long night |
オーブの夜は虫の鳴き声で騒がしい。木々に止まった虫たちが己の存在を示すように羽を震わせ、旋律を奏でていた。うるさくて寝られやしないと皇帝は言うがキラはオーブの騒がしい夜が嫌いではない。水路を流れる水の音や、木々がざわめく風の音の中庭園を一人で歩くのも悪くない。 しかしながら今日のような雰囲気はいただけない。 ゆっくりと閉まるドアの小さな音が耳について、キラは目に掛かる前髪を掻き上げると視界に入った指輪に視線を落とした。忌々しい紋章の入った指輪を式が終わった直後に外そうとすれば周囲が必死に止めてきたので一日だけ我慢することにした。 数日前にあったきりのプラントの皇女は黙ったまま俯いているのか、それとも頭を下げているのか微妙だった。そういえばふたりきりになるのはこれが初めてかもしれない、とどうでもいいことに気が付いて、心の中で何度も面倒だと呟く。 キラには女など二の次。今は帝国が一番で、国のためなら命も惜しいほどだ。だからプラントを敗北させ、オーブがこの大陸を支配する。全てが順調に進んでいる。プラントを敗北させたキラが友好など望んでいるはずがない。あの条件をプラントが呑むなんて思っていなかったから正直驚いている。あの理不尽な条約を決裂させて、プラントを完全に滅ぼす、それがキラの狙いだったというのに。大きな誤算だった。プラント皇帝も頭がきれるようで、キラとしても困ってしまう。 ――何が天地統一だ、何が全王だ。笑わせるな 皇帝に言われなければ妻を娶るつもりもなかったし、今後新しい妻を娶る気もない。女は人生の中のおまけのようなものだ。だからアスランを見てもキラは何とも思わなかった。ただ、戦争や政治も知らないこの少女が“プラント"と言われて崇められていることが気にくわなかった。 美人が抱けるだけいいか、と自分をポジティブ思考にさせようとキラは言い聞かせる。美人を抱けて皇帝になれるのなら一石二鳥と言えるかもしれない。彼女が美しいことは認める。白い肌は透き通っており、宵のような長い波がかった髪は一本一本が輝いて見える。宝石を埋め込んだような翡翠の瞳もきっと美しいのだろう。薄い唇は肌とは違った桃色だ。世の男を虜にするには十分の要素だった。皇帝が側室にしないのがおかしいくらい彼女は美しい。 それに自分に与えられたカードで、プラントの人質だった。これがある限りプラントは抵抗しないだろうし、無理難題を言っても呑むだろう。それほどこの女神様はプラントのシンボル的存在ということだ。この悲劇のヒロインぶっているお姫様も自分の駒のひとつだと思うと笑いが止まらなかった。 無言で近付けば、警戒しているのかアスランの肩がピクリと震える。 女官が照明を調節したのだろう、薄暗い室内はアスランに与えられたもので、初夜はアスランの部屋に行けと皇帝命令が下されたので義務的にこの部屋に来たまでだった。 白く薄いドレスに包まれたアスランは花の香りがする。キラが好きな香りを知っている女官長の仕業だと即座にキラはわかって、風呂の中に入れたのだと思うと抜かりないと心の中で呟いた。 ベッドに近いと言えば近い、遠いと言えば遠い微妙な位置でこのまま押し倒そうか、紳士的にベッドまで抱き上げるべきかどうでもいいことに気を遣う。いつも抱く女は貴族ばかりで皇族の、しかも自分の正式な妻だと思うと気を遣ってしまう。 当たり前に乙女なのだろう、今から起きる行為に怯えているのかそれともキラに怯えているのか、翡翠の瞳は真っ直ぐにキラを見つめ、しかし左右に揺れていた。潤んでいる瞳は扇情的でさすがのキラも息を呑んでしまう。全く男とはつくづく単純な生き物だ。 自分でも恐ろしいほどに無表情で、何も話しかけないなんて紳士的ではないなと思う。事実上捕虜とはいえ、彼女はキラの正室だというのにこの扱いはものに対するものと似ている。キラにとってこの少女は世継ぎを生む体、そしてプラントを意のままに動かす切り札、そしてもうひとつ。 肩に触れればアスランは強張らせて揺れていた瞳を閉じる。斜め上から見える彼女の長い睫が水分を帯び、くっきりとした黒に染まった。手を浮き出た鎖骨に滑らせ、親指を顎に添える。思ったよりもその体温は低かった。 キラは思わぬ大きなカードが舞い込んできたことを素直に喜び、人生で初めてあの無能な皇帝に感謝した。これで皇帝への道が開けたのだ。しかし彼のように子供を作る能力がなければ意味がない。安心するのは子供――男の世継ぎが生まれた時だろう。そのためなら嫌いな女だって抱いてやる。 