In a basement




戦争に敗れたプラントは季節を感じさせない気候の象徴のような砂漠の中に存在する。オアシスと海の近くに作られた数少ない人間の住める場所にある首都アプリリウス。今ではオーブ軍が大使館を設置し、そこに百人単位で兵士が駐屯している。

プラント皇族の住まう王宮には一部の人間しか知らない地下通路が昔から存在している。それは何かがあったときに城の外へと続く道であった。古に作られたそれを後から掘り進め、いくつもの部屋が作られていた。今では入り組んだ階層となっていて、存在を知らない者が入っても全貌がわからないようになっている。無理に探ろうとすれば一生地下迷宮を彷徨うこととなる。

その地下迷宮の一室に昼間から集まる数人の男の影があった。四、五人が入るといっぱいいっぱいの窓のない石作りの部屋を一本のろうそくが弱々しく照らしている。暗闇のなかではその弱々しい光だけが頼りだった。

「ここのところ酷いですねオーブの駐屯部隊は……人権もあったものじゃない」

ディアッカ・エルスマンはどうにも出来ない悔しさを言葉に出来ず口籠もった。ユニウス条約で制定された“大使館の設置"によってプラントには監視役のオーブ兵士が一日中町を歩いていた。プラント皇帝に自治権があるものの、敗戦国であるプラントには彼らに逆らう術はない。

監視されているだけならまだしも、少しでもオーブに謀反の疑いのある人間は即座に収容所送りとなったユニウス要塞を作り替えて収容所にし、罪人や謀反の疑いのあるものはそこで強制労働を強いやられる。そして二度と帰ってこないという噂だ。

「国が残っただけでもまし……という考えはないのかね?ディアッカ」

仮面を被ったクルーゼはグラスのワインを口に含みながら顔をディアッカに向ける。仮面を被っているからその表情は伺えないが、口端がつり上がっているので笑っているのだろう。

確かに国が残っただけましとも言える。オーブ皇帝がどうしてプラントを滅ぼさずに自治権まで与え残しているのかが謎だった。謀反の疑いがある人間を集めて収容所送りにするのならいっそのこと滅ぼした方が向こうも楽だろう。皆が同族に対する同情だと言うが、ディアッカはそうとは思えなかった。

「しかし……これじゃあ、」
「親父の仇がそんなに取りたいか?少年。それとも……」

バルトフェルドはコーヒーの香りを嗅ぎながらディアッカを見上げた。狭い室内にコーヒーとワインの香りが混じって少々鼻につく。プラント一番の水源であるユニウスを水不足が急速化しているというのに味の付いた飲み物を飲むなんてなんて贅沢なのだろう。民衆は毎日水不足に喘いでいた。ディアッカはそれを身近に感じている。

オーブに嫁いでいったアスランが弟と同じくらい心配していた水問題。ディアッカも及ばずながら力を貸している。彼には知識がないため水質検査や毒味などできることは限られているが研究員達はそれでも助かると言ってくれる。彼らはアスランのためにも濾過装置を完成させるのだと息巻いていた。

アスランが人質になってからの一ヶ月で民衆は目まぐるしい変化を遂げた。逆境に強い砂漠の民だから、なのかもしれない。砂漠と風と暑さに強い植物の研究も始められた。破れたからこそプラントの民は生きることに必死になれるのだろう。今は力がなくとも闘志は誰の心からも消えていない。

無論ディアッカもそうだった。尊敬していた父を殺され、忠誠を誓ったアスランを人質にされて何もせずに生きているなど我慢出来るはずがない。力を蓄えオーブに復讐し、アスランを救出させる。アスランのことは納得できなくても父の戦死はきちんと受け入れていた。戦争で父は皇帝に忠誠を誓っていた騎士なのだからそれは致し方ないことだった。

「父は名誉の戦死です……」

ディアッカが割り切っていることを告げると、バルトフェルドがコーヒーを燭台に近づける。白いマグカップがぼんやりとオレンジ色に光った。

「名誉……?どうしてそれが君にわかる?」
「え…?」

ディアッカはその言葉に動くのを忘れた。

皇帝から父は立派な最期だと聞かされていたため何も疑わずにいた。騎士が死ぬときは立派に散らなくてはならないという父の教えから彼もそれを信じていた。

「酷い殺されようだったよ……。じわじわと、まずは右腕を、次は左足を、嬲るようにジワジワとね……団長も最後には“殺してくれ"と言ったよ……それでも奴はとどめを刺さなかった。それが“名誉"だと?」

その言葉にディアッカは耳を疑う。五騎士の選考会議中に聞く話とは思ってもいなかったから、動揺が隠せない。尊敬していた父は、名誉の戦死を、そう思っていた。いつでも自分の前では弱さを見せずにいた父が最後に口にした言葉が“殺してくれ"だなんて、そんな惨めな最期の言葉、信じたくなんてなかった。

「団長の亡骸も連れて帰ってこれなかった……」

ミゲルがすまなそうに俯いた。俯いたことで弱々しい炎が彼を集中して照らす。ミゲルも戦地に赴いたひとりでディアッカの父と敵の戦いを目の当たりにしていた。だがその惨さをディアッカに話すつもりはないらしい。

