コーディネイターを超える最高のコーディネイター。

誰よりも優れた才能を持つ神と呼ぶに等しい存在をユーレン・ヒビキは研究史続けていた。彼は自らの妻から双子の内一人を取り出してコーディネートした後、それを母体へと還さずに人工子宮へと移し替えた。彼は息子を最高のコーディネーターにし、誰よりも幸せにと強く望んだためである。

誰でも自分の子供には優秀で居て欲しいものだ。願う未来を叶えるために必要な力を生まれながらにして持たせてやり、選択肢を広げてやる。自分の子供を幸せにするためにナチュラルの親はコーディネイトする。それと同じくユーレン・ヒビキも我が子を想うがための行動であった。

数多の失敗作の中、唯一成功体としてキラ・ヤマトは人工子宮から取り出され、この世に生を受けた。それは温かな誕生でなく、たくさんの研究者の喝采に囲まれた人工的なものである。絶対に幸せになると言って作られた最高のコーディネイターは、母の温度を知らず、機械と白衣に囲まれた研究室で産声をあげたのだ。

コーディネイターも温かく迎え入れる数少ない地球の国家の一つであるオーブ連合首長国。本島からさほど遠くない離島に、キラはひっそりと身を寄せていた。

夕日が色を染める中、浜辺を歩く。静かに打ち寄せる波と風のざわめき、彼の足下を踊る砂の歌が耳を占めた。キラは昔からこうしてひとりで浜辺を散歩するのが好きだった。以前ラクスと共に孤児院に住んでいたときもひとりで、又はラクスと共に浜を歩いたものだ。

「キラ……」

呼ばれてキラはゆっくりと声のした方向へと視線を向ける。見慣れた顔がそこにはあった。

「どうしたの?アスラン」

息を切らせた幼馴染みがそこにいた。夕日に照らされて藍色の髪が紫色に見える。心配そうな表情をすぐに察知し、キラはアスランの手を取った。アスランが何か言いたそうな顔をしながらもキラは何も言わせない。

「遅かったから……」
「だから待ってなくていいって言ってるのに。潮風は体に悪いよ」
「風邪も滅多に引かないコーディネーターがか?」

口元に手を当て、キラは小さく笑った。それから砂場に腰を下ろす。アスランもキラに合わせてその場に腰を下ろした。手を繋いだまま、キラは本島を眺める。はっきりと見えるそこにカガリはいる。キラの姉であり、父に選ばれなかったナチュラル。

「ねえ、どうして僕の本当の父さんは僕だけを選んだんだと思う?」

静かな口調でキラは言った。弾けたようにアスランが反応し、切なそうな表情を浮かべる。困ったような、悲しそうな表情をキラは見慣れていた。そんな顔でも整っているから美しい。キラはアスランの歪んだ表情がこの上なく好きだった。趣味が悪いとも自覚している。

「僕が失敗してもカガリが残るからだと思うんだ。でもさ、どうして僕だったのかな」

キラは握りしめた手を強める。アスランの手の体温が徐々に上がっていく。

「でも、もしカガリが選ばれてたら、僕はナチュラルで……とっくに君に殺されてたよね。運がいいって言え
――
「よせ!」

アスランがキラの言葉を強めに遮った。キラはその言葉が想像通りだったことに心のどこかで喜んだ。キラの人生で「もし」と思ったことは何度あっただろうか。

もし選ばれていたのがカガリだったら。
もし僕が女だったら。
もしへリオポリスに引っ越していなかったら。
もしオーブがG兵器の開発に携わっていなかったら。
もし戦争が起こらなかったら。

大抵のことは一言で片付けられる。運が悪かった。それか時代が悪かった。何億人という人類の、その少数のコーディネイターのうちの実験体の中のたった一人になってしまった。