顎に添えた片手をさらに頬に滑らせると、慣れたように誰も触れたことのない桃色の唇に口付ける。アスランは口を一文字に閉じていた。お辞儀の作法は知っていてもキスの仕方は女官長に習わなかったらしいと内心馬鹿にした。 初々しくて可愛らしいじゃないかとなるべくいい方向に考えるようにしたキラは唇を親指で触れ、導くように彼女の口を開かせ、舌を侵入させてやった。 口内に侵入した熱に驚いたアスランがキラの肩に手を乗せ、力を入れる。キラはその手を無理矢理剥がし、自由な手で彼女の腰を強く抱いた。思った以上に細い腰だ。口内に侵入したキラの舌にアスランがそっと瞳を開けた。潤んだ緑の宝石がキラの目の前に飛び込む。それはそれは艶やかだった。 口付けながら段々と白く広いベッドへと移動させる。立ったまま彼女の履いていたヒールを脱がせてやり、滑らかな肌触りのベッドに彼女を横にさせれば恐怖心を必死に隠そうとする女神がそこにいた。キラの口付けに耐えられず息を切らしている。ファーストキスでこれはさすがに強すぎるかもしれない。キラは彼女の心を見透かし、わざと無言でそして優しく触れる。 ゆっくりと体重を掛け、再び深い口付けを贈りながら真っ白で脱がし易いドレスに手を掛けた。アスランは必死に辱めに耐えながら両手しっかりと薄いシーツを掴んでいる。彼女の左手には天の紋章の指輪が光っていた。生意気に戦線に出てオーブに刃向かった女とは思えないほど惨めな姿だ。剣を向けた国の仇に抱かれ、その男の子を産むというのはどれだけ彼女にとって苦痛かと考えるだけで笑いが止まらなかった。 *** 朝の眩しい光が差し込み、薄く瞳を開けたアスランは徐々にはっきりとしていく意識に一度瞼を閉じてから再び自らの意志で起床することを決めた。 心地いい肌触りのシーツも枕もプラント織の布で、まるでプラントに帰ったような気分になってしまう。柔らかいベッドで動こうとすれば鋭い痛みが体を襲う。目を細めて深呼吸をすれば痛みは薄れ、目に入ったのは背中だった。 広く、がっしりとした傷ひとつない背中。皇族とはいえ軍人だというのに綺麗すぎる背中は彼の強さを意味していた。 数多の戦場を駆け抜け、何人ものプラント兵を殺したのだろう、その腕に抱かれた自分は生きている意味などあるのだろうか。結婚すると言うことはそういった行為をするのが必然的なことで、アスランだってそんなことがわからなかったわけではない。皇族だからいつかはどこかの王子や貴族と政略結婚するかもしれないという考えがなかったわけでもない。特に皇族の妻の仕事が世継ぎを生むことなどアスランとて重々承知のことで、愛のない子供を産むことだけがアスランの生きている意味なのだろう。生んだらきっと他の誰かが育てるのだろう。アスラン自身実の母に育てられずに乳母に育てられたのだ。 いっそのことディアッカに貰った短剣で将軍の胸を貫いてしまおうかと思うくらいだったが、自分の命はおろか、それを口実にプラントが滅ぼされることなど目に見えていた。 どこぞの貴族や王子ならどんなによかっただろう。それだったら愛する努力だってするし、愛してもらう努力だってする。しかしこの男は別だった。国を敗北させ何人もの兵が将軍によって命を散らし、国の仇ともいうべき男に、辱めを受けたという事実がアスランにとって耐え難いことだ。 アスランは何度も心の中で殺してやる、と叫んだ。口づけをされて、体を貫かれて、心も砕かれて、それでも必死に耐えるアスランはそうすることでしか保つことができなかった。 初めての口づけも想像していたような甘く蕩けるものではなく、義務的な行為に似ていた。優しい手付きがアスランに耐え難い苦痛を与え、彼を拒絶する心がアスランの躯だけを痛めつけた。ひどい抱き方をしてくれた方がまだましだったというのに。生暖かい彼の手の感触がいまだにアスランの体中に残っている。 綺麗な背中は畳んで置いてあった白い軍服に隠れる。勲章が存在を示すように音をたて、キラはそれに気にした様子もなくに袖を通した。アスランの初めて見る将軍の軍服姿。皇族の青い正装よりずっと潔癖なイメージを感じさせるその左胸の勲章は今までみたオーブ兵の中で一番多い。 彼は面倒そうに左手の薬指から指輪を外すと乱暴に胸元のポケットに入れた。それから剣を腰に差すとさっさと部屋から出て行こうと、豪華な作りのドアノブに手を掛ける。キラは部屋を出るまでとうとう一度もアスランに目を向けることはなく、完全に閉じられたドアにアスランは安心して眠りに就いた。 |