brunt of hate |
「ああ、一列に並んで。はいそうそう。そこら辺うろつくとスパイ容疑かけられちまうから出歩くなよ?正規になったら嫌っつうほどみんだから。下手したら殺されるぞ?」 ムウ・ラ・フラガは志願者の前に立つと、大声で叫ぶ。飄々としているが、彼もエースの一人だ。鷹の名を持つ彼もプラントの戦いの功績が認められ、左胸の勲章が増えた。ムウの後ろにいた兵士の一人が順番に合格者の番号を読み上げる。オーブ軍自体にはそれなりの能力と揺るがない忠誠心さえあれば大抵の人間が入隊を許される。だが、正規の軍として配置された頃に残っているのは十人にも満たないことが多い。約二週間の訓練により、オーブ軍のいろはを骨の髄までたたき込まれるのである。 合格者の発表が終わると、少数の不合格者が門の方向へと誘導され、合格者はまた整列し直す。ムウは全体を見下ろすと左右に視線を走らせた。全員の顔を見ている。一瞬でひとりひとりの細かな特徴を掴んでしまう。ディアッカは彼から視線を外さなかった。少しでも俯けば正体が明らかとなってしまいそうだ。 フラガの隣でイザークが誓約書の説明をしはじめた。名前を書くだけのシンプルなもの。それを回収すると、後ろの女性がひとりひとりに緑の軍服を配っていく。正規の軍服が青なのに対し、一目でわかるようになっている。 「敬礼!」 和やかな雰囲気が一変する。そこにいる全ての人間が声のした方向へと視線を向けた。白い軍服が歩き、その後ろを男装した女性が続いている。通りがかっただけだというのに、その場にいた誰にもないオーラを放っている。 白い軍服。城に入ってから様々な色の軍人を見たが、白は初めてだった。左胸に掛っている勲章の数もこれまでで一番である。填めた手袋で髪を流すと、軍服の男が合格者を一瞥した。 女性と見紛う容貌と全く違う獰猛な獣のような瞳に睨まれ、シンは背筋に悪寒が走る。それは殺気ではないはずなのに、それだけで人を殺せてしまいそうなほどの目付きだった。先ほどムウが走らせていた視線とは比べものにならない。 人の目付きがこれほどまでに恐ろしいと感じるのは、シンにとって初めてのことだった。そして、どこかで彼は理解する。この男こそが自分の宿敵であることを。 幸せを奪い、国を奪い、大切な人を奪い、自分の居場所すら奪った相手。彼が、皇弟キラ・ヤマト。シンは自分の体内から沸々と燃えたぎる怒りと憎しみの念を抑えずにはいられなかった。彼は走り出そうとするが、目の前のディアッカを見て思いとどまる。震える腕は強く拳を握り、怒りをひた隠しにしていた。そこで、彼の決意を知ることとなる。シンは渋々、彼へ敬礼を続けた。 「イザーク、今回はどうだった?」 「ああ、まあいつもと変わらんな。百ちょっといるが、残るのは十人前後だろう」 微かに聞こえる会話。中央の最前列と二列目の数人にやっと聞こえるくらいの小さな声だった。彼らは声を潜めるつもりはないらしい、鼻で笑っている。 「そうだ、前列のアイツ。あとその後ろのチビ。それくらいだな。特に前の奴はかなりの腕前だ。どうだ、手合わせしてみるか?」 シンはチビと言われて頭に来る。だがそれをどうにか抑え込んだ。以前の彼ならば誰であろうと手が出ていたはずだ。考えるよりも手の方が早いのは短気でせっかちな性格から。 「……面倒だからいい」 キラは手で髪を払いのけ、態度と言葉でそれを現す。本当に煩わしそうだった。 「キラ、お前さん顔腫れてないか?」 ムウが頬に手を添えた。キラはそれを強めに払いのける。殺気の籠もった視線で向けられても、彼は平気なようだ。それどころか、触れられるなどシンには信じがたい光景だった。 「虫に刺されたのか?貴様間抜けだな。美人の奥方に薬でも塗ってもらえ」 イザークが楽しそうに茶化す。キラは鼻で笑った。シンがすかさず反応する。 「冗談。彼女に殴られたんだから二発もね」 「殴られたって……」 何のことでもないと彼が言う。それに一番反応したルナマリアが後ろから控えめな声を発した。キラは彼女を安心させるために肩を叩く。その雰囲気は副官に対してするよりも意味深で、シンは思わず目を疑った。彼の言葉も、信じられずにいる。人一倍優しいアスランが人を傷つけるところを見たことがなかった。勿論、プラント本土が攻められた際は先陣に立って戦っていたことを知っているが、それは平和のためだ。自分の感情で他人に暴力を振るわない。それだけは知っている。だからこそキラの言葉が信じられなかった。 シンは宿敵を見た。できるだけ多くの情報を捕らえるために。顔以外肌は晒されていない。