Ruler

広い室内を一つのランプで照らしているため室内は薄暗かった。数え切れないほどの飾りが付いた上着は寄りかかっている椅子に掛け、黙々と作業を続ける。やることは山積みなのに次から次へと増えていく。これではいつになっても本国に帰ることが出来ない。戦後の細かい処理は軍を統括している彼の仕事だった。終わる兆しのない書類の山に溜息を吐くと一度窓の外を眺める。見飽きた風景だ。

「失礼します、将軍」

ノックが静寂を破り、軽く入室を許可する。扉が開くと同時に明るい光が射し込んだ。もう朝が近いらしく、扉の奥にある廊下の窓から薄く紫色に色付いた雲が見えていた。外の光の方が強く、影で入出者の顔がよく見えないが声からして彼の副官であることは間違いなさそうだ。

「皇帝陛下から、書状です」

逆光に慣れた瞳が女性の顔を捉えた。ルナマリアは書状を将軍の書類の上に置き、どの仕事より最優先であることを示す。そう示しておかなければ彼は皇帝からだろうと後回しにしてしまう。

「皇帝から……?何だって?」

動かしていた手を止めずに彼は口を開いた。どうせ側室のご機嫌取りにプラント織の布でも購入してこいと言うくだらない理由だろう。皇帝は色事ばかりで他には興味がないと彼はよく知っている。飾りだけの皇帝とはよく言ったものだ。

彼は軍を統べる者として皇帝の命で条約によってオーブ領となったユニウスに駐屯していた。その表面上の目的はユニウス要塞の視察と戦後処理だった。本当の理由は収容所の建設と彼らに恐怖と憎しみを植え付けることである。それは皇帝の命令ではない。

ユニウス要塞の抵抗したプラント兵士達や視察中刃向かった民間人を鎮圧し、強制連行した。そしてオーブから連れてきた罪人と共に収容所を建設する人材に当てた。もちろんそのまま彼らを生かしておくつもりはない。収容所が完成したら全員処刑する予定だ。それを指示しているのがオーブ軍最高司令官であり、現皇帝の腹違いの弟であるキラ・ヤマトだった。彼は皇族でありながら軍を指揮、統率している将軍である。

「アスラン様が無事に本国にご到着なさったそうです」

その言葉に彼は視線を落とす。それから左右に移し、上に向けた。何のことを言っているのか必死に考えたがわからなかった。そのような名前の皇帝の側室はいただろうか。彼の覚えている限りはいない。――といっても皇帝の側室は十人以上存在するため彼は意図的に覚えないことにしているのだが。

「将軍の奥方となられるプラントの皇女殿下です!」

少し強い口調で一句一句はっきりと言うルナマリアにキラはやっと理解した。そんな彼に咳払いをして戦いと己の野望以外に興味がないキラを見て呆れて物も言えないと不満を顕わにさせた。

「“プラントの女神"、ご存じでしょう?」

付加疑問で聞いてくるのはオーブ軍でも彼女の存在を知らない者はおらず、彼が快く思っていないことを知っていたからだろう。ルナマリアの腫れ物を触るような言い方にキラは苛つきを隠せずにいる。

プラントの女神、という単語にキラが反応する。二年前に城下町に攻め込んだのはキラの命令で、裏をついたつもりだったが意外にも抵抗され、あと一歩と言うところでプラントを滅ぼすことができなかった。後からプラント皇帝の名代である皇女が民衆を動かしていたと聞いて、図に乗った女が正義を語り、あの時の攻め入った部隊は先鋭でないことも知らずに民衆に称えられて勘違いをする女が気に食わなかった。

そんな女と婚姻しろというのだから、本当に厄介だ。皇帝の意図が読めないが、色事しか興味のない彼がそんな巧妙な考えを思いつくはずがない。恐らくキラ派の大臣が入れ知恵をしたのだろう、皇帝には十人を超える側室がいるにもかかわらず子供がいないため、世継ぎはキラかすぐ上の兄のどちらかだ。

将軍として軍事を任され、事実上プラントの実権を握っているキラを皇太子にという声は多く、大臣も彼を推す者が半数ほど。彼の母親の身分が兄に劣っているため古い考えの大臣達は兄を推したが、もしプラントの皇女が世継ぎ生めば形勢は逆転となり、間違いなくキラが皇帝となるだろう。

そして世継ぎを覇王と祭りあげ、大陸統一という名目でさっさとキラに位を譲らせて幼い皇帝に即位させ、大臣達が帝国を操ろうとしているという魂胆など見え見えだ。あまりにわかりやすすぎて罠か何かかと思ってしまうほど大臣の考えはストレートだった。

彼らがその気ならキラだってプラントの皇女を利用する、それまでだ。もちろん大臣達の思惑通りにはさせない。権力に溺れた人間は即位した際に切捨てればいいだけの話しだ。

面倒なことがまた一つ増えたと思う反面、思っても見なかった転機にキラは笑いが止まらず、口元を片手で覆った。白い手袋がランプに照らされてぼんやりと色付く。もう片方の手をランプに近づけて拳を握ると炎は力なく煙を立てて消えていった。