sword and shield




扉を閉じてすぐに待機していた女官に挨拶をされ、それに返事をしないまま、キラは長い廊下を進む。今日も仕事は山積みだった。ポケットから天の紋章の入った手袋を出すとそれを歩きながらはめる。長い廊下をキラが歩くと女官達が左右に並び、声をそろえて何度も挨拶をしてきた。それも無視する。

時間があれば湯殿にでも行こうかと思ったが、今日は軍議があったことを思い出して諦める。キラは朝風呂を好んでよく入るが、仕事のある日や気分の悪い日は極力入らないようにしている。今日は両方だ。キラはさっさと離宮を抜けると大庭園へと足を運んだ。

水の都、ヤラファスは上空から見るとやや横長の楕円に見え、その周りを濠が囲っている。内側や地下までも水路が張り巡らされており、首都ヤラファスの丁度中心には全王を祀った神殿があった。昨日キラとアスランが式を挙げた神殿がそれに当たる。世界で一番天に近いその神殿を囲むようにオロファト宮殿が位置している。オロファト宮殿は神殿と大臣や将軍が政治をする中心であり、皇帝の住んでいる宮殿と皇族の住む離宮、そして宮殿と離宮を結ぶ大庭園が含まれる。

キラが離宮から宮殿まで向かうのにはこの大庭園を歩かなければならなかった。大庭園には離宮と同じく何人もの女官がおり、壊れた玩具のように頭を下げている。キラはもちろんそれに応えずに無言で宮殿へと足を運ぶ。大庭園は幼い頃から好きだがこんなに人がいる庭園は好きではない。

「おはようございます。将軍」

やっとのことで大庭園を抜けると待機していたルナマリアがそこにいた。キラはそこで初めて反応をする。短い反応だが今まで何百回という女官達の挨拶を無視してきた彼にすれば大きなこととも思える。

副官である彼女はキラに付いて離れることはない。少なくともキラが将軍の時は常に彼女が傍にいた。そして彼のことをよく知る人物だった。そして彼らがそれ以上の関係であることはこの宮殿でも今更口にすることではないほどに有名な話しだった。キラはそれを特に隠し立てする理由もないので否定することも肯定することもない。

「しっかりなさってください。部下に示しが付きません」

あきれた口調でルナマリアが注意する。将軍であるキラに注意をする女性は副官である彼女とキラの教育係だったナタル、そしてもうひとりくらいだろう。男性は幼い頃から兄弟同然に育ってきた者や、ライバル、戦友は将軍であるキラに対しても無礼な物言いや文句を言ってくる。キラとしても彼らは忠実な部下であるが畏まる必要はないと思っている。女性には恐怖の対象らしく、誰もが目を合わせようとしなかった。そこでアスランの行動が自分を恐れる女官達の行動によく似ていることに気がつく。彼女も自分を少なからず恐れているのだと思うとどこか納得がいった。

「わかってる。指図は不要だよ、ホーク」

わざとらしくキラが強調させることを目的にファミリーネームで呼ぶ。ルナマリアは心配そうに彼の顔色を窺った。帰国してからたまった仕事をほとんど寝ずにこなし、その上昨日は結婚式だったのだから疲れも溜るだろう。早く世継ぎを、というムードは宮殿内だけでなくオーブ帝国全体から聞こえてくる。

「お疲れのようですね」

何も聞かずに体の心配をするルナマリアに、キラは少しだけ居心地がよくなる。昔の彼女なら何でも根掘り葉掘り聞いてきただろうに、キラの副官となってからというもの、殆ど口を挟んで来なくなった。それがルナマリアの気遣いだということはわからないわけではない。

「ったく、ストレス溜まる」

整えたばかりの髪を掻きあげればキラの程よい色の耳が晒される。普段は大人びているキラの少年のような仕草にルナマリアは思わず笑みがこぼれてしまった。将軍として軍を統率する人間とは思えないほどの幼さだ。彼は嫌うが元々女顔であることから年寄り下に見られがちだが、将軍として着飾り威厳を示すことで最近は実際より年上にみられることも最近は少なくない。美少年だということは今も昔も変わらないけれど。

「相性が悪いとか。体の」

第三者が会話に割って入った。キラはそれに不機嫌そうな顔をする。

「ムウ・ラ・フラガ。それが上司に対する物言い?」

給料引くよ、とキラが別段驚いたそぶりも見せずに脅すとムウは勘弁してくれと戯けてみせた。ムウ・ラ・フラガはキラの編制した軍隊の隊長を務める人物だ。幼い頃から同じ師の元で武術を学んだキラの兄のような存在だった。彼とキラは一回り程年が離れていることがあってか、人生の先輩としての役割も持っていた。

