランは別々の道を取った。キラはラクスを守るためにプラントへ、アスランはカガリを支えるためにオーブへ。再び二人は離ればなれとなったのである。しかし幼い頃の別れや戦争中の決別とは違い、自らが決めたことであることや、プラントとオーブが既に友好国であることから、距離以外の問題はないと軽く決めつけていた。
特にキラは状況をやや楽観視しており、休暇にはフリーダム単機でオーブへと帰国し、アスランに会いに来ればいいと思っていたほどである。友好国のためそれはさほど難しいことではないのだが、その“休暇"というものがないため、彼の計画は意味をなしていなかった。
「着信無し……」
アスランは通信機の事務的な文字を見て、内心落胆した。もう一週間、キラと通信を交わしていない。しかもその一週間前はサウンドオンリー、つまり音声通信であり、顔を見て話したのはもう三週間以上前の話しになる。生身で会ったのはキラをプラントへ送り届けた時。もう半年ほど前のことだ。
会えなければ会えないほど彼への気持ちは募る一方で、寂しさばかりが重なっていく。しかしアスランも寂しがってばかりいられないのが現実だった。復興をはじめ崩壊寸前のオーブ軍の再編成、カガリの補佐、それに加えモルゲンレーテに度々技術提供を求められる日々。多忙を極めるカガリに心配されたほどアスランは忙しかった。
この通信チェックも三日ぶりのことで、またすぐにカガリの所に行かなくてはならなかった。今までは忙しいなりに休息も取れたのだが、ここ一週間のスケジュールは殺人的だった。それは彼が誰かの陰謀すら感じるほどで、そのスケジュールを調整する人間のことを考えてアスランはぞっとした。
「アスラン、平気?顔真っ青よ」
軽いノックの後入ってきたのはアスランの副官であるミリアリアだった。勿論アスランが彼女を副官になって欲しいと頼んだわけではない。キラが彼女に頼んだのだ。アスランが他の人間と親密にならないよう彼女に監視させるために。そんなことを露知らず、アスランは完全には蟠りの解けていないミリアリアとの空間に毎日必死に耐えていた。
「ああ、平気だ。最近忙しくて少し睡眠不足なだけだ」
殺人的スケジュールを調整しているミリアリアは横目で彼を見て、すぐに脇を通り過ぎた。そして准将室に用意された給湯室で彼に出すコーヒーを用意する。
「キラからまた通信来てなかったの?」
「ああ、やはりプラントも色々忙しいみたいで」
「ふーん」
ミリアリアはつまらなそうな表情を浮かべた。やっぱりね、と言う彼女の付け足しはアスランの耳には届いていない。アスランはすぐに通信から通常業務へと切り替え、PCにディスクを挿入した。フラガ一佐からの報告書である。緊急らしいので最優先にと言われて渡されたものの一つだった。
アスランの仕事はAからDにランク付けされており、Aが最優先、Bは至急、Cはなるべく早く、Dは時間があるときに、といった風にわかりやすく分けられている。分けるのはミリアリアと彼を補佐する一佐達。各々処理できる物は処理をし、出来ない物や確認だけのものだけをアスランにまわす。それでも終わりの見えない仕事だけが山積みになっていった。
ミリアリアがウサギの絵柄のマグカップをアスランの机に置くと、アスランは軽く感謝の言葉を述べた。彼に似付かわしくないそのマグカップに注がれたコーヒーは絵柄とは違い、可愛げのない味である。昔からどこでも眠ってしまう癖のある彼にとってうっかり寝てしまわないように、それが必需品だった。
バルトフェルドからもらったブレンドコーヒーは香りも濃厚で、豆自体がとても貴重なのだという。キラは苦くて砂糖もミルクもたっぷり入れなければ気が済まないが、アスランはブラックのまま飲むことが多い。彼の後輩は少し無理をしてブラックを飲んでたことを時折思い出し、ひとりで笑うこともしばしばあった。そんなときはミリアリアが訝しむが、彼は大抵気づいていない。
「キラもへリオポリスにいた頃とは随分変わっちゃったもの。何か複雑よ」
ミリアリアは遠くを見るようにぽつりと呟いた。アスランの知らないキラを知る彼女の言葉。崩壊してしまった中立国のコロニーに確かにミリアリアもアスランもいた。キラやカガリ、ムウやマリュー、ディアッカにイザーク、。そしてニコルとトール。みんな立場は違えどあの時あの場所にいたのだ。
「俺は、それでも……」
「わかってるわよ。でもさ、キラのずっと変わってないところ一つだけ知ってるわ」
彼女が指を立てて微笑む。笑顔は柔らかく、アスランはむず痒くなる。小首を傾げ、当ててみてと言う彼女に彼は悩んだ。キラの変わったところを聞かれれば無限に答えられる自信があるが、変わっていないところを聞かれると詰まってしまう。
「純粋……とか?」
「馬鹿ね。キラほど真っ黒な人間いないわよ」
きっぱりと馬鹿と言うミリアリアにアスランは肩を落とした。女性によく馬鹿と言われる理由をいまだに理解できない。
「あなたのあげた鳥のペットロボ」
「え……?」
「いっつも大事そうに持ってた。へリオポリスでも、地球軍でも、孤児院でも、アークエンジェルでも、それから……勿論今も」
