Each thought



「俺はもう限界だ!」


シンが大声で叫ぶとディアッカは宥めるようにシンを押さえつける。シンは敵わないというのにディアッカの腕の中で暴れ続けた。確かにシンが“限界だ"と言うのは無理もない。敗戦国とはいえプラントは事実上オーブに占領されていた。

まず初めにされたのが港の封鎖だった。次は市場の掌握。市場では情報が飛び交っているので、反乱分子を一掃するためのオーブの取った行動だ。そして今度は“天地合併"と言う、全王というひとりの人間が統治していた時のように、オーブとプラントがひとつになろうという、聞こえはいいが実際はオーブがプラントを支配しようとしている計画である。その甘い言葉に酔いしれる人間と、絶対に信じないという人間の衝突を煽るものだということは、城内ですぐに発覚したけれど民衆は耳を傾けようとしない。

そしてジワジワと民衆の中からオーブを支持する者、親球派とそれに反する反球派という派閥ができてしまい、オーブの将軍の思惑通りプラントはふたつに別れてしまった。毎日小規模な争いが絶えずに今日、とうとう死者が出てしまった。親球派のまだ少年で反球派の大人に殴られ、打ち所が悪かったという。


「プラントの誇りはどこに行ったんだ!こんな……」
「わかってます……しかし……」
「わかってない!国が占領されてもいいのかよ!姉上がこのままでもいいのかよ!」

シンの紅の瞳には怒りと憎しみが渦巻き、微かに水気を帯びている。それでも必死に泣くまいと拳を握る。シンはアスランがオーブに嫁いでから涙を封印した。彼女のことばひとつひとつを守っている、本当に根は素直な少年なのだ。彼の気持ちがわからないわけではない。寧ろ痛いほどわかる。

ディアッカだってオーブの将軍のやり方は許せない。プラント皇帝や臣下には何かあればアスランを殺すと遠回しに言い、恐らくアスランにはアスランの行動ひとつで国が滅びるとでも脅しているのだろう。

「今はまだ……」
「そんなことしてたら国は滅びる!姉上は……姉上だって!そうしたら取り返しがつかない!」


それでもいいのかよ!とシンはもう一度叫ぶ。その声にディアッカは言葉を失った。

「ディアッカが行かないなら、俺ひとりでも行く!」

シンは走って外へ行こうとするがディアッカはその腕を掴んで止めた。暴走すると手を付けられない所は姉弟だな、なんてよく似ただけど青みが掛かった髪の思い人を思い浮かべる。

「今行っても殺されに行くだけです!時を待って……殿下がお亡くなりになれば姉上はもっと悲しみます。そして殿下が殺されたらこの国はそれこそ終わります」

城壁の上から城下町を見下ろすふたり。夜なので明かりも少ないが広い海や森、民家、港、そして砂漠が一面に広がっている。夜の砂漠の中にキラキラと光る石は星のようで、砂漠自体が天象儀に見える。そして海の波にも似ていた。

「殿下が守るのは……この景色と民衆じゃなんですか?」

ディアッカの言葉にシンは俯いてしまう。姉は口うるさく皇帝になるのだから、と言っていたがシンはそんな気は少しもなかったし、周りもそうだった。しかし、今はわかる。自分が守るべきなのはこの国とここに住んでいる全ての民だということを。

「今行っても一目会うことすらできない……」
「でも、無事な姿を見れるだけでいいんだ……遠くから」
「……諦めるしかないのかよ」

シンは拳を握って己の非力さを呪った。何をしても何を想っても空回りばかりで何ひとつ守れていなかった。

「イヤ……、殿下俺に考えがあります」

ディアッカはそう言うと安堵したような顔でシンを見つめる。シンはわけもわからずにディアッカの顔を覗くのだった。





***



離宮や宮殿、大庭園のあるオロファト宮殿を抜けると水の都ヤラファス市街地がある。市街地は宮殿を中心に内周の上流貴族の住むエリア、それを囲うように中流、下流貴族と軍人の宿舎や住居の密集するエリア、そして一番外側を囲う一般市民が住まうエリアに分かれている。

一般市民の住む住宅は水路に門が建てられ、門の奥に建てられた小さな船着き場が玄関となる家が多い。もちろん水路だけでなく、人間が歩く道もあるが一般市民の交通手段はほとんどが船であった。貴族ともなれば馬車を使う者もいるが、彼らの間では船の豪華さを競うのが通らしい。金が有り余っている貴族らしい実にくだらない金の使い道だ。