そう、運が悪いのだ。

「僕は可哀相だよね?望んでもいないのに最高のコーディネイターとして生まれて、父さんや母さんは殺されて、カガリとも離ればなれになっちゃって。戦争さえなければそんなことも知らずに済んだ。守りたいものは失って、未来を切り開く力は大切な人を守る力にはなってくれなかった」

最高のコーディネイターも人間だと、彼は言いたかったのだろうか。だから大切に思っていた彼女を撃った。守ることができず、こぼれ落ちた彼女の命。無力だった。

キラは力を持っているはずだった。それと引き替えに不幸に覆われている。だからこそ自分の力を信じていた。それなのにたった一人の命すら救えない。

大切なひとを守れなかったキラと、死に急ぐ大切な人を戻らせたカガリ。力があるのはキラなのに、いつでも暗い影を射している。もとはひとつだったのに。

キラはもう紫がかった空を見上げた。そこでたくさんの命が還った。その中に、アスランの父親も、キラの守らなくてはならなかった人も、慕っていた仲間も散った。昼間は太陽が隠してしまうそれを日が暮れてから見上げるのがキラの日常だ。

言葉が見つからないアスランはキラと同じように空を見上げる。何を思っているのだろうか、横顔からは感情が見えない。それでも、自分を心配してくれているのだろうことはわかった。優しい彼はいつでもキラを最優先する。たとえお互いが敵であろうと。そのせいで仲間がひとり死んだのだとしても。

「僕は不幸だ。だけど僕の不幸の中に、君はいる」

空を見上げていたアスランがゆっくりとキラに視線を向けた。翠玉をはめ込んだような瞳は一点の曇りもない。しかしどこか悲しそうだった。人一倍優しくて繊細な彼はキラの気持ちを考えすぎてしまっているのだろう。

「僕がコーディネイターだから母さん夫婦のところに預けられ、君と出会えた。戦争がなければ再会できなかったかもしれない。こんなに君のことを思わなかったかもしれない。君は僕を愛してくれなかったかもしれない」

親友としてコペルニクスで別れ、へリオポリスで再会した。そしていつの間にか敵として殺し合い、自分たちが奪わない分、違う誰かが傷ついていった。その結果、たくさんの命が散った。そしてキラは知らず知らずに片割れと出会い、出生の真実、そして自分が何者かを知ってしまう。今まで生きてきた十数年は崩れ去った。

突きつけられた真実はキラを苦しめた。しかしその中で彼がコクピットに居続けられたのはアスランが隣にいたからだ。そして今、こうしているのも彼のお陰だろう。黙って隣にいてくれる。それがキラには嬉しかった。

「カガリはナチュラルで女の子だけど君が愛しているのは女の子のカガリじゃない。不幸で可哀相な僕。違う?」
「……違わない」

一瞬ためらってからアスランはキラの言葉を肯定する。その躊躇は想いを寄せてくれていたカガリに対する配慮だろう。そこに彼女はいないというのにどこまでも律儀で優しい彼が時折怖くなる。

「いくら幸せな人生が待っていようと、君のいない人生は……君と通じ合わない幸せは不幸と同じだよ」

カガリはキラの持っていないものをたくさん持っている。首長の名。アスランの子供を産めるからだ。友達も、贅沢な生活も。

冷たい研究室の中でキラが誕生を待っているとき、カガリは温かい母の胎内で守られて望まれて育っていた。母と一緒に頑張って生まれたカガリと研究者達の拍手の中で取り出されたキラ。力なんかほしくないから母から生まれたかったと何度願っただろうか。

それでも最高のコーディネイターであるキラ・ヤマトだからこそアスランと出会えたという事実がある。そして今隣に彼がいることがキラの唯一の光だった。

暗くなった海を灯台が照らしていく。風がアスランの長い髪を攫った。後ろでカリダが夕食だと叫ぶ声が聞こえる。キラはアスランの手を取った。温かい掌。小さな小さな幸せがそこにはある。他がどんな暗く深い海でも、キラには灯台がある。それだけで十分だった。