我が心の恋人 |
「やってらんないこんなの」 独り言が広すぎる部屋に響く。彼は静かな部屋より少し騒がしい部屋の方が心地よく感じるため一人きりの大きい部屋はあまり好きではない。キラの独り言にも反応して注意する彼が一瞬頭に浮かんだけれど考えないように頭を振った。 静寂を破るようなドアの開閉音に頬を押しつけるように机に伏せていたキラが視線だけを入り口に向ける。 アスランだったら無視してやろうとか、カガリだったら寝たふりをして誤魔化そうとかいろいろと頭に浮かんだけれど入ってきたのはそれをいい意味で裏切る人物だった。 「ラクス」 手の上にアスランの贈ったペットロボのハロを持ったラクスが入ってきた。歩く姿はやはりお嬢様の気品が溢れている。カガリもお嬢様だけど身のこなしはやはりラクスの方が数段気品がある。 「座って座って」 広すぎる部屋の無意味なソファに彼女を座らせるとラクスは微笑んで返事をしてから静かに座り、隣のソファにハロを置いた。ラクスがキラの部屋に入ってくることは珍しい。もしかして何か大切な話があるのかもしれない。 「えーと、何か飲む?紅茶でいい?」 完全には理解していない准将専用の部屋の奥に設置されたほとんど彼は踏み入れない給湯室に入るとあるはずの紅茶の缶を探した。給湯室といってもガスコンロや冷蔵庫、電子レンジ、オーブンなども設置されており、給湯室というよりキッチンという方が正しいのかもしれない。 それらしい棚をひとつひとつ開けて紅茶の缶を探す。きっちりと整頓整理された棚はO型なのに几帳面な彼らしい。A型なのにだらしない自分とは正反対だ。 一番下の大きな引き出しを開けると様々な大きさの瓶や缶が綺麗に並んでいた。塩や胡椒、酢などの調味料が手前に、その上に小さな弾になってコーヒーや緑茶と一緒に紅茶の缶も並べられている。 「あった……」 いつも飲んでいる紅茶の缶を手にとって子供のように笑うと次はポットを探し、それに水を入れてお湯を沸かす。 お湯を沸かすことすら普段しないキラが紅茶を入れたことがあるはずもなく、ラベルについている説明書らしきものを読んだけれどまったく理解ができなかった。幼いときに苦手だったマイクロユニットの授業の時のような眩暈が彼を襲う。それと違うのはアスランがそばにいないと言うこと。キラがマイクロユニットから逃げ出さなかったのはアスランが一生懸命教えてくれたからだろう。 だが今更そんなことを思ってもアスランは現在ここにいないわけだ。昔母であるカリダがよく紅茶を入れていたことを必死に思い出す。アスランはカリダに入れ方を教わったらしいがキラは飲む専門で入れ方なんて気にしたこともなかった。今になって後悔するは思わなかった。 *** 「おいしいですわ」 ティーカップを置くとラクスがにっこりと笑う。キラ以上に嘘の笑いがうまいのはラクスかミリアリアくらいだろう。アスランとカガリは思ってることがすぐ顔に出るから嘘がすぐにわかる。 「ごめん」 笑顔を崩さないでラクスが言う。結局紅茶の入れ方がわからなかったキラは引き出しに一緒に入れてあった緑茶を選び、それをラクスに出したのだ。緑茶に合った湯飲みが見あたらず、仕方なくティーカップに入れたことがお茶一つ入れられないと言うことを物語っている。 「――で、どうしたの。ラクスがここに来るなんて珍しいじゃない」 ラクスの意味深な発言にキラは眉を顰めた。彼女はいつも意味がわからないけれど今日は特にそれがひどく思える。だけど身に覚えがないわけではなかった。 「アスランが言ったの?」 確かにアスランはそういうことを他人に言うタイプではない。しかも喧嘩の原因が他の人にとってはくだらないことならなおさらだ。カガリにさえ言ってないのにラクスに言うわけがない。アスランは特にラクスと距離を取りたがるから。 