| The contract of the knight |
最低でも十日に一回はあった戦況を伝える皇帝からの書状が絶えてから、既に二十日を過ぎていた。名代であるアスランが何度書状を出しても返事が返ってくることはなく、派遣した調査団も未だ帰ってこない。大臣たちと今後をいくら模索しても答えが出ることはなかった。 「今は下手に動くより情報を集めるのが先決だ」 「ですが!」 「クルーゼ隊長も同行した調査団が帰ってこないというのはおかしいだろう。我々はこれ以上動くべきではない」 五騎士の中でも団長と同等以上の実力を持つと言われているラウ・ル・クルーゼ。彼は大抵のことでは死なないとアスランは思っている。素顔を仮面で隠している彼は常に意味深な言葉を発しているが、その力をアスランも知っている。それは恐怖を覚えるほどである。 その彼からも連絡が途絶えたということは、これ以上手を出すべきではないとアスランの直感が働き、警告している。頭の固い大臣たちにこのことを述べても信じないだろう。正論で抑え込むしかない。 「口にするのも恐れ多いことでございますが、殿下」 大臣の一人が立ち上がる。その額には汗が光っていた。 「弁えよ!」 古株の大臣が怒鳴りつけると立ち上がった大臣は萎縮し席に着く。古株の大臣にそっと手のひらを見せもういいと告げるとアスランは萎縮してしまった大臣に瞳を向けた。 「構わない、言ってみてくれ。今は多くの意見が聞きたい」 「殿下、ありがとうございます。……もし皇帝陛下のお命が既に亡いものなら早急にも皇帝を選出するのがよいかと」 その言葉に会議室が騒々しくなる。誰もが想定していた内容であり、誰も口にしなかった。それは一番あってはならないことだからだ。今のプラントには彼の跡を継げる人間はいなかった。 皇太子のシンはまだ幼すぎる。文武共に皇帝の器には遠く皇太子の自覚すらない。彼の異母弟たちも同じく幼く皇帝になれるとは誰も思っては居なかった。 「普通ならシン殿下……でしょうな。皇太子ですし」 「いや……しかし殿下は」 「あの殿下には無理でしょう」 次々にシンを否定する声が上がる。アスランはそれを咎めるわけでもなく同感の意を述べるわけでもなく真剣に考えた。皇帝に国を任された身としてまず何をするべきか。状況がうまく把握できない今それすらもわからずにいる。 「シン殿下が即位するならばまだ弟君の方が」 「いや、アスラン殿下が一番適任であろう!」 「しかし女帝は例がありませんぞ」 「だからといって幼い弟君たちに皇帝は務まりませぬ!名代である殿下ならば……」 議論は熱を増し、誰もがもう皇帝の命がないと確定しているような口ぶりで発言を繰り返す。拳を握り静粛に、とアスランが言うが静まることを知らない室内。 「やめろ!」 机を叩くと同時にアスランはその場にいる全員に向けて怒鳴りつける。そこにはいつも民衆に向けている不器用な笑顔はなく、プラントを守るために敵に向かっていったときの表情とよく似ていた。 彼女の声に先ほどまで騒々しかった室内は不気味な沈黙に包まれる。そうして全員がアスランに視線を向けた。 「次の皇帝を決めるのなど、二の次三の次。今はそんなことで言い争っていても意味がない。……我々が浮き足立てば、女官や民衆にまでそれが伝わる」 大臣と名代が会議室に集まったとなれば誰もがその異常さに気がつくだろう。しかし部屋を出てからは何もなかったように振る舞わねばならない。そんな器用なことができるほどアスランは完璧な人間ではなかった。まだ十代だというのに父王に国を任されて、不安なことばかりで、ずっと気を張りつめていた。先ほどの自分を皇帝に推薦する言葉が恐怖に感じる。 自分自身弟と何も変わらない。皇帝になどなりたくないのだ。期限付きの名代ならばうまくこなせることができても皇帝になって国を背負うことなどできるわけがない。 「殿下、ご報告があります」 部屋に入ってきたのは騎士の一人だった。何か新しい情報が入ったのかと誰もが息を呑んだ。それが良い情報でも悪い情報でも今の状況をどうにかせねばならい。少しでも情報が欲しい今、それはありがたいことだった。 