「まー、細かいこと気になさんな。将軍殿」

不真面目そうに見えるこの男もキラを支える人間の一人。ハート隊のニコルと同等の位置にあるクラブ隊の隊長を務めている。いつでも兄貴風を吹かせる彼を嫌いではない。

キラはフラガとルナマリアを従わせて宮殿の広いだけが取り柄の会議室へと急いだ。

「体の相性は大事だぞ」
「その話はもういいって。体の相性云々の問題じゃないから、彼女の場合」

キラはいいながら扉を開ける。開けると広い会議室にふたりの人間が部屋の隅と隅に腰を下ろしていた。遅い!と片方が勢いよく向かって突進してきたのをキラは軽やかにかわした。

「俺たちも遠目で見たが、ありゃ相当の美人さんだったぞ」
「何の話だ、何の!」

銀髪の青年は話が見えずに地団駄を踏んだ。自分のペースを崩さないフラガは気にせずに話を続けた。いつの間にかキラ達の元に寄ってきたニコルが苦笑いをしてアスランのことだと耳打ちをする。

「いくら美人でも……ったく僕の苦労を誰もわかっちゃくれないんだから」

キラがそう溢すと入り口付近で待機しているルナマリアが俯いた。半ば勝手に結婚させられたのはキラだって同じだというのに。確かに美しいがキラはそれだけで女に執着する人間ではない。自分が女に執着するなどと想像も出来なくて、逆に見てみたいと他人事のように感じてしまった。

「貴様の口から苦労なんて言葉聞けるとはな」

剣のスペシャリストであるスペード隊の隊長、イザーク・ジュールが憎まれ口を叩く。彼もキラとは古いつきあいの一人だ。皇族と上流貴族の中間に位置する微妙な家に生まれ、絶大な権力を誇るジュール家の嫡男であり、幼い頃から何かとキラと争っている、ライバルのような存在である。憎まれ口を叩きプライドも高いがキラの信頼できる数少ない人間のひとりだ。

キラは彼の言葉に一瞬むっとするがポーカーフェイスを気取る。彼の挑発に乗ってもあまり意味がないということは長年付き合ってきたからわかること。

「なにせ“女神"だからなあ。手を出すのも恐れ多いとか?」

しつこく続けるフラガにキラはもう無視をすることにした。男女の色恋沙汰に首を突っ込むのが大好きなフラガは誰と誰が付き合っているとかそんな情報ばかり探っているのだからキラとしても呆れる。

しかしフラガもニコルもイザークも軍の中枢を担う人物であることには変わりない。ナタル・バジルールによって軍のいろはを学び、自らのずば抜けたセンスとアイディアによって作り出したのが世界最強とも謳われるオーブ兵。それは皇帝に軍を統帥するよう言いつかった将軍のキラが自ら発案したもので、この制度を取るようになってから他国には負けたことがない。

名の通りハートはオーブ自慢の魔法攻撃部隊。スペードは攻撃部隊。クラブは攻撃支援部隊。ダイヤは補佐・救護部隊。それぞれの部隊の中でも最も強い者がエースとなり、部隊の隊長になる。2から13までを統括することになる。全部で五十二人。五十二人をセットとし、Sクラスから成り立っている。他の軍と比べて兵士の数こそ劣るものの「一騎当千」なのが無敵と呼ばれる所以であろう。

臨機応変に同じ数字の者同士で隊を編成することもできるし、マークで集中攻撃をすることも可能だ。キラはこの組み替えの天才でもある

指揮が優秀なら駒は生き残る。そして統べるものこそ将軍であるキラなのだ。この圧倒的戦力の前に全ての敵は屈服せざるをえなかった。プラントの騎士団ですらこのトランプ兵に敗れた。

クラブ隊は弓矢槍など剣以外の武器を使用して攻撃するのが主だが情報収集も管轄している。キラや軍の裏の情報も占めているから仕方ないと言えば仕方ないけれどあまり職権を乱用すると減給にしてやろうかと思ってしまう。

それだけフラガに信頼を置いているという証でもが、彼の場合面白がっているのだからたちが悪い。元々エースは信頼を置ける人物しか置いていない。全員がキラと幼い頃から共に育ってきた人物だからキラも気心が知れているし、裏切りの可能性もない。仮に裏切ったものなら彼らの一族を全員処刑すればいいだけの話だ。

「美人だったもんなあ。女官達もすごい騒いでたぜ」
「物静かで凛とした雰囲気ですし、僕はプラントから護衛しましたがとても感じのいい方でしたよ」

ニコルが笑顔でそう言うとイザークとフラガが食いついてくる。

「時折僕を見る目がふっと優しくなるんです。もしかしたら弟さんでもいらっしゃるんじゃないかな」

キラはその言葉を半分聞き流しながらも彼女の瞳が優しくなるのなど想像できないと心の中で毒を吐いた。きっと皆に向けるようになってもキラにだけは向けられることは一生ないのだろうが、別に構わない。恐らくニコルは男女問わずから好かれるタイプだから、彼女も少しは気を許したのだろう。

