colored labyrinth



ラクスとルナマリアが去ってからまた大臣や要人達の挨拶に付き合わされる。世間話の殆どが世継ぎに関してだった。口を酸っぱくしなくてもわかるというのに、キラはまたうんざりする。

それが二桁に達する直前に入り口に変化が現れた。ざわめいたと思えば直後、海が割れるように人の波が両端へ何かを避けていく。それが皇帝だと気がつくまで時間は掛らなかった。

イメージカラーである黒いマントを身に纏う皇帝は数人の側室を引き連れて赤い絨毯を進んでくる。煌びやかに飾り付けた側室達はラクス以上にアスランよりも目立っていた。下品な胸元が輝いている。

キラが立ち上がるとアスランもそれに続く。低い階段もキラは彼女の手を取りエスコートした。やはり立ち振る舞いは完璧で、シンに見習わせたいほどだった。

「陛下、この度は
――
「あ〜、もう堅苦しいことはいいからいいから。主役は動いちゃ駄目だよ、キラ」

皇帝は挨拶を述べようとしたキラを止め、アスラン共々席へ戻す。アスランは触れられた背中が不快だったが必死にそれを隠した。皇帝はまたアスランを舐め回すように見ている。アスランは気がつかないように振る舞うが、良い気分ではない。

「やはり君は美しいね。そのドレスもよく似合っているよ」
「……勿体なきお言葉です。陛下」

口は重かった。しかしアスランはどんなことにも耐えねばならない。将軍と肌を重ねることを想像すれば皇帝に笑顔を向けることなど容易い。アスランは、一番の屈辱をイメージすることで全てを乗り切ることにした。

数えるほどしか重ねてはいないが、それがどれだけのことか、他人には分からないだろう。アスランは閉ざしてしまえばいいのだ。何も見ず、何も聞かず、何も考えず、道具として扱われていれば。

「それから我が盟友プラント帝国の方もお連れしたよ」

皇帝に促され、従者が二人アスランとキラの前に跪いた。床に手を当てて頭を深く下げている。顔は見えないが雰囲気で若い青年であることがわかる。長々と祝いの言葉を述べる従者達をアスランは虚ろな目で見ていた。

キラが顔を上げるように言うと、ほぼ同時に従者がそれに従った。ゆっくりと見える面にアスランは目を見開く。

目の前に現れた黒髪に夕焼けのような紅い瞳を持つ少年と金髪に褐色の肌を持つ青年。アスランが会いたいと何度も願った大切な人たちだった。声にならない声を発し、アスランが口を強く結んだ。それをキラは見逃さない。そして従者に視線を移す。

シンは皇族なら着ないであろう中流貴族の正装をし、深々と頭を下げていた。ディアッカも同じである。そこから二人が皇帝に嘆願してこの任を貰ったことが想像できた。無理をしてでも会いに来てくれた彼らの思いに今までの決意が崩れてしまいそうだった。

久しぶりに見る顔をアスランは見つめる。シンは少し大人びたように見える。アスランの願望だろうか。そしてディアッカは飄々としている性格がわからないほどに真剣な眼差しで彼女を見ていた。

声を出すことができず、アスランは口元に手を当てた。少しでも気を緩めてしまえば涙が流れてしまいそうだったのだ。今まで張りつめていたものが切れて感情が流れ出してしまう。しかし披露宴の席でそんな失態を晒すわけにはいかない。アスランはもうオーブ皇弟の妃なのだと自分に言い聞かせて必死に耐えた。それでも手を伸ばしてしまいたいという願いが胸で燻っていた。

アスランとディアッカは見つめ合うと視線を逸らすことはない。彼らは視線で会話をしていた。言葉にせずとも伝わると信じて視線に想いを込める。ディアッカは頷き、真剣な眼差しを来ることで彼女に必ず助け出すから待っていて欲しいということを伝えた。アスランはそれを察知し、微笑した。久しぶりの心からの笑顔は少しぎこちないものである。しかし、オーブに来てから初めて彼女は心から笑った。

アスランは待っているという意味を込めて彼に笑顔を向けたのだ。実質の人質である彼女が囚われの身から脱することは不可能であることは他の誰でもないアスラン自身がよくわかっている。しかし、思い人の真剣な眼差しを前にすると、全てが可能な気がしてならない。彼の言うようにアスランはネガティブすぎるのだ。ディアッカがいれば不思議とポジティブになれる。