騎士はアスランに耳打ちすると、アスランは思わずその場に立ち上がる。 「陛下が……ユニウスで終戦条約を締結され、今こちらに向かっている」 その言葉に大臣たちから歓喜の声があがった。これまでのように“停戦”ではなく“終戦”という形であったことからもう戦争に生活が脅かされることもなく生きていけるのだと誰もが喜ぶ。 アスランもホッと安堵し、力なく本来なら皇帝が座るべきその椅子に腰掛けた。彼女の任務も皇帝が帰れば終わりを告げることになるだろう。そうして彼女が一番心配していた水の問題もこれで解決する。オーブから水を供給すればプラントの水不足はなくなり、作物もオーブで育ててプラントに運んでくればいいのだから。 「殿下、おめでとうございます」 「ああ……大臣、陛下が城に戻ると城内と城下町の全員に伝えてくれ。この国を守り戦い抜いた勇敢な戦士たちを出迎える準備を……」 「は」 「これが私の名代として最後の命令になるだろう。今まで未熟な私によくついてきてくれた」 アスランが笑顔でそう述べると大臣たちから拍手があがった。為来りより民衆の生活を一番に考えた彼女と衝突することが何度あったか数え切れないほどだが、やはりアスランには民を率いる統率力とカリスマ性があった。オーブ軍の侵攻を防げたのも彼女のおかげであり、彼女の存在が民衆と大臣たちを繋いだ。アスランは拍手に笑顔で応え、感謝の言葉を述べた。 城内と城下町は皇帝帰還の知らせが行き届き、早くも祝いムードに包まれた。数千年にも及ぶ宿敵オーブ帝国との戦争を終結させたという喜びは抑えられるようなものではなかった。 「手柄を立てる舞台がなくなったな、出世頭」 訓練場に寝転がっていたディアッカにアスランがそう告げた。いつもとは違う、だけど見慣れたドレス姿にディアッカは苦笑した。いつ見ても綺麗だと思う。名代になってからは彼女がドレスを着る機会はなくなったが、またこうして見られることができて幸せだ。 しかし折角立てた人生計画をめちゃくちゃにされて面白くはない。やはり人生うまくいかないものらしい。 「また練り直しだな。どうにか皇帝にゴマすってみるって」 「本当にあきれるほどポジティブだな、お前は」 「アスランがネガティブすぎるだけだろ」 お互いの言葉にくすくすと笑う。戦争が終わってディアッカが戦地に向かわずにすんでお互いが生きていて本当によかった。これで全てがうまくいく。身分のことはこれからどうにでもなるし、時間を掛けて皇帝を説得いけばいい。 「俺たちはお前のポジティブと俺のネガティブが合わさって丁度いいのかもな」 ディアッカは彼女の言葉に照れを隠すように自分の頭を掻くと穏やかな笑みを見せた。アスランも顔を綻ばせる。野外訓練場の広い芝生に溶けこむような若草色のドレスが風に揺れた。鎧を纏っていた体はやはりドレスを着る方が相応しい。 「自分がネガティブだって認めたな」 「っ……!茶化すな馬鹿」 ディアッカが意地悪く言えばアスランは顔を真っ赤にして反論しようとする。しかし無意識に口から出た言葉だからどうにも返す言葉はなく、上目遣いで彼を睨み付けた。名代だった時からは想像もできない仕草をするアスランは実年齢より幼く感じる。今まで国を任されてきた反動だろうか。 「結構負けず嫌いだし、割と格好つけたがるし、そのくせ悩むと奈落の底まで行くし」 「……悪かったな」 図星だと言わんばかりに、むすっと下唇を突き出し顔を背けるアスランにディアッカは思わず声をあげて笑ってしまった。今までの彼女からは想像もできない仕草は彼女の弟にそっくりだったからだ。やっぱり兄弟だな、などと面白がっていると案の定拳が飛んでくる。 「そんな殿下を私はお慕いしております」 アスランに跪いて左胸に右手を添えるポーズをとるディアッカ。その動作は“私は生涯あなたに忠誠を誓います”という意味を込めたものだった。動作とは裏腹なわざとらしい言葉遣いのせいでせっかくの忠誠もあまり意味をなしていない。本来なら生真面目で堅苦しい動作のはずなのにお調子者の彼がするとなんだかふざけているようにも見える。しかし彼の瞳はまっすぐにアスランを射ていた。 