「僕はあの女嫌いだよ」

長い前髪が目にかかっていたがそれを払わずに不機嫌な表情ではっきりと宣言すると三人が目を丸くした。奥に待機しているルナマリアもわかってはいたが驚きを隠せない。ここまではっきりと自分の妻を嫌う人間がいるだろうか。きっといないはずだ。

自分が戦場にのこのこと出てきたのが悪いんじゃないか。でなければプラントの女神と讃えられることもなく、今頃はプラントにいられたというのに。昨夜抱かれているときもアスランはキラを見ようともしなかった。キラだって好きでアスランを抱いていたわけでもないのにまるでキラが強姦しているような、自分だけが耐えているようなそんな表情にキラはとても苛ついた。

――皇帝命令じゃなければ誰が抱くか…

キラはプラントを滅ぼそうとしているのに、プラント皇帝の娘である正室など矛盾している。世継ぎはプラントの血を受け継いでいるのだから、滅ぼしてもアスランと子供に残る。それが妙に腹立たしい。

「将軍、指輪見せてくださいよ」
「指輪……?ああ、地の紋章の」

キラはどこにしまったか忘れてしまい、両手をズボンのポケットに入れる。指輪どころか何一つ入っていない。国宝である指輪をなくしたとなれば大問題に発展することがわかっているキラはさすがに焦った。

「ない……」

上着を脱ぎ、所狭しと並んだ勲章を鳴らせながらそれを逆さまにする。乱暴にそれを振ると小さな音を立てて絨毯に小さな欠片が落ちた。それは紛れもないキラの指輪。昨日よりずっと輝きを増しているように見えたそれを摘むとふっと息を吹きかけてほこりを払った。国宝に対して失礼な行動である。

「だらしない」
「なくすのも時間の問題ですね」
「なくしたら大問題だぞ」

次々にキラを非難する言葉が浴びせられ、さすがのキラも返す言葉がない。指輪は着けたくないが物の管理は苦手。常に肌身離さず持っていなければいけない物らしいのでどこかにしまっておくわけにもいかない。キラの場合、普段は手袋をはめているため指輪の上からでは不格好だ。それにキラ自身プラントの地の紋章の入った指輪など着けたくはない。かといって今のようにポケットに入れたままどこにしまったか忘れてなくしてしまうのはニコルの言うとおり時間の問題だった。

「見せてください」
「ニコル、国宝に触ると首が飛ぶぞ」

輝きを放つ指輪にニコルとムウが駆け寄った。キラの指に摘まれたそれを見て笑顔を見せる。

「でもこの指輪、プラントの指輪なんですよね?……とても綺麗ですね」

ニコルは年相応の言葉をキラに紡いだ。最年少らしい言動は混じりっけのない素直な彼の性格をよく表している。捻くれているとよく言われるキラとは正反対だが、その素直さと忠実さをキラは好んでいる。

「ああ、太古の昔、全王が天地の王の繁栄と友好のために作ったものを渡さずに神殿の奥に祀っておいたものらしいよ」

細かい彫刻を施してある指輪は大きな宝石もついていないただの銀色の輪っかだというのに、部屋にあるどの宝石よりも輝いている。とても数千年以上前に作られたとは思えなかった。プラントを滅ぼそうと思っている人間に地の紋章の入った指輪を、オーブを憎む人間に天の紋章の入った指輪を渡すなどなんという皮肉だろうか。

キラは無信仰だからそういった神話の類に分類される話には興味などないが、最高聖職者がそう言うのだからそうなのだろう。だが、あわよくば滅ぼそうとしている国の友好の象徴を身につけている自分がちっとも面白くなんてないのに何故だか笑えた。

「あのプラントも女神も、無能な皇帝も、全ては僕の手中だ。国のためなら僕はなんだってやる。そのためにプラントは邪魔だから……潰す。徹底的にね、いい?」

口端をあげて薄く笑うキラの表情をやれやれという呆れた表情で見るニコル、イザーク、フラガはいつものことなので仕方ないと思いながら仰せのままに、と胸の紋章に触れた。

「それよりルナマリア。ダイヤがまだのようだけど」

キラがルナマリアに声を掛けると彼女は驚きのあまり妙な声を出した。一度扉を開け、辺りを見回すが誰も見あたらず、気配もない。

「まだ、のようです。もうすぐいらっしゃると思いますが……マイペースな方なので庭園の方で寄り道なさってるのかも」
「……当分始められそうにないね」

キラは舌打ちをして手に取った指輪を胸元のポケットにしまった。