Under all kings' name |
数日後、キラとアスランの婚姻の儀が執り行われた。いきなり決まったのは早くすませて世継ぎをなどということではなく、オーブ皇室に仕える神官の占いによるものだという。オーブもプラントと同じく全王を救世主とし、信仰の対象としていた。神と等しいほどに全王という名もなき覇王はこの大陸のすべてを未だに支配している。 アスランもプラントでは皇族の女子の中で選ばれる巫女を務め、王や地の王の加護を受けた者として崇められていた。尤もアスランには占いや預言、神のお告げを聞くといった巫女が持っていそうな能力は皆無で形だけの巫女だった。多少の他の人間より特異な能力を持っていて血を濃く継いでいるということと、次の巫女が誕生するまでの穴埋め、そして第一皇女ということが巫女の職に彼女が選ばれた理由だった。 春の心地よく、晴れた日。全王がふたりの婚姻を祝したのだと誰もが言った。オーブ独特の柔らかい風が吹く。人々は風を愛していた。風と言えば熱風か砂嵐という環境で育ったアスランにとってはこの爽やかな風がどこかくすぐったく感じる。この国のこういったところは意外と好きかもしれない。 古い為来りに則た婚姻の儀は各国の王族が大陸を越えてまでやって来るという大がかりなものだった。表向きはオーブとプラントの“友好の証し"“天地の結合"として結婚するふたりに各国が注目しているようで、船で十日以上かけて来る王族も少なくはなかった。天地の大陸は軍面でも産業方面でも文明でも他国より抜きんでおり、一目置かれる存在だった。 長く続く大陸内の戦争があるからこそ相手に負けないように軍事力の発展がある。他の大陸とは接触も少ない。独特の文明を持っているオーブとプラントが数千年以上戦う中で何があっても絶対に破らない暗黙のルールがあった。それは他国から力を借りないこと――つまりどんなに自国が苦しくても他の大陸に恩を売ってはならないということだった。 大陸に他の国が干渉すれば戦渦は拡大し、それに乗じて大陸を狙う他国が入り込んでくる。そして他国が大陸を侵略してしまうことを恐れてだ。オーブとプラントが他の大陸よりずっと民族意識が高い。なので他大陸の人間を大々的に迎え入れるのは長い歴史でもあまりないことだった。 最近まで長らく戦争をしていたオーブとプラントの両国の戦争が終結したことを他国に大々的に知らせ、他国に牽制をかけ、入る隙のないことをわからせる。その目的だけに本来ならば国内の要人達だけで執り行われる婚姻の儀がここまで大きくなってしまった。 白いウェディングドレスを身に纏ったアスランは水が静かに流れる透明な階段を同じように白いタキシードに身を包まれたキラの腕にそっと手を添えて登っていく。アスランのウェディングドレスは紛れもないプラント織で、彼女が袖を通したときに小さく感激したのはつい二時間前のこと。エスコートが上手なキラは無表情で淡々とこなしていた。プラントの民を手に掛けたその腕に布越しでも触れることに抵抗があったがアスランは耐えるしかない。 遠くからゆっくりとふたりが姿を見せると会場は上品な拍手をしながらふたりを迎えた。アスランはヴェールに包まれ、それが時折風に揺れる。 ふたりが登っている透明の階段は、全王が息を引き取る際に自分を祀るように言った神殿で主な冠婚葬祭はここで行われていた。 話には何度も聞いたことがあったけれど天の王、オーブ側の領地内に建っているためアスランが目にしたのは初めてだった。プラント皇族にしか伝わっていないお伽話に出てくる神の眠る神殿の話を、アスランは皇帝の従姉妹である乳母からよく聞かされたものだ。地の王の子孫であるプラント皇女のみが代々口頭で秘密裏に伝えていくものだと聞いていた。 その神殿がこんなに壮大なものだとは思っていなかった。 神殿の脇からは砂漠に分けて欲しいと思うくらいの大量の水が溢れて虹を作り出し、中央にそびえ立つ礼拝堂は神秘的な雰囲気を漂わせている。 透明な階段の両脇や下にも水が流れて、水路を挟むように色とりどりの花が咲き誇っていた。神聖なる神殿に全王の血を引く者以外が入り込まないように術が施してあり、もし血を受け継いでいない人間が入ると即座に天罰が下る、とアスランの聞かされた話にはあった。