震える手を強く握りしめてから開く。その行為はまるで自分の存在を確かめるためにしているようにも思えた。特に人を殺した後なんかは自分を傷つけることで自分が生きているという実感をもてる。

痛みと引き替えにもたらされる安心はこの世のものとは思えないほど彼に至福を与えた。

ナイフで傷を付けると一本の切れ目から薄く光る紅。そして球体になったそれが徐々に溢れ出す。道のように分かれ、また一つに流れ行く自らの血も他人事のように感じてしまう。だからナイフでもっと奥まで傷口を開いた。

それでも痛みを感じることはない。もしかして自分は死んでいるのではないかという不安さえこみ上げてきて彼の手から全身へと震えが広がっていった。

「キラ!」

その声に振り翳しかけていたナイフが床に落ちていく。今までゆっくりゆっくりと進んでいた時間が嘘のようにナイフが床に落ちるのは早くカラン、という音はすぐさま彼の耳に届いた。

「何してるんだ!」

どくどくと流れる血を見てアスランが血相を変える。まるで自分が刺されたみたいな表情。アスランはキラの手を取るとその傷の深さに目を細めた。彼の叫びでスイッチが入ったように痺れるような痛みが襲った。

「アス……ラ……ン」

白い軍服がゆっくりと赤く染まっていくのが視界の端で見える。アスランが近くにあった布を左手で押さえて傷口を圧迫していった。

「キラ……キラ!」
「痛い……痛い!腕が、腕が痛い!」

痛みが全身を覆っていくような感覚が広がり、キラは痛みをアスランに訴えた。同時にそれは“今僕は生きている”という証となり彼に安心感を持たせる。

跪いたアスランの睫が薄く水気を帯びているのを見ると痛みが何かで抉られたような錯覚に陥る。彼の軍服はキラの血に染まっていた。軍服だけではなく病的と思うほどに白い肌までも。

「どうしてこんなこと……」

痛みに耐えながらも薄く笑っているキラが尋常でないことは容易に伺えた。精神的に不安定なことも重々承知ですぐにドクターに薬をもらい、アスランは欠かさず飲ませるようにしていたはずだった。

それを上回る精神不安定がキラを襲っている。元々軍人でそういう類のトレーニングもこなしたアスランと元々訓練を受けていない民間人のキラ。どう考えたってキラがおかしくなるのはわかりきっていた。

笑いながらキラは血だらけの手でアスランの頬を包む。白い肌に掠れた血の跡が残る。血の感触は不快だけれど人肌は心地よくてキラは笑った。

「僕、生きてる。痛いけど生きてる」
「キラ!」

アスランの肌には血の紅が不似合いで、そんな不似合いで埋め尽くされて穢れてしまえばいいと思う汚い自分。アスランはキラの体を支えながら誰かを呼ぼうと通信モニターに手を伸ばした。キラはアスランの頬に触れていた手でモニターに手を伸ばしていたアスランの腕を力強く掴んだ。

「キラ!?」
「誰も……呼ばないで」
「どうし……」

言い終わる前にキラはアスランに口付けた。黙らせるために。血が止まらない人間のすることではないが今のキラは痛みを起こしたことによって正常と引き替えに生きている実感が沸いている。

アスランがキラの体を引き離し、理解しようと努めたがさらに混乱は増すばかりだった。首を振ってキラの姿を否定しようとした彼の隙をついて再び唇を重ねた。先ほどのような触れるものではなく絡めるものだった。

「お前……」
「……そうだよ、狂ってる」

自嘲して囁くとアスランは瞳を閉じた。薄く長い睫の端から透明の涙が流れていく。それをキラが舐めとってやっても止めどなく涙は溢れてきた。キラの血と同じように。

「お前は狂ってない」
「……精神が安定していないだけ、って言うんでしょ?いつでも君は教科書通りだね」

出血しすぎてしまったのか目の前が翳んでいく。アスランの頬に触れる指は力が入らずに彼の曲げられた足にもたれ掛かる。頭がクラクラして自分が何を考えているのすらわからなくなってしまった。

「君は真面目で、頑固で、意地っ張りで、不……器用で……」

――優しい

キラは息を切らしながら力一杯微笑む。正常な神経を持つ人間ならば微笑むことなど不可能だが痛みによって生きている実感を持ったキラにとっては今が至福の時だった。アスランの姿が段々と色を失い、一色になる。その影も段々と薄れていった。彼の涙の感触が頬に当たる。圧迫するために握られた手は暖かみを増していった。