promise


煌びやかなドレスはアスランの白い肌を引き立てている。上等な布はプラントの見栄のつもりだろう、敗戦国であるプラントは生きていくだけで精一杯なので贅沢をする余裕はない。プラント織は名の通りプラントを代表する産業の一つで薄く柔らかで且つ強い生地が特徴だった。透けるような生地を何枚も重ねられたドレスは幻想的に見せた。

髪を梳かれて、それを綺麗に結われ、プラントでも少量しか取ることのできない貴重な石をふんだんに使った首飾りを装着させられると女官のひとりがアスランに鏡を向ける。

映った人間がまるで自分でないような錯覚に陥り、アスランは目を伏せた。自分が嫁入りすることの最後の拒絶かもしれない。ゆっくりと近づく生まれ育った国への別れを前にしてやっと実感が沸いたのか、心の中で何度も何度も拒絶する声があがる。それは明らかに自分の声だった。

「殿下、よくお似合いです」

女官が涙混じりに言うと、アスランは小さく微笑んだ。不器用な笑顔は相変わらずで、口にした女官はそれを見て涙が我慢できずに表情を歪める。やっぱり無理な笑顔がわかってしまったのかとアスランはまた反省した。

「ありがとう。今までよく働いてくれた」

この女官は城下町の女性達と一緒の風呂は嫌だ、と直訴してきた人間の一人だったが、誰よりも早く城下町の女性達と馴染むことのできた人なつっこい女官だ。アスランより歳が下だというのに彼女の身の回りのことを全てやってくれて、少し大人びている印象があったが人差し指で涙を拭う姿は年相応だと思う。

「姉上!」

勢いよく扉を開ける音にふたりは同時に入口に視線を向ける。珍しく正装をしたシンの姿がそこにあった。暴れるシンを何人もの女官達が押さえつけて着せたのだろう、もう随分と草臥れていた。乱れた服装の襟元ををアスランは立ち上がって直してやる。

「公式の場で皇太子として恥ずかしいぞ」
「子供扱いするなよっ」

震える声を一生懸命に我慢しながらシンが憎まれ口を叩く。それが可愛くてアスランは微笑んだ。彼に付かず離れずの距離に控えているのは彼女の言いつけ通り、律儀に彼の騎士として護衛をしているディアッカの姿があった。

「ディアッカの言うことをよく聞いて。剣の稽古も歴史の勉強もきちんとやるんだぞ」
「嫌です!」

即答する彼の目尻は水分を帯びていて、紅玉のような涙を堪えて充血する紅い瞳はいつもよりずっと幼くて彼の幼少時代を思い出させる。一人で眠るのが寂しいからと夜中訪ねてきた彼もこんな表情だった。母の愛情を受けずに育った彼はその分乳母と姉であるアスランに甘えた。そんな幼い頃を彷彿される彼の肩に手を乗せアスランは諭す。

「皇帝になるためには……」
「皇帝になんかならなくていい!あなたがオーブなんかに行く必要なんか……」

アスランの言葉を遮断したシンは感極まって涙がこぼれ落ちてしまう。それを隠すように正装の袖で乱暴にごしごしと拭いた。正装でそんな風に拭いたらシミになってしまう、と思いながらもこんなにも彼が思ってくれたことはアスランの心を穏やかにさせた。

「目の赤い皇太子が目の周りまで真っ赤にさせてたら笑いものにされるぞ」
「別に泣いてません!」

強がるシンにアスランはハンドバッグからハンカチを取り出して彼の目尻にそれを落とした。幼いシンにアスランがしていた行為の一つ。いつも泣くと袖で涙を拭こうとするシンに全く同じ台詞を吐きながら目元にハンカチを落としていく。それを思い出したのかシンの目尻からは次々と涙が溢れていった。

アスランはそんな弟の姿にとうとう耐えきれずに彼を抱きしめた。年が離れていることもあり、大分あった身長差はいつの間にか拳一つ分まで縮まり、彼の成長ぶりを窺わせる。アスランは自らの頬をシンの耳に密着させ、彼の髪をそっと撫でた。彼女の腕の中から小さな呻き声が漏れる。

「……体に気をつけて」
「……うっ」

自らの涙を払いのけ、ぐっと我慢しながらアスランは軽く首を左右に振った。それからゆっくりとシンから体を離す。一度深呼吸をしてからシン手に先ほど彼の涙を拭いたハンカチを握らせた。女官に視線を送るとアスランはゆっくりと歩き出す。扉の前に立っているディアッカと向かい合うとその足を止める。

「シンのこと……頼むな。もう俺は何もしてやれない」

不器用な笑顔を浮かべ、無理矢理に口を引っ張ってみせる。背後で泣き崩れる弟も目の前で自身の不甲斐なさに自分を責めているであろう恋人も、もう見ていられなかった。アスランは断腸の思いで再び前に進んでいく。その足取りは重く、傍で見ていた女官が必死に涙を忍んでいるのが視界の隅に映った。

「――必ず迎えに行く」

脇を通り過ぎると、ディアッカが不意に声をあげた。アスランはその声に驚き、咄嗟に身を翻した。何重にも重ねられたプラント織りのドレスが宙にふわりと浮く。

「迎えに行くから、辛抱しててくれ。どんなことをしてもお前を助けに行く」

ディアッカは跪いて左胸に手を当てた。“あなたに忠誠を誓います”その意志は変わらずあり続けるということを示す。女官や迎えに来た数人の騎士達が彼の皇女に対する口調に驚きを隠せないでいると、アスランが彼に応えるように口を開いた。

彼の忠誠心は誰のものでなく彼のものであって、誰にどうこうする権利はない。それをアスランは契約という名の束縛で強制的に操作しようとしたことを初めて後悔する。いくら彼らのためとはいえ少々強引すぎた。そして操作しようとしたにも関わらず、彼がまだ忠誠心を持ってくれていることが素直に嬉しい。

「……待ってる。何年かかってもいいから、俺はずっと……待ってる」

跪くディアッカにアスランが一歩、また一歩と近づいていく。彼に自身の足元が見える位置に立つと、そっと彼の首にある契約の証を外に晒した。その証しが元はアスランの物であることを知らない者はこの帝国にいない。女官達は驚きを隠せないでいたが、徐々に彼らが契約を交わした間柄なのだと理解した。そして彼らがそれ以上の関係だと言うこともすぐに勘付いた。わかってしまうとなんとも涙を誘う光景で、彼らは必死に唇を噛みしめて耐えることに必死になる。

――…汝に、地の王の加護を」

アスランは契約の証しに口付けをした。それをそっと離すと首と証しを繋いでいる細かな鎖が響きあい、小さな音を奏でる。それがディアッカの胸に帰る前にアスランは身を翻し、前に進む。彼が顔を上げたそこには愛しい彼女の姿はなく、幾重にも重ねられた美しいドレスが視界を舞ながら小さくなっていくのが見えた。彼の手前で泣き崩れてしまう女官と後ろで慟哭する未来の皇帝の二人の泣き声など耳に入らず、段々と遠くに行ってしまう彼女の足音だけが耳に響いた。

彼女の姿が消えてからやっと自分が涙を流していることに気がついた。赤い絨毯には数え切れないほどのシミが出来ており、それが滲んでじわじわと範囲を広げていた。自分の力のなさに怒りを覚え、力の限り床を叩きつけた。何度叩きつけても彼女が戻ることはない。オーブへの激しい復讐心と彼女への忠誠心が彼の心を渦巻いていた。