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戦争に負けてもプラントは大々的に変わるということはなく、相変わらず広大な砂漠と海に囲まれ港は活気づき、水不足と日射問題は深刻だった。条約によって政略結婚という名の事実上人質となるアスランは軟禁状態になり、毎日少しずつ変わりゆくプラントの町を眺めていた。

戦争に負けてユニウスとミネルバを取られても砂漠の民は強い。それに負けずにまた新しい戦艦をつくる計画を立て、ユニウスの代わりに涼しい地下で野菜を育てるという計画も考えられているという。水問題が深刻になるということでアスランが携わっていた濾過装置の研究もまた再開されたという話だった。

「申し訳ありません、陛下。私の勘違いで民衆や大臣に大きなショックを与えてしまいました」
「終わったことだ、忘れなさい」

皇帝とアスランがゆっくり話しをするのは彼が戦地に赴く前の三年前以来だった。名代に任命されたときは誰もが驚いたが、皆の期待を良い意味で裏切ってアスランは名代としての任を果たした。

そしてこの三年間でよくわかった、自分が皇帝の器でないことが。人の上に立つべき人間ではない。その統率力は一時的なものであり、持続的に国を治めることは彼女自身無理だとわかってしまった。彼女をカリスマ的だと称える声はあくまで戦闘的なものと真面目な性格が運良く良いように民衆に晒されたからだろう。本来なら彼女にはそんなカリスマ性はないことを自身がよく知っている。

「まさかお前とエルスマンの嫡子が騎士の契約をしていたとは、聞いたときは驚いたぞ」
「陛下に許可を得ずに申し訳ありません」
「そうか……お前達はそんな仲だったのか」

騎士の契約を交わす人間に恋仲は少なくない。それが女性の場合でも男性の場合でも関わらず。亡くなった皇帝の義母は先代の騎士であり、恋仲の騎士と主君が夫婦になる確率はかなり高い。それは女性が騎士になる場合の方が高く、男性が騎士の場合は政略結婚等で位が高いほどそれは難しくなる。

「戦争に勝てることができていたならお前達を結婚させることもできだろうが。エルスマンの嫡男は五騎士だからお前の結婚相手の候補に挙がっていたしな」

アスランは一瞬窓枠に触れていた指を握りしめ、すぐにそれを緩めた。もし、という言葉は今は特に不適切に感じる。今更何の意味も持たないのだから。

もし、戦争に勝っていたら彼と結婚ができた。
もし、戦争に勝っていたらオーブに行かなくて済んだ
もし、戦争に勝っていたら水問題もなくなっていた
もし、戦争に勝っていたら父が覇王となっていた
もし、戦争に勝っていたら……など今は思っても仕方がないというのに、アスランの頭には敗戦が告げられてから絶えることなく過ぎっている。それが愚かなことだというのは自身が一番よくわかっている。

「陛下、私も皇族の人間として教育を受けて参りました。覚悟はできています」
「すまない。我らは必ず雪辱を晴らす」

彼女は皇帝が何を言わずとも、きちんと自身の役目を理解していた。プラントが力を蓄えるまで帝国を滅ぼさせないこと、それはアスランにかかっている。そのためには皇帝や結婚相手に取入らなくてはならなかった。本来なら手元に置いておくつもりだったアスランをオーブに取られ悔しいと思う反面、取られたのがアスランで良かったとも皇帝は思っていた。愛国心も強く、利口なアスランならば国のためといって命をも投げ出す覚悟があるだろうからだ。他の姫ならば自分可愛さに国を捨ててしまうとも考えられるが彼女の正義感と責任感は異常といってもいい。

「父上、最後に一つよろしいですか?」

皇帝にではなく父に、アスランが呼びかける。即位してから臣下の一員の扱いを受けていたアスランはけじめとして皇帝を父と呼ぶことを自重していた。そのアスランが陛下ではなく父上と呼んだことは“皇女としての公の発言”ではなく、“あなたの娘としての懇願”である。

「どうした。言ってみるといい」
「……皇太子
――シンのこと、お願いします」

皇帝が後継者に他の人間を考えていることを彼女が気づいたとは露知らず、あまりに唐突な彼女の言葉に皇帝は目を泳がせた。彼女は少々利口すぎるかもしれない。賢すぎるからこそ危険分子でもあり、彼女は皇帝を脅かす人間のひとりとして認識されていた。その翠の瞳に彼は全て見透かされているような気がする。彼女が幼い頃からそれを感じていた。