ディアッカがアスランに絶えず視線を送っているのに対し、シンは周囲に殺気をまき散らしていた。その殺気にディアッカとアスランは気がついていた。視線の先にいるのはキラである。大切な姉を奪い、人質とする仇。彼はキラが許せなかったのだ。

シンは元から隙があれば将軍を襲おうと謀っていた。いくら将軍とはいえ、宴中は酒を飲んで気を許すだろうと思っていたのだ。しかし、対峙して数分は経過するが皇族の服を着た将軍に隙は見当たらない。座ってリラックスしているように見えて数メートル離れていても威圧感を覚えてしまう。殺気を放ったならば気絶してしまうのではないかと思うほど、シンはキラに圧倒されていた。見た目は優男だが、やはりプラントを敗北に追い込んだ男だけはある。シンは自分でも気がつかない間に手に汗を掻いていることに気がついた。

将軍の名は伊達ではなさそうだ。時折見せる隙は攻撃を誘う罠だということがわかる。彼はシンを試しているのだ。シンはそれに憤りを感じる。

左に視線を向ければ逆に隙だらけの皇帝。両方に側室を侍らせ、厭らしく笑っている。彼もキラのように隙を見せているだけなのだろうか。

「盟友のプラント皇帝にも宜しく言っておいてくれ」

軽い口調で言う皇帝の言葉は、短気なシンの逆鱗に触れる。国を侮辱されたシンは怒りを隠せずに肩を震わせた。そして懐に隠してあった短剣を取ろうと胸元に手を入れる。

「皇帝陛下は……!」

アスランが声を張り上げるとシンの手が止まる。姉の方を見ると、目を見開いて必死に制止を求めている。それは願いではなく命令だった。今まで見たことのない威圧のある視線がシンを貫いた。

――今は時期尚早だ。一時の感情に流されるな。君はプラントを担う人間。今すべきことをするんだ

「陛下は……お変わりないですか」

シンは彼女の想いを理解し、拳を握りしめる。今は何もできない。仇に平伏して従ったふりをしてやっと生き延びることができるのだ。それが彼に屈辱を与える。手に届くところにアスランがいるというのに会話すらままならない。それが何より悔しかった。

「は、はい。陛下も弟君もお変わりなく……」

慌ててディアッカが言った。シンは口を噤んだまま俯いている。アスランは弟に牽制するように言う。

「安心しました。では、陛下に私は息災だと伝えてください」
「……確かに、お伝えします」

再びディアッカとシンが頭を深々と下げた。アスランはそれを見て目細め、ドレスを握りしめる手を強める。キラはそんな彼女を無言のまま見つめていた。




離宮に戻ったアスランは着替えを済ませるとすぐに鳥籠に籠もった。披露宴の間中凍り付いていた笑顔を戻し、窓に手を付く。風に長い髪が揺れた。

一人になるとすぐに、アスランの体は震えはじめる。今までの緊張が解き放たれたようだった。二度と会えないと思っていた人たちと会えたことはアスランにとって喜ぶべきことだ。

アスランは奥にしまってある包みを開け、騎士の契約で交換したエルスマン家の紋章の入った短剣を取り出した。彼の命ともいえるそれを一日一度は眺めている。今日ほど嬉しく、そして悲しく感じた日は初めてだった。会えたことは幸せ思ったが、離れた今の寂しさは尋常ではない。ただでさえ孤独感に耐える日々のアスランに打撃を与えていた。

もう一度会いたい。そんな想いがアスランの心に渦巻く。しかしそんなことをしては何を疑われるかわからない。それくらい聡明な彼女にはわかっていた。嫌疑を掛けられることは間違いないだろう。ここはアスランにとって敵地であることに変わりはないのだから。そして従者のふりをしているふたりにも迷惑が掛ることになる。オーブにつけ込む隙を与えてはならないのだ。

だが、アスランは気持ちを抑えることができなかった。言葉は交わせなくていい。もう一度遠くから見るだけで。それで十分だからと自信の堅い心に同意を求める。昔から良いことと悪いことの区別は人一倍できる子供だった。その堅い心はどんな誘惑にも負けない。しかし、弱っている心は彼女自身が思っているよりも容易に承諾をした

