Confrontation



アスランはそっと瞳を閉じてその時を待っていた。

女官長のバジルールから、明日夫となる皇弟と会うこととなると告げられてから覚悟はしていたものの、こうして敵の中にひとりで待っているというのは辛い。

煌びやかなドレスはオーブ産の上等な物で、皇帝が特別に作らせた物だという。資源が豊かなオーブのドレスはキラキラと輝いていた。オーブ産の布をプラント織に似せているようで見た目はアスランも見間違うほどの光沢だったが、肌触りまでは真似できないようだ。悪いというわけではないが、プラント織に携わったことのある者ならば少し触れただけでその違いに気がつくだろう。

皇帝は何度も女官長にキラはまだか、キラはまだかと聞くが、厳格な女官長は暫くお待ちください、と言い宥める。皇帝は待たされることになれておらず、扇子を閉じたり開いたりして苛々をどうにか紛らわしていた。しかし一向に皇弟は来る気配はない。

アスランはそれに少しだけ安心して、謁見の間で瞳を閉じ続けた。バジルールに教えられたとおりに完璧にこなせばいい、そう自分の心に言い聞かせる。どんな男性か想像するだけでも恐ろしかった。この下品な皇帝の弟というからには彼に似ているのだろう。そう思うと鳥肌が立ってくる。アスランは初めてあったときからずっと皇帝のことを生理的に受け入れられない。こうして一緒の空間に存在することすら気分が悪かった。

バジルールからは色々なことを教えられたが作法や規律ばかりで夫となる皇弟のことは何も聞かされていなかった。彼女が求めているのは完璧に挨拶をすることで、それ以外は興味がないように思える。アスランも求められたことは義務的にこなすように決めていた。求められていないことはやらないように、聞かないように、言わないように、そうすればこの国で生きていける。アスランがこの二週間で学んだことの一つだった。

皇帝はブーツの爪先を何度も床に当て、苛々を体で示す。それを見かねた大臣のひとりが呼んでくると立ち上がった。一瞬笑顔になった皇帝も扉が閉まると扇子の開け閉めと貧乏揺すりを再開し、最後には唸り始める。

耳に届く謁見の間のドアが開く音にアスランは目を力強く閉じた。とうとうこの時がやってきた。

「陛下、キラ殿下にございます」

彼の登場で一瞬ざわめいた室内に安堵の息が溢れた。このままでは死人が出ると誰もが思うほど皇帝の苛々はピークに達していて、爆発する前で本当によかったと皆が肩をなで下ろす。

「殿下、遅すぎます。陛下はずっと待っていらっしゃったんです」
「皇帝陛下、遅くなって申し訳ありません。少々手間取りまして」

キラが素直に頭を下げると皇帝は顎に手を当て、鼻で笑った。彼に肩入れする大臣達が心配そうに視線を送った。彼らが何を言いたいのかはきちんとわかっている。耳に蛸だ。

キラは大臣達が示す方向に視線を移す。視界に現れた見慣れないものに眉を顰めた。顰めながらこれが例の“プラントの女神"と思うと後ろ姿だけでがっかりするのをどこか冷静に感じた。

思ったよりもずっと華奢で、ドレスで誤魔化しているが凹凸のない体であることは明らかだ。微かに見える腕はうっすらと肉が乗っているだけであとは骨だけだった。そのうえ腕の白さが人間のものとは思えない。プラントは高温多湿な国だと聞いていて実際にユニウスもかなりの暑さだったが、彼女の肌はもっと北の国を思わせるほど透き通った白だった。

「キラ、プラント帝国第一皇女のアスランだよ」

普通は身内から紹介するのが礼儀だというのに、プラントをどこまでも見下す皇帝にキラは上機嫌になりながら視線をアスランから逸らす。後ろ姿が横になっても人間らしさが見受けられない。嫌々嫁いできたという雰囲気がたっぷりで、キラは心の中で“ざまあみろ"とつぶやく。もちろん声には出さない。

だが彼女がキラの新しい切り札になることは間違いない。どのカードよりも意味のある、このカードが逃げないように監視し、生かさず殺さず扱わなければならない。優しくするつもりも無下にするつもりもなかった。

「あまりに綺麗すぎて言葉も出ないって?そうだよね〜。プラントの女神がこんな綺麗で可愛い女の子だなんて僕もびっくりしたよ」

皇帝はニヤニヤと笑いながらからかうようにキラに耳打ちする。キラは心の中ではこんな男に自分の心情がわかってたまるかと内心思ったが口にしない。いきなり自分の妻になると言われても、感想は特にない。視覚から捉えた情報にお世辞を加えればそこそこのことは口から出るだろうが、それをする義務もないのでやめておく。まだ顔も見えないので美しいなどと適当なことも言えるわけがなかった。キラにとっては彼女が美しかろうが醜かろうが特に興味はない。キラは女神を愛さなければならない義務もないのだから。

「アスラン、こっちが僕の母親違いの二番目の弟で、オーブ帝国軍えー、最高司令官のキラ。軍のことは全部キラが仕切っててプラント侵攻時も指揮を……と失礼。ま、将軍だね」

皇帝が言う。となりで大臣が助言して彼の役職を小声で告げていた。

アスランは皇帝の発言に愕然とした。

つまり、アスランの夫となる人物は帝国を敗北させた張本人であり、プラントの敵、そして彼女の敵である。ただの箱入りの皇弟かと思っていたらとんだ勘違いだったらしい。新しい事実がアスランの胸を抉る。

夫となる人物は整った顔に癖のない茶色い髪、それから澄んでいるけれど何かを孕んでいそうな紫の瞳を持っていた。青い正装に包まれた彼の手元には白い手袋。手袋にはオーブの天の紋章が刻まれている。皇帝と瓜二つの人間を想像していたアスランにとってそれは意外で拍子抜けしてしまう。

視覚的に持たされた情報を自分なりに整理すると、この男性がプラントを敗戦に追いやった人間であることに対する様々な感情がアスランを占めた。それは怒り、憎しみ、殺意という負の感情で、軽蔑と嫌悪の対象である皇帝の方がまだましかもしれない。心のどこかで国を滅ぼした男と婚姻するのなら皇帝そっくりの弟と結婚する方が断然いいと思ってしまった。

アスランは憎しみを抑えながら拳を握りしめる。震える手でドレスの裾を持つと、そっと頭を下げた。自分でもわかるくらいぎこちない動きで、あとからバジルールに怒られるだろう。

「アスランにございます。不束者ですが……よろしくお願いいたします」
「ああ」
「君たちにはオーブとプラントの架け橋となる第二の覇王を作ってもらわなくてはね。そうすれば憎しみも愛に代わるよ。この大陸を平和にするのは君たちだよ、キラ、アスラン」

皮肉を込めた皇帝にアスランは無表情で立っていた。プラントを敗戦に追いやった仇と子供を作るなんて鳥肌が立ってしまう。それなら死んだ方がましだ。条約の内容を聞かされてからディアッカと結婚できず人質になるくらいにしか思っていなかったが、この時初めて心から皇弟と結婚したくないと強く思った。