それにしてもいつも准将専用のこの部屋に入り浸ってると思われてるアスランも可哀相でもある。確かにカガリに副官として命ぜられたわけでもなく、マリューやフラガと一緒の一佐である彼にも仕事があるはずなのにキラがさぼらないように一時間に一回は監視に来る。仕事をこの部屋でこなすこともしばしばでそう思えば誰でもおかしいと気がつくだろう。 「アスランと僕って基本的に相性が合わないんだよね。いまひとつ。だからつまらないことで喧嘩してさ。僕謝るの嫌いだし、アスランも負けず嫌いだからどっちも折れないし」 キラが笑顔を作るとラクスの表情が曇る。それは無理に笑顔を作ったキラの心を映しだしたような表情だった。何もかも見透かされているような感覚がキラを襲う。 「僕は変わっちゃったから。アスランはそれが気に入らないんだと思う」 それはラクスにも言えることなのかもしれない。おしとやかで澄んだ声を持った婚約者は変わってしまい彼を裏切った。だからラクスとの距離を持ちたがると言われればそれで納得がいく。 「それでもアスランにとってキラは特別ですわ。それはキラにとってもそうでしょう?」 ラクスは小さく鳴くトリィを指に留めるとすぐにキラに視線を戻し首をかしげて同意を求めた。 「ありがとうラクス」 そういって指さしたのは机の上の大量の仕事の山。量はあるが内容は大したことのないものばかりだけれど、仮に二人でやったとしても今日中に終えるのは難しいと思われる。忘れていたことを思い出してキラは一気に青ざめる。 「頑張ってください」 ラクスはそういいながらソファから立ち上がる。キラは自分ではあまり好きではない髪を乱暴にかき上げながらラクスには頭が上がらないことを再び確信した。 いつだってキラの一番の理解者はラクスだった。それは恋人という特別な存在であるアスランも凌ぐほどで、キラにとってはラクスの存在はとてもとても大切だ。いつでもそっと抱きしめてくれる彼女はキラにとってはなくてはならない。 「やっぱ僕の心の恋人はラクスだね」 キラは小さな子供のように微笑む。首を傾げるとストレートの髪がばらばらと視界の隅で散らばった。 「緑茶おいしかったですわ。ご馳走様です。また入れてくださいね」 キラの言葉に応えずに一瞬止まったラクスはすぐに笑顔を浮かべて大きすぎる部屋から出て行く。ドアを開閉する空気音が耳に響き、キラはしばらくその場で余韻に浸った後伸びをした。 仕事の三割が片付いた頃再びドアが開く。現れたのはアスランだった。開いたまま部屋に入ろうとはせずに立ち止まっているアスランを見てキラはキーボードを叩く手を止めた。 「入らないの?」 仕方なく、というのを強調してアスランが入ってくる。いつもはいろと言ってもいないアスランがおそらく負のオーラでもまき散らしてくらい雰囲気にさせていたのだろう。フラガも早く出て行ってほしいから無理にキラのところに行かせようとしたに違いない。普通ならメールで済ますだろうから。 こうも突っぱねた態度を取るのは喧嘩をする度のことで慣れたと言えば慣れたけれどどうも扱いが難しい。渡されたトップシークレットの表記がされた封筒を開けて資料を確認すれば“ボウズの様子が尋常じゃない”とか“どうにかしてくれ”とかアスランに関する苦情が三枚ほど。 「もしかしてこれカガリから言われた明日同盟国会議に使うやつか?」 アスランが指さしたのは終わっていない七割の方でキラは小さく首を横に振った。 「おまえ…これはただの会議じゃなく国単位の重要な会議で」 脳天気な声を出すキラの机からアスランが六割ほど仕事を持っていく。半分ではなく少し自分に多めにというところは彼の優しさだろう。先ほどまでラクスが座っていたソファに座ると持ち運んでいたパソコンを出して仕事を始めた。 やっぱりこの部屋はアスランの小言が響いていなくてはと思いながらキラはアスランに怒鳴られて手を動かした。 |