中流、上流貴族や軍属の者が住まうエリアにオーブ軍統帥であるキラ・ヤマトは来ていた。昨日プラント帝国の皇女を娶った彼だが今日は違う女性の部屋に寝泊まっている。それはもちろんただ単に体を休め、眠ることが目的ではない。

「綺麗ですね」

ルナマリアはキラの体に唯一身につけている指輪とその鎖を見つめて小さくそう言った。キラはその声に反応してつまらなそうに指輪を摘む。なくしてしまいそう、とニコルに言われたキラに首にかけたらなくさないと言ったのは他でもない彼の副官であるルナマリアだった。これならば肌身離さず着けていられるうえ、どこにしまったか忘れることはない。

「そう?僕はそうは思わないけど」

よく知った体が密着する。しかしキラはもうどうこうするつもりはない。

将軍になってからここ何年か落ち着ける暇もなかった。十二歳でイザークやフラガを率いて軍属の身となり、皇弟という肩書き以上の活躍を見せ、あっという間に将軍の地位まで上り詰めたのは若干十五歳の時だった。

それまでキラを母親の身分を理由に煙たがっていた大臣達もキラの力量の違いを知ると、すぐさま手のひらを返したように次期皇帝として扱うようになった。アスランを娶った今では帝国のほとんどの人間がキラを次の皇弟と認めている。

婚姻の儀で見たすぐ上の兄の悔しそうな顔をキラはいまでも思い出すと笑ってしまう。彼には正室も側室もおり、世継ぎもいるが、所詮は上流貴族の娘。キラの正室は皇族、しかも敵国プラントの――地の王の血を受け継いだ皇女だ。全王への絶対的な信仰があるオーブでは天地の王の血を受け継いだ子供を第二の全王とする声が溢れかえっている。それを彼が知らないわけではないだろう。

「十年。それだけあれば戦争を終わらせられるよね?キラ……いや、将軍」

今の体制が完成する前、押され気味だったオーブ皇帝は若き将軍にそう言った。その時はまだ大勢対大勢の効率の悪いいわば古い戦い方で、キラの一騎当千論は一部の大臣達に反対されていたため中々進まないでいた。

「陛下、三年……いえ、二年で十分です」

その宣言に基づき、キラは皇帝を利用して反対していた人間を押し切り、無理矢理軍の体制を変えた。そして宣言通り2年――細かく言えば1年7ヶ月。しかも1年は軍の体制を整えるために費やしたので実質7ヶ月で戦争を終わらせた。それからもプラントの蜂起阻止のための駐屯部隊派遣や各要塞制圧、海路の断絶から、正妻娶り、結婚式に子作りに休む暇などない。

キラは指輪を邪魔そうに払い除けるとルナマリアに背を向けるようにして眠りに就いた。ルナマリアは聞こえてきた寝息に安堵する。疲れているのだろう、いつもはこんなに早くに眠りに就かないというのに。キラの身を心配したが言っても彼は休んでくれないだろう。ルナマリアはキラに背を向けずに彼の後ろ姿を見つめる。先ほどまで彼女が抱いていた背中だった。

彼が自分を愛していないことは知っていた。従兄妹という関係を斬り捨てて上司と部下という関係となったキラとルナマリア。誰が強要したわけでもなく、ルナマリアが勝手にキラの後を付いてきてもキラは何も言わなかった。後ろを振り向くわけでもなく、優しい言葉をかけるわけでもない。

キラにとって国の繁栄こそが第一。そのために生きているようなもので、自分が皇帝になるという野望さえ霞むほどの想いを国に馳せている。愛国心が強すぎるのだ。ルナマリアは全部わかっていた。わかっていて彼を受け入れている。彼女は純粋にキラを愛しているから。上官としてもちろん尊敬しているし、男として愛している。彼にだったら地獄でさえ付いて行く。だから彼の願いは自分の願い。国の繁栄こそ彼女の願いでもあった。

心の奥底にしまい込んでいるキラに対する気持ちは叶うはずなどない。兵士でしかない。手駒でしかない。それでもいい。女としてより彼を支えることのできる兵士として生きていくことがルナマリアの幸せなのだ。彼の子が産めなくても、愛されなくても――それで満足だ。