「あの子のこと認めてあげてください。シンは私と違って皇帝の器です。まだ幼くて守る者がないからわからないだけで、彼はきっと立派な皇帝になります」

アスランは皇帝の手を握りしめた。それがアスランの娘としての最初で最後の願いだった。彼女が心残りなのはシンのこと。彼を立派な皇帝に育てることが自身の役目だと自負していた。

「それから、我が騎士を彼の騎士として任命します」

抜け目のないアスランにごくり、と喉が鳴る。基本的に騎士の契約は主君が一方的に契約を破棄するか、どちらかが死去するかの二つしかない。アスランのように嫁いで行くため離れる場合はほとんどの場合が騎士の契約を破棄する。しかし騎士は基本的には一度しか忠誠を誓うことができないため破棄された騎士は自動的に皇帝の騎士となるのが常だった。

アスランはそれを防ぎ、ディアッカをシンの騎士にするために破棄をせずに騎士になるように命令した、ということになる。元々ディアッカをシンの騎士にしようと思っていたアスランの命をディアッカは大人しく聞くだろう。彼は軽いところはあるが芯はしっかりとしている人間だと言うことをアスランはよく知っている。

自分の代わりに弟を守って欲しい。彼にはそんな願いを込めている。

「……いいだろう。あれには私も期待している」
「ありがとうございます、父上」

父娘として最初で最後の約束にアスランは解けた笑みを浮かべた。これで心残りはなくなった、安心してオーブに行ける。彼女の心は満足感と安心感で溢れていたがそれは徐々に喪失感に変わっていった。

実感が沸かないうちに全てを終わらせておかねばならない。恐怖心で周囲が見えなくなる前に。

皇帝がアスランが事実上軟禁されている部屋を出ると、そこには彼女の騎士が主君に会うこともままならず扉の前に立っていた。皇帝が視線を送ると彼は頭を深々と下げた。

「タッド・エルスマンの嫡男であったな……、確か」
「はい、五騎士ディアッカ・エルスマンにございます。陛下」

皇帝は複雑そうな表情を浮かべ、ディアッカに前を向くように言う。顔を上げた彼は父によく似ており、悔しさを隠せない表情が痛々しい。

「タッドのことは聞いたか?」
「は…、名誉の戦死とバルトフェルド隊長に。父も陛下の騎士として一生を全うできたと喜んでいるはずです」

ディアッカの父親――プラント騎士団団長は戦死した。敵の総大将との一騎打ちに敗れたのだと同じ五騎士であるバルトフェルドから耳にした。尊敬する父と主君を奪われた彼にはいったい何をすればいいのか見当もつかず、ただ少しでも主君のそばにと扉の前にもう何時間も立ちつくしている。

「お前にはタッドの意志を継いで欲しい」
「はい、陛下」

皇帝に軽く肩を叩かれてディアッカは唇を軽く噛みしめる。過ぎてしまったことは仕方ない。元々彼女は皇女で手に届く存在でなかったのだ。そして父が戦ってで死ぬのも戦争なのだから仕方ない。そう割り切るしかなかった。

「アスランと騎士の契約をしたそうだな」
「……はい」
「アスランからお前に命令を言付かったぞ」

ディアッカはその言葉に驚きを隠せない。伝言でなく命令ということはアスランとしてではなく皇女としての言伝なのだろう。

「お前は無期でシンの騎士を務めるように、とのことだ」
「皇太子殿下のですか?」
「あれが一番心配しているのは皇太子のことだ。騎士の契約を結んだお前が皇太子を守ることをアスランは望んでいるのだろう」

事実上の契約破棄にディアッカの目の前は真っ暗になる。彼女が命令すればどんなに時間がかかってもどんな手を使ってでも助けに行くというのに、彼女はそれをしない。国のためだろう。けれど彼にとっては国より彼女が大切だった。たった扉一枚の距離は今の彼らには遠すぎる。

騎士は命令に背くことは許されない。背くと言うことは即ち死ぬということだった。騎士の契約に反すれば騎士はどんなに主君が悪くても死ななくてはならないのだ。

シンの騎士になることは構わない。ディアッカも彼女が自分を弟の騎士に従っていたことは薄々感じていた。彼女の願いならばそれでもいいと思っていたが、肝心の彼は皇帝になる気も、国を憂う気持ちも少しも存在しない。いくら弟とはいえそんな人間に命を捧げることに些か疑問を感じる。契約の際にアスランから貰ったネックレスを握りしめてディアッカは扉を見つめた。