その顔も長い前髪で隠れ、殆ど窺えなかった。身につけているものは全て白。神経質さを窺わせるそれは、軍人という印象より、彼の出自である皇族や貴族を思わせる。だが、雰囲気は手だれた武将そのものだ。敵わない。直感でわかってしまう。シンは知らないうちに手に汗を掻いていることに気がついた。 「そんなことより、今日会議を開くから。必ず定時までに集合」 「了解」 イザークとムウが同時に敬礼をする。そこだけは上司と部下らしかった。彼らが直ると、合格者やその場にいた兵士達も続いて直った。 キラ達を見送ると、ディアッカはシンに視線を送った。信じられないという表情はお互い共通している。彼らのどちらも、アスランという人間を知り尽くしている。彼女はどんなに気に入らない相手でも、どんなに挑発されても手をあげることはない。彼がそうさせた。それ以外に考えられなかった。彼女が知らない国で苦しんでいることが、それだけでわかる。やはり、早くアスランを救い出さなければならない。ディアッカは前を向くとオロファト宮殿を見上げた。必ず助け出すと誓い、仇のいた場所を睨み付ける。そこには既に誰もいなかった。 ルナマリアは屋内に入るとやっとのことでキラを捕まえた。何度呼んでも彼は振り返ってくれない。昔からそうだった。いつも彼女が追いかけてばかり。振り向いて手を差し伸べてくれることはない。追いついたときにだけ返事をしてくれた。彼女が知っているのは彼の背中である。キラが彼女を見てくれることはない。だが、彼の背中を一番よく知っているのは自分でありたいと切に願う。それだけが彼女の我儘だった。 怪訝そうなキラが椅子に凭れ掛る。頬が赤く腫れ上がっていた。ルナマリアはすぐさまタオルを濡らし、彼の頬にそれを当てた。キラは冷たさに目を開ける。物に向けるような目で彼女を見た。タオルを自分で持つ気はないらしく、もう一度目を閉じる。勿論感謝の言葉はない。 「大丈夫……ですか?」 恐る恐る訊ねるが、キラは答えなかった。答えるにとらないと思った質問は昔から答えないのだ。答えるまでもないのだと理解する。彼はいつもそうだった。自分のことは何も言わず、人の問いにも答えない。必要なのは言葉ではなかった。自分が彼に何を与えられるか。それだけだ。 タオルを持つ腕を引き寄せられ、ルナマリアは前屈みになった。強い力に小さな吐息を漏らす。普段日に晒されない手が触れる。それだけで胸が高鳴っていた。 「……殺してやりたいって言われた」 誰にとは聞くまでもなかった。プラントの抵抗をなくすために嫁いだ皇女。彼女が波風を立てないよう、だが静かなる抵抗をしていることは宮殿中の誰もが知っている。心を閉ざすことが彼女にとっての抵抗なのだ。その彼女が敵意を剥き出しにしている姿を想像できなかった。終戦したとはいえ、敵国の皇女である。冗談では済まされない。罰せられる可能性もあるだろう。 「ショック……ですか」 「まさか」 愚問ではなかったらしい。強い否定が返ってくる。一年に一度、あるかないかのことに驚きを隠せない。キラは目を閉じたまま表情を変えず、口を開く。 「愛してるって言われるよりずっと現実味があるよ」 彼にとっての現実は戦争に勝つこと。覇王の父となり、皇帝となること。その他は何もない。愛という非生産的なものを嫌悪していた。 「ダイヤ呼びましょうか?」 自分の手でタオルを取ると、それを彼女に差し出した。彼は愚問だと思ったことには一切答えない。軍人が女に頬を殴られたくらいで治療を要するなど笑いものだ。数年ぶりに自らの血を見た彼は、どちらかと言えば彼女に感謝したいくらいだった。自分の中に紅い血が流れていることを確認させてくれたのだ。 「……将軍、例の件ですが早速手配しますか?」 タオルを受け取ると、ルナマリアは再び副官に戻る。その切り替えの速さは見事だった。彼は彼女の忠誠心とその切り替えの速さだけは買っている。女性が軍に身を置くことを快くは思っていないが、彼女は別だった。女性は愛というものに生きる。彼女は見返りを求めずにキラの傍にいたいのだ。それが彼女の愛だから。キラは知りながら利用し続けている。たまに繋がることが、彼女への餌なのだ。 「彼女ができるのなら僕は構わないよ」 「その点はご心配ならさらないでください、私に考えがあります」 ルナマリアが自信満々に答えた。その表情があまりにもラクスと似ていて、キラは鼻で笑った。性格は似ていなくても血は争えない。何かを企む瞳はそっくりだった。女は愛に生きるもの。自分がどれだけ汚れようと、男を守る。そして愛する男のためなら死をも厭わない。悲しい生き物。 |