結婚式を遠くから見て、何も思わなかったわけじゃない。報われようだなんて思ってもいない。同性から見ても美しいと思える皇女に嫉妬心を抱かないほど大人ではない。この帝国のためにもキラの野望のためにも彼女は必要な存在であることにも少なからず嫉妬をしている。そんな醜い自分に嫌悪した。

ただ、キラの後ろがルナマリアの居場所だった。それは恐らく死ぬまで変わらないのだろう。薄暗い中で横たわる背中を見つめながらルナマリアは眠りについた。




プラントの皇女の住む離宮は他の離宮より警備が厳しい。それは敵国プラントから来た皇女であるから、自らの正室である彼女をキラは監視するよう女官長であるナタルに言いつけてあった。夜でもそれは例外でなく、兵士が交代をしながら離宮を取り囲むように警備という名の監視を続けている。

「どうした?」

ひとりの兵士が辺りを見回すと、もうひとりの兵士がその行動に首を傾げる。

「歌……歌が聞こえる」

その声に耳を研ぎ澄ますと確かに女性の歌声が聞こえる。聞いたことのないメロディーは美しくも思えたが、逆に不気味さも孕んでいた。

「“プラントの女神"……?」

歌が聞こえてくるのはふたりが立っている大庭園に面した離宮の入り口と丁度逆方向の中庭に面しているアスランの部屋だった。彼女が歌っているのならば聞いたことないメロディーも説明が付く。

「……」

故郷を想って旋律しか知らない歌を歌う。歌を歌うことなどプラントではなかったというのに、とうとう頭がおかしくなったのかもしれない。わからなくなって詰まってしまった。歌や楽器は苦手で学ぼうとしなかった。今更だが、きちんと学んでおけばよかったと後悔した。唯一知っているのは乳母が子守歌に歌ってくれたこの歌だけだった。

故郷を想ったところで帰ることなどできないのに。プラントは今頃雨乞いの儀式が催されていて、たくさんの人が儀式に参加してお祭り騒ぎだろう。砂漠の帝国、プラントでは雨乞いが一年で一番大きな行事でアスランも毎年参加していた。

神に仕える巫女が踊り子となって踊りを舞い、神に雨を降らせてもらう、という古風な儀式で、毎年アスランの舞を見るために人々が集まった。アスランには雨を降らすという能力はないが、彼らはそれでもアスランを称えてくれた。

もし帰れたとしても、乙女ではなくなってしまったからもう踊れないな、なんて自嘲した。舞いを踊る姫は純潔でなくてはならなから、将軍と交えてしまったアスランはもう二度と舞うことは許されない。それが悲しかった。

「アスラン様」
「はい」

アスラン付きの女官のひとりであるミリアリアは花瓶を片手に一礼をするとアスランはミリアリアの方に顔を向けた。

毎日違う花を生けて持ってきてくれるミリアリアは、何度か顔を合わせたことのあるバジルール女官長とは違い、笑顔を絶やさない、少女らしさを残した女性だ。

アスランは花に詳しくないから何の花かもわからないけれど、窓の横に置かれた花からはとてもいい香りが漂っている。窓際に椅子を置いたり、机を置いたり、そう言った細かい気遣いがアスランにはとても嬉しくて、ミリアリアが何かをしてくれる度に感謝の言葉を発した。

ミリアリアは花瓶を置くと用が済んだようで、部屋を出て行く。きっと一時間も経てば紅茶を運んで来るのだろう、監視も兼ねて。もう慣れたと言えば慣れた。この国に来てからというもの常に人の目が自分に向けられているのは仕方ないことだと思う。アスランは皇弟妃といえ捕虜や人質のようなもので、何をしでかすかわからない、とでも思っているだろう。きっと彼女だけではないはずだ。

だから何もせずにこうして窓の外を見ている。そして故郷に思いを馳せていた。シンやディアッカはどうしているだろうか。無鉄砲なシンがディアッカを困らせていないかとか、オーブ兵によって民衆が苦しい思いをしていないかとか、皆が元気で暮らしているだろうかとか、心配でならない。

皆、口止めされているようでアスランにはそういった情報が一切入ってこない。ただこの瞬間を生きることがアスランの義務で、それが更なる虚しさを作り出していた。



全王の名の下に結ばせられた彼らの間にあるものは

愛や慈しみなどではなく

義務と、偽り、嫌忌、蔑視

そして手に負えないほどの

憎しみ。
To be continued……