「私は生涯殿下に忠誠を誓い、一秒でも貴女様より長く生きることはありません」 その言葉にアスランは驚きを隠せない。彼は巫山戯ているのではなく本気でアスランに忠誠を誓うつもりらしい。彼が発した騎士の契約の正式な台詞は戯れで軽々しく口に出せる言葉ではなく、ほとんどの騎士は一度しか口にできない。 この契約を交わせばディアッカはアスランの正式な騎士となるだろう。アスランはディアッカにはシンの正式な騎士となってもらおうと思っていたので少々複雑な気分になる。いずれ皇帝になる身のシンには優秀で頼りになり、信頼を置ける人物になってもらわねば困る。そしてそれが適任なのはディアッカしかいない。 しかし彼の申し出に喜ぶ自分が確実にいて、理性という名の心を掻き乱している。 騎士にとって主君が全てであり、結べば主君が破棄するまで契約は続行する。騎士は主君に背いてはいけない、騎士は主君を敬わなければならない、騎士は主君を生涯守り続けなければならない。もし騎士が主君に反すればどんなに主君が悪くとも騎士が罰せられる。 それは対等といえるものではなく、アスランが望んだ彼との関係とはほど遠かった。彼とは常に同じ視線で同じものを見ていたい。軽い口調でジョークを咬ます彼にアスランは心を寄せていた。 暫く考えてからアスランはそっとディアッカの元に足を差し出す。ディアッカは一瞬目を見開きながらも躊躇することなく地面に手をつき、それに口付けた。主君と騎士の性別がそれぞれ男だろうと女だろうと関係なく契約をする際は騎士が忠誠を誓い、主君の靴に口づけをするという決まりがあった。 アスランは身につけていたネックレスをディアッカにかけてやる。十字架型の金属に宝石が散りばめられた大変珍しいもので、地の王が祀られている神殿に仕える巫女の証しとされるものだった。プラントに広がりつつある砂漠で採れる少量の宝石はあまりに貴重すぎて値段が付けられないのだという。それを散りばめられているネックレスは相当価値のあるものでそれひとつで一生遊んで暮らせるほどのものだった。 国宝ともいえるそのネックレスをアスランが大層大事にしていることをディアッカは知っていた。それは彼女が幼い頃大切にしていた花瓶以上だろう。そんな物をもらっていいのかと困惑するが拒むわけにはいかないので少しだけ顔を上げて謹んで頂戴します、と言う。 ディアッカも腰に付けていた短剣をそっと外して紐を括ると両手でアスランに向けて献上した。その短剣は彼が五騎士に任命されたときに父親から譲り受けたもので、代々エルスマン家の嫡男に受け継がれている大切な物であった。たとえ自分が丸腰の時にもそれを使うことは許されずただ身につけているのみの短剣である。それには古ぼけたエルスマン家の家紋が掘ってあり、彼の家系が長く続く物だと言うことを示していた。 「――…汝に地の王の加護を」 騎士の契約は皇帝の権力が及ばない数少ないもので、これを撤回することは何人にもできない。彼らが未来を共にするためには必要なものだったのだろう、仮に皇帝がアスランからディアッカを引き離そうとしても騎士である彼はアスランから離れることは許されていない。契約にそれも含まれているのだ。 「……堅苦しいのは終わりにするぞ」 「ハイハイ、ご主人様」 終わった途端に普段通りになり、おどけた口調でからかってくる彼をアスランは横目で睨み付けた。殿下の次はご主人様か、と。あまりに唐突な騎士の契約、そして堅苦しい契約の場には相応しくない訓練場。本当に計画性があるのかと疑いたくなる程にディアッカは無計画のようにも見える。 「殿下」 第三者の声で二人の空気ががらりと変わる。恋人から主君と家来の空気へと。アスランは短く返事をすると兵士に視線を向けた。恐らく皇帝がもう到着するという報告であろうがまだまだ気は抜けない。 「は……、陛下がフェブラリウスを通過した、とのことです」 「フェブラリウスか、ならもう到着は間近だな、ご苦労」 「しかしお耳に入れておきたいことがございます」 その言葉にアスランの脳裏に一抹の不安が過ぎった。その気のせいであることを願いながらアスランは兵士の言葉に耳を傾けた。 |