アスランはミリアリアに飲みものを取ってこさせるように指示をし、部屋の前から離れさせる。注文は細かく、なるべく時間の掛るように指定をした。一部を残した殆どの女官達がホールに出回っていることをアスランは知っている。自室から音を立てないように出ると、アスランは素早く鳥籠から抜け出した。

籠に閉じこめられていたアスランは、大庭園に困惑した。色とりどりの花がアスランを迎え、甘い匂いが鼻を掠める。広大な庭を暫く歩いていくと、右も左もわからなくなった。ついには来た道もわからなくなってしまう。それでも花に導かれているのか、惑わされているのか、アスランは歩き続けた。

歩くアスランを容赦なく太陽が刺し続ける。ほとんど食事をとっておらず、外出もしないアスランは十数分彷徨っているだけで倒れそうになっていた。体中から噴き出そうなほどの汗を拭いながらも彼らを追いかける。足取りは重く、縺れていた。

「大丈夫ですか?」

視界に映った白い手がアスランを支えた。肩を柔らかく叩く女性がアスランを覗きこむ。

「大丈夫……です。少し眩暈が」
「あちらの木陰で休みましょう」

言いながら女性が日傘を差し、アスランを中へと入れる。それから十数メートル離れた木陰へと彼女を連れて行く。木の作りの二人がけ椅子に腰掛けるとぐったりと背もたれに寄りかかった。女性は薄いハンカチでアスランの額の汗を拭いていく。

「ご厚意感謝いたします、でも大丈夫ですから」

アスランはディアッカとシンを追いかけるために立ち上がろうとする。その手を女性が取った。アスランは引っ張られて再び椅子に戻される。

「そんな体で動いては倒れてしまいます。もう少しお休みになってください」

見上げる女性はよく見れば少女だった。縁取られた瞳は円らで、口が小さく、幼さを残している。アスランよりも年下であることが感じられた。赤い髪はアスランの青に違うほどの黒髪とは正反対だ。小動物のように愁いを帯びた瞳にとうとう根負けしてしまった。

彼女がアスランのために飲み物を取ってくると、満面の笑みでそれを渡す。飲み物を持ってくる間に逃げ出してしまえばよかったのだが、彼女の厚意を裏切ることができず、大人しく座っていた。幸い、少女はアスランのことを皇弟妃と気がついておらず、うまくいけば城内から抜け出すことも可能だろう。利用してしまうことは心苦しいが、それほどにシンとディアッカに会いたかった。

渡された冷たいレモネードを一気に飲み干すと、アスランは息を吐いた。これほどに飲み物が美味しいと感じたことは今までにない。お絞りが額を冷やし、心地良い。隣で少女がレモネードのお代わりを入れてくれる。

「今日はキラ殿下のパーティーにご招待されたのですか」
「あ……えっと、はい。散歩をしていたらいつの間にかここに迷い込んでしまいまして」

目の前に広がるのは淡い色を放つ花々。丸い花壇の中央に小さな噴水が建てられていた。頂上には天使の銅像が立っている。

アスランはグラスに口を付けると喉を鳴らした。水が豊富なだけあって飲み物は綺麗で美味しい。やはりどんなに高級なものをつかっても水が汚ければ半減してしまうのだとアスランは知った。

「大庭園はよほど慣れていない大臣殿や女官でも迷ってしまいますからね。私も数年前に何度か来たきりでしたから、詳しいことはよくわからないんです。姉とここで待ち合わせしていますので、一緒に外まで連れていってもらいましょう」

胸が締め付けられる。思惑通りに運んでしまっていた。彼女を騙して外に出る。逃げるわけではない、少しだけ自由になりたかった。戻ってくるから少しだけとアスランは自分の卑劣な行為に正当性を持たせようと必死だった。しかし、ミリアリアとこの少女、そしてその姉。三人を騙してしまうことで彼女に正当性はなかった。

「私は、メイリンと言います。お名前をお聞かせいただいてもよろしいですか?」

メイリンは小首を傾げてアスランに微笑む。手を握られたアスランは恐る恐る名乗った。しかし彼女は皇弟妃だと気がつくことなく、アスランは肩をなで下ろす。あと少し。彼らがまだ城下町にいることを願いながら、少女と会話を続けた。その頃城内がとんでもない騒ぎになっているとは露知らずに。