Hide-and-seek |
「一体お前は何をしていたんだ!」 女官長の怒鳴り声が宮殿内に響き、ミリアリアは肩を竦めた。彼女の左右には数十人の女官達が並ぶ。深々と何度も頭を下げるミリアリアは顔面蒼白だった。一度も無断で外に出たことのないアスランならば、当然部屋にいるだろうと思っていた彼女は空っぽの部屋を見てからというもの震えが止まらない。小一時間捜索しても、皇弟妃は見つからなかった。 「皇弟妃様になにかあればお前の首だけでは済まされんぞ!」 ナタルが低い声で叫んだ。いつものトーンだが、その中には焦りが入っている。それをひた隠しにしながら女官達に的確に指示を配る。宮殿は騒然としていた。他の姫や妃ならばともかく、アスランは敵国の皇女だ。常に監視下にあり、行動も制限されていた。逃げ出せないように鳥籠に閉じこめておいたはずだった。いなくなって既に二時間を経過している。さすがのナタルも苛立ちを隠せずにいた。 広い宮殿と離宮、大庭園、神殿にホール、そのほかにも敷地内にはたくさんの建物が存在する。女官全員を総動員しても広大な敷地内では見つかるかどうか難しい。運悪く今日は宮殿に貴族や軍人、各国からの要人が集まっている。探し出すことは困難を極めそうだった。ナタルの脳裏に最悪のケースが浮かぶ。 「どうかしたんですか」 普段人形のように決められた動きだけをする女官達の慌てふためく姿を見て、キラがナタルに声を掛ける。勢いよく彼女が振り向いた。キラは既に皇弟から将軍に戻っていた。 「殿下、申し上げにくいのですが……妃殿下がどこかへ行ってしまわれたのです」 申し訳なさそうにナタルが言うと、キラではなく後ろにいるルナマリアが驚いた声をあげた。キラは顎に手を当て、興味なさそうに頬の裏を舐める。生暖かい。 「そこら辺にいるでしょう。そんなに血眼にならなくても子供じゃあるまいし」 「ですが殿下」 やる気のない将軍の発言にナタルが眉を顰める。凛々しい顔は歪んでも美しい。それに加え、意志のこもった瞳。キラに意見を言える数少ない人物である。他の人間は皆、キラを恐れ、肯くことしかできないのだ。 「まあ、逃げ出したのかもしれないけどね」 キラは指で前髪を払った。ルナマリアがキラの名を呼び、注意する。しかしキラは悪びれることはない。至極当然だと思っていた。ナタルはキラの考えと同じらしく、溜息を吐いた。生憎キラには彼女に割く時間はない。 「そんなこと!ありま……せん……多分」 大声でミリアリアが否定する。しかしその声は徐々に小さくなっていった。キラが彼女を見ると、目があったルナマリアはその鋭い視線に条件反射のように謝罪する。女官の殆どがキラを恐怖の対象としている。粗相をすれば容赦なく斬り捨てる非道な将軍だった。 「根拠は?」 「ありません……」 「この僕に口答えしようって言うの?たかが女官のくせに」 「そんなつもりは……」 キラがミリアリアに詰め寄った。か弱く勇気ある女官は、英雄であり暴君である将軍の威圧に怯え、涙を浮かべていた。キラはそれを見ても顔色一つ変えない。 「将軍、それくらいにしてください。もう十分です。私も女官達と一緒に敷地内を探してまいります」 ルナマリアがミリアリアを庇った。キラは妃がいなくなったことに怒りを覚えているのではなく、女官が口答えをしたことが許せないのだ。宥めるようなルナマリアの態度も癪に障る。敬礼をし、走り出す副官の背を目を細め、見ながら乱れていない襟元に触れた。 「好きにすれば?でもナタル先生。僕の兵は一人も貸しませんよ」 「殿下のお手は煩わせません」 感心のないキラにミリアリアは恐怖心と新たに嫌悪感を抱いていた。殆ど食事をとっていないアスランが暑さの中長時間太陽の下に出れば熱射病を引き起こしてしまう恐れもある。それについて何とも思わないのか、ミリアリアは憤りを覚える。なんて最低な暴君なのだろう。そう毒づきながらも彼女は何も言えないのだ。彼女は皇族の人形だから。 「私も探してまいります。必ずお連れしますので」 そう言い、ナタルはミリアリアに行くぞと声を掛ける。その背中にキラが声を掛けた。ナタルとミリアリアは振り向く。 「門と港の封鎖の許可は出してあげますよ」 キラは嘲笑した。逃げ出したことを前提に考えていたのだ。ミリアリアは激怒した。そして彼の道具として生き続けなくてはならないアスランに同情する。彼女は一生幸せになどなれない。本当に逃げ出してしまった方が楽なのかも知れない、そう思ってしまった。 城内の慌ただしさとは違い、穏やかに時が流れる大庭園。三杯目のレモネードの三分の一を残したまま、アスランはメイリンと閑談をしていた。その頃には日が徐々に傾き初めていた。 アスランは同世代の女性と長く話したことがなく、オーブに来てからは人と対等に会話する機会もなかったため彼女と過ごす時間は夢のようだった。 「姉様遅いなあ……何やってるんだろう」 メイリンが足を伸ばす。