アスランの脳裏に浮かぶのはトリィを渡されたときのキラの表情。涙を両目いっぱいに溜め、顔を歪めた幼い頃。アスランが何を言ってもキラは何も言ってくれなかった。去るときに腕を掴んだ彼の右手の感触が今さっきのことのように蘇る。キラがした、たった一つの引き留め。それが彼にとって重要なことだったか、その当時のアスランにはわからなかった。アスランは彼の家族がすぐにプラントに来ると思っていたから、そこまで重要に思っていなかったのだ。
アスランはカップを包み込み、温かさを確かめながらコーヒーを口に含んだ。それから視線を落とす。デスクの上に置かれた写真立ての中の幼いキラが純粋で無垢な笑顔を振りまいていた。
*****
アプリリウスのザフト軍本部。主にクライン議長の護衛を務めるヤマト隊はジュール隊と共に常にラクス・クラインと行動をする。白服という司令官のみが着用を許された軍服を纏っていようと、キラは軍の中でも異端であり、半ば部外者扱いをされていた。ヤマト隊は護衛の他にも議長直轄の部隊であり、秘密裏に任務を行う。その部隊の中の大半はヒルダやダコスタ、メイリンなどのエターナルクルーとシンやルナマリアといった元ミネルバクルーである。
彼らはエターナルを母艦とし、そこにはストライクフリーダム、修復されたデスティニーをはじめ数々のモビルスーツが搭載されていた。それらが出撃することは今となってはほとんどないため、偵察型のモビルスーツが主となっている。
「艦長、状況はどうですか?」
白服を着たキラが艦長であるアーサーに向かって尋ねた。無重力で体が浮いている状態で状況を映し出すモニターを凝視する。
「相変わらず……といったところです。モビルスーツ隊が発ってから大分経ちますから、データは採れるかと」
「そうだね。じゃあ帰還信号出して」
キラがそう言うと、すぐさまオペレーターのひとりが帰還信号を出した。三色の光を発したとたん、ばらばらに散っていたモニター上のモビルスーツがエターナルに向かって集結している。
「各機、帰投しました」
「よし、じゃあプラントに戻りましょう。経路はトライン艦長に任せます。メイリン、シンに僕の部屋に報告に来るよう伝えて」
メイリンとアーサーが短く返事をすると、キラは軽く床を蹴り上げて浮遊しながらブリッジを出た。
自室に戻ったキラはすぐさま締め付けられた首もとを緩め、ベルトを宙に放り投げた。疲労した体を叩き、席に着くとパソコンを起動させる。手元にミネラルウォーターの入ったボトルを置いて時折それで喉を潤す。
キラはパソコンを操作し、パスワード付きの隠しフォルダを指定した。それを迷わずクリックし開く。画面に現れたのは任務とは一切関係のないプライベートな写真や映像であった。数にするのも気が遠くなりそうな膨大な量のフォルダをキラはひとつひとつ開いていく。
笑顔のもの、眠っているもの、何も纏っていないもの、幼いものや隠し撮り、そのジャンルは様々だったが共通していることがあった。それはそのフォルダが全て恋人であるアスランの物だということ。
「足りないよ……」
最後の通信の音声をクリックし、キラは机に項垂れた。少し低めのアスランの声が耳に届き、涙が出そうになるのを必死に堪える。記録された物とはいえ、恋人の声が久々に聞けて、一気に疲れが癒えていくような感覚がした。
「トリィ」
机に伏せているキラの頭にトリィが留まった。キラの心を汲んでいるのか、逆に馬鹿にしているのか彼にはよくわからない。ただ黙々とフォルダの中のアスランをクリックしていく。本当は通信して本物のアスランを拝みたいところだが、シンが軍服に着替えてキラの自室に来るまでの短い時間では挨拶程度しか交わせない。シンが来た後も、報告を聞き、それを本国に着くまでに纏めなくてはならない。
十歳にも満たないアスランが彼の母親と写っている写真を鑑賞している途中にメールの受信を知らせる小さな電子音が耳に届く。右下の画面からは“ミリアリア"と表記されていた。
「ミリアリアから……?」
キラは不審に思いながらもそれを開いた。いまだにしつこくアプローチしてくるディアッカの愚痴が延々と綴られているのかと思いきや、画面いっぱいに映ったのは数々のアスランの画像である。軍服を着こなしカガリと会話するものや、上着を脱いで仮眠を取っているところ、部下らしき女性軍人に囲まれている画像もある。
「あ……」
さすがカメラマンとして世界を飛び回っていただけのことはあり、絶妙なアングルでキラは唾を飲み込んだ。特に眠っているアスランはこの上なく色気を帯びていた。
「失礼します、隊長」
いきなりノックもせずに入ってくるシンをキラは刺すように睨み付けた。それを見たシンが驚き一歩後退すると、キラは我に返り笑顔を取り戻す。
「ごめん、報告お願い」
咄嗟にフォルダと旧友からのメールを閉じ、彼の前に直る。すぐに報告を受ける体勢を取りながら恋人のことを意図的に脳から覗くよう努めた。

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