「過ぎたことだ……それに今はアスラン様がどうにか頑張ってくださっている」
「人質の女神がか?」

ミゲルが首を捻るのでディアッカは咳払いをした。彼は幼い頃に父を亡くし、母共々所縁のあるディアッカの父が引き取って育てられた。ディアッカとは兄弟同然の仲だ。アスランとの関係を知る唯一の人物でもある。

「彼女の一つの行動で我らの命が明日あるか決まるようなものだからな」

バルトフェルドが馬鹿にするような口調で発したあと、コーヒーを一口飲む。確かに彼の言うとおりだがやけに頭に来る言い方だ。彼は側室の皇子達の騎士を務めているからアスランやシンにあまりいい感情を抱いていないことはわかるが、そういった態度を取ることはないだろう。

「今はまだプラントをどうするつもりもないようだが……」
「“生かさず殺さず"ですかな」
「では五騎士も当分欠員の方が怪しまれないのでは?」

淡々と話を進めるクルーゼ、バルドフェルト、ミゲルに対してディアッカはひとり納得できないでいた。こうして騎士が集まることでさえオーブの駐屯部隊は目を光らせている。ここはプラントだというのに支配されているのが苦痛で、なのに何もできない自分に苛ついていた。三人の話も耳に入らずにただそこに居続けるだけのディアッカはプラントで極秘に作られているワインをそっと飲むと、ラベルを見て俯く。

「では、しばらく五騎士は欠員、そして筆頭はバルドフェルト氏ということで……あまり目立った行動をされては国がなくなる恐れがあるからな。行動には各員気をつけたまえ」

まだ新米のディアッカとミゲルが短く返事をすればクルーゼはまた口端をつり上げた。会議は終了し、それぞれが違う入り口から地上に出るために散ろうと部屋のドアノブに手をかけた。そこでディアッカの背中に声がかけられる。

「……今日は皇女殿下の婚姻の儀らしいな」

その言葉にディアッカは足を止めた。そしてゆっくりとバルドフェルトに視線を向けると、バルドフェルトはニヤリと笑う。からかわれているようで不快になるけれど、無視をして去ろうと足を進めた。

「団長を手に掛けたあの白い軍服の青年がまさか皇帝の弟とは思わなかったが、君としては標的がひとつになって実に戦いやすくなっただろうな」

バルトフェルドの言葉に我が耳を疑ったディアッカが素早く翻す。皇帝の弟といえばアスランの結婚させられる人物だ。先ほどの話しからすると相当残忍な性格なことが窺える。

「皇帝の弟……?アス……殿下のご結婚なさる方が自分の父を」

愕然とするディアッカをミゲルが支えた。そう思うと名前も知らない皇帝の弟にこれまでない殺意が生まれた。父が殺してくれと言うほどに残酷な傷つけ方をし、その手で彼も触れたことがないアスランの肌に触れると思うと気が狂いそうになった。

「その場にいた俺を疑うのか?少年」

バルトフェルドは心外だ、と言わんばかりにまたコーヒーを口に運んだ。確かに彼とは後継者問題で対立する立場にいるが、嘘を吐く人間ではないことは知っている。そしてそこにディアッカはいなかった。支えられたミゲルに視線を向けると彼は首を横に振る。

「いえ……」

そんなこと、知ったところで今は何もできない。アスランを救うことも、皇弟を殺すことも、オーブを倒すことも。ディアッカにできることといえばシンに剣の稽古をつけるくらいで、他できることなんて殆どないに等しい。彼女に託された弟が彼女のおかげでやる気を起こしてくれたことがせめての救いだ。

姉のために、姉を取り返すためにシンは立ち上がった。それが茨の道であろうと。そして初めて皇帝になりたい、とディアッカに口にした。ディアッカはそれまでアスランの言うとおりに彼の騎士を務めることを拒絶していたが、彼のその言葉と真剣なまなざしを見て思い直した。

それからのシンは毎日八時間の勉強に加え、四時間の剣の稽古をこなすようになった。自由時間はまだしも睡眠時間を削ってまで皇帝になるための努力を惜しまない彼に心を打たれた。

そしてシンとディアッカは騎士の契約を結んだ。本来ならば騎士が二人に忠誠を誓うと言うことはあってはならないことだがアスランは無期限で不在という特例中の特例で皇帝に認められ、晴れてふたりの契約は成立した。

「戦争とは酷なものだな……。だが、彼女も団長も覚悟の上だろう。あの皇女なら皇帝か皇弟を刺し殺して自分も自害するくらいの力は持っておろう。が、そこまで愚かではないだろう」

バルドフェルトは褒めているのか、貶しているのかよくわからない。恐らくアスランならば自身が死んでも殺す覚悟と腕があるだろうが、それを口実にオーブはプラントを滅ぼすだろう、ということだろう。オーブは少しでも隙を見せればプラントを滅ぼしにくるだろうことはみんな薄々気がついていた。恐らくオーブにいるアスランなら尚更だろう。オーブで辛い思いをしていなければいい。

コーヒーカップの中に映るバルドフェルトの顔は薄気味悪く揺らめいて、ディアッカはそれを黙って見つめる。やるせない気持ちだけが彼の心に渦巻いていた。