貴族らしくない格好だった。聞けば彼女は中流貴族の娘なのだという。アスランが皇弟妃だと知れば彼女はどんな反応をするだろう。容易に想像できて悲しくなった。 「メイリンさんのご兄弟はお姉様だけですか?」 「はい。でも、もう一人異母姉がいるので三姉妹です。だから父が婿養子捜しに血眼なんです」 メイリンは困った顔をする。確かに貴族で娘だけならば家は潰れてしまう。彼女の父が婿養子を取るのに必死になるのもわかる気がした。無邪気で可愛らしい彼女ならば世の男性が放っておかないだろう。その姉ならば相当の美貌を持っていることが予想できた。 「アスランさんのご兄弟は?」 アスランは先ほど皇帝に斬り付けようとした弟を思い出した。母親は自分の地位を確立させるためだけに皇子を生み、他は無頓着だったため乳母やディアッカと共に可愛がった。同じく母親に愛を与えられなかったものとしてアスランも彼から愛を貰っていた。 「弟がいます。とてもやんちゃで、すぐに抜け出して剣の稽古も勉強もだめで……でもすごく姉思いです」 嫁いだ先に身分を隠して会いに来る。そんな無茶をするシンにアスランも会いたかった。もしかすると、会えるかもしれない。期待はまだ膨らんだままだ。 メイリンがそれを聞いて笑顔を見せた。歯を見せて笑うと、更に幼く見える。無邪気に微笑む彼女が別の世界の人間のような気がして、眩しかった。 「メイリン!」 「遅い」 突如現れた声にメイリンは姉の元へと走っていく。アスランはレモネードを飲み干す。メイリンとその姉が外に連れ出してくれる。うまくいけば、彼らにもう一度会えると胸が高鳴っていった。 「そんなことより、ある人を探してるの。アンタも手伝いなさい」 「私も?」 「一人でも多い方が良いの。皇弟妃様よ、わかる?」 姉はメイリンに命じる。彼女は口を尖らせた。そしてそれから逃げるようにアスランの元にやってくる。 「今は駄目。道に迷った方をお連れしてるんだもの」 妹を叱る姉の声。段々と大きくなる声と共に、現れた姿。女性の声をしているが、装いは男性のものに近い。それは明らかに軍人のものだった。 それをアスランが認識するよりも早く、ルナマリアが声をあげた。駆け寄る彼女は目を丸くしている。紅い髪。よく考えれば似ている。何故気がつかなかったのだろう。アスランは後悔した。 「妃殿下!こんなところにいらっしゃったんですか」 彼女はそこで城内からは出られないことを察す。アスランの身分を知らない者ならともかく、知っている物ならば確実に連れ戻すからだ。弟と恋人に会える希望が砕かれ、アスランは落胆した。心の中で何度も二人の名を呼ぶ。勿論、返事はない。 「え……妃殿下?」 メイリンが声をあげた。姉が敬称で呼ぶ相手を見やる。ルナマリアとアスランを交互に見ると、ルナマリアが彼女の額を小突いた。それでも目を丸くするだけで理解できない妹に、ルナマリアが簡潔に説明をする。彼女が皇弟妃であること、女官全員で彼女を捜していたこと。そこでやっとメイリンは事態を把握した。アスランに視線を向けると彼女は俯いている。 「わ……私、皇弟妃様になんてご無礼を」 「妹のご無礼、お許しください」 二人が同時に跪き、頭を下げる。紅い髪が同時に舞った。それが夕焼けに照らされて燃え上がっているようだ。男性からのそれすら慣れていないというのに、女性に跪かれるのは心苦しい。特にドレスであるメイリンには即刻やめてほしかった。 「気にしていません。寧ろ、倒れそうになったところを助けていただいた恩人です。恩に着ます」 姉妹を宥め、アスランが立たせてやる。皇族とは思えない言葉にふたりは目を丸くした。身分が低い者は高い者を敬い、高い者は低い者を卑下する。それがこの国の常だった。しかし、いくら皇族とはいえ傍若無人に振る舞えば誰も付いてこないだろう。アスランは名代をしていたため、それをわかっている。労うときは労い、叱るときは叱る。そうしていかなければより良い関係を保つことはできない。何より純粋に、メイリンと会話ができて心が安まったのだ。 「それに、話ができてとても嬉しかったです」 アスランは微笑し、メイリンに背を向ける。その瞳に映っている人物は貴族のアスランではなく、皇弟妃。それが溜らなく切なかった。ルナマリアがそれを察したのか、背中を支え、大庭園から離宮に向けて歩き出す。アスランは振り返ることなくその道を進んだ。 落胆するアスランがルナマリアに付き添われて歩いていると、彼女が口を開く。 「妃殿下、申し遅れました。私は将軍閣下の副官をしております――」 「ルナマリア・ホークさん……でしたよね。殿下の親戚の」 「……は、はい」 直ったルナマリアは拍子抜けしてしまう。一度、しかも脇に立っていただけだったが、アスランは彼女のことを覚えていた。そこから皇帝の名代として政を行っていた人間ならではの聡明さが窺える。それに同性としての憧憬と恋敵としての嫉妬が渦巻くのをどうにも止められずにいた。 |