だから皇帝の婚姻の時でさえこの神殿が使えなかったのだという。皇帝の正室は他大陸からやってきた姫であるし、もし側室が血を引いていたとしても正室に使わなかったのに側室の婚の儀に使うなどあってはならないからだろう。 皇帝はパフォーマンスも兼ねているのだろう、オーブとプラントの友好を示し他大陸に圧力を掛けているのは言うまでもないが無能な皇帝はそんな大臣や将軍の考えなど気づきもしない。 二百段以上あると言われている階段は一段一段名前があると聞いたけれど、アスランにはそんなことを考えている余裕もない。この階段は自分の中で終焉を告げるカウントダウンのように思えてならなかった。 白いタキシードを身に纏う将軍の髪が階段を登る度にサラサラと攫われそうになる。キラは歩きづらいアスランを気遣ってなるべくゆっくり階段を上っているようだった。やはり腐っても皇族の男子であろう。弟のシンもこれくらいやってくれたらプラントのどこの貴族の姫達を嫁にもらっても安心だ、などと久しぶりに無鉄砲な弟を思い出して苦笑する。でも不思議と表情は相変わらずだった。 位置的に山の頂上ということや屋根がないからというのもあるだろう、まわりが明るく開放的に見えた。不覚にも美しいとアスランは思ってしまう。乳母の言ったとおり“全王の血を受け継いだ者だけが見ることの出来る至高の眺め"だった。幼い頃に聞かされたときはそれほどすごい景色を見てみたいと思ったものだが、実際に目にすると想像以上である意味幸せかもしれない。 視界に入った白いローブに身に纏い最高聖職者が聖書を持ちながらキラとアスランを見守る。持っている聖書には天と地と両方の紋章が記されていた。人間さを感じられない彼も全王の血を受け継いでいるからその地に立てるのだろう、ふたりが頂上に到着し制止すると、最高聖職者はそっと右手を胸にあてた。 皇帝は段の上に踏ん反り返り、足を組みながら聖職者の眠くなるような言葉をつまらなそうに聞く。正室も側室も上には上れないため、ひとりでじっと座っているしかない。彼の癖なのだろう、苛々を示すように扇の開け閉めをしている。元々落ち着きのない皇帝は、ひとりで座っていられるだけで十分だろうが、大臣達はいつその場を離れてしまうか心配で心配でならない。 「全王の血を引く汝らを平和と友好の証とし、その誓いをここに……」 最高聖職者はキラの右手とアスランの左手を重ねて両手に包み込むと瞳を閉じて囁きかけた。手の中に異物があるのを感じながらも重なった手によってそれが何かはわからない。だから最高聖職者が何かを唱えているのも何だかわからなかったし、その後の光が何を意味をするのかもアスランにはわからなかった。 恐らく魔法の一種なのだろう。オーブは魔法学も魔法技術も発達しているから。だけどオーブより魔法の研究が遅れているプラント出身のアスランにはそれが危害を加えるものなのか、傷を癒す類のものなのか、それとも他の何かなのか、それすらわからなかった。 異物を白い布で包むとやっと姿を現したそれを見る余裕もなく、最高聖職者が異物であった光り輝く対なる指輪を差し出した。 「天と」 「……地が」 将軍の後を続いてアスランが口を開く。バジルールに何度も練習させられたところだ。彼女曰くこの婚姻の儀で長い階段を上ることより、この誓いを完璧に言うことの方が大切らしい。 「ひとつになることを願って」 ぴったりと重ねられた言葉にアスランは違和感を覚えた。 キラによって填められた指輪がアスランの左手の薬指に収まり輝いた。地のプラントのアスランの手には天のオーブの紋章の入った指輪。アスランによって填められた天のオーブのキラの指輪は地のプラントの紋章が刻まれている。 その儀式を淡々とこなすキラとアスランは実に義務的で、まるで誰かと誰かの代理をしているようだった。アスランは自分の身に起こっているようではないその感覚に、強く手に力を入れる。鈍い感覚はまるで夢を見ているようだ。 最高聖職者は透明な杯をふたつ持ち、神殿から流れる聖水を汲み、ふたりに手渡す。アスランは一瞬だけ躊躇して、キラの顔を見つめる。キラは何も感じていないような表情で杯を見つめていた。杯を持った左手に填った指輪が未だに輝きを保っている。 「全王の名の下に……」 その言葉と同時にキラとアスランは聖水を口に含んだ。 |