take away


キラ・ヤマトは幼い頃より適当な人間だと言われ続けていた。双子の兄のカガリは彼よりも能力は劣るが、真面目さについては彼よりもずっと秀でている。彼は得意なものは好きで学習するが、不得意なものはそのまま放置する。好きな物を好きなだけする典型的な我儘体質だった。そのため得意教科は満点を取っても不得意教科は赤点ということもしばしば見受けられる。そのあまりに極端な頭脳と派手な異性交遊から教師達からは毛嫌いされており、校内のブラックリストの一番上に名を記されている。

彼は嫌いな授業を理由を付けて抜け出すこともしばしばあった。保健室に逃げ込んだり、早退したりと他の人間から見れば、ただ怠けるようにしか見えていない。しかし今日は珍しく、得意の情報処理の授業をサボっていた。

屋上の白い床に寝そべりながら彼はフェンスの奥を眺める。合成ゴム舗装のグラウンドが囲む芝生のフィールド内ではサッカーをする二、三十人の男子が目に付いた。梅雨が明け、空気がこもる室内運動から太陽の下で思う存分暴れられ、皆が生き生きとしている。キラとは真逆である。

男ばかりを見てもつまらないと空を見上げると、濃い水色の空が広がっている。いつもより雲は少なく、澄んでいた。太陽が丁度左側に見え、キラは眩しさに目を細める。太陽は目に悪いが、浴びるのは好きだった。紫外線は体に悪いことは承知だが、人間は太陽から逃れることは出来ない。

太陽が雲に隠れ、辺りがやや薄暗くなる。キラはゆっくりとその瞳を開けた。開けながら考えるのはアスランのことである。ここ三日、彼女のことばかりがキラを占めていた。他の女性を抱いても、アスランの笑顔がこびり付いて離れようとしない。

名を呼ぶ彼女はそれほどにキラに衝撃を与えた。彼女の不器用な笑顔が何よりキラに時を忘れさせた。あの瞬間、彼女以外何も見えなかった。彼の全てを覆す程に彼女はキラの心に居場所を作ってしまったのだ。だが、答えを出すにはまだ早すぎる。ただ単にこれまでの彼女のギャップに驚いただけなのかもしれない。

キラは起きあがり、校舎棟を眺める。三階が三年の教室だった。彼女のクラスに視線を落とすと、窓際の一番後ろの席に着く藍色を見つけた。端末に映るテキストを眺めてレポート用紙に書き込んでいる。

最近では紙の教科書よりインストールするだけで全教科の教科書を持ち歩ける端末が普及している。紙より嵩張ることもなく、教科書を忘れることもない。アンダーラインを引くことが出来ないことが不便であるが、最新機種ではコピー機能も付いているという。

アスランの斜め前の席にはカガリがいて、必死に問題と戦っている。カガリが苦戦している様子や前方のホワイトボードが数字と記号であることから数学であることが窺えた。シンは確認することが出来なかったが、恐らくその教室の中にはいるのだろう。未来を語る彼の言葉が気になった。選ばないと約束をしたが、正直それを守れるか今はわからなかった。キラは自分自身と葛藤していた。

彼は考えることが苦手だった。どちらかといえば直感で物事を動かすタイプである。どんなに遠目でアスランを眺めても結局はわからない。だから確かめることにした。

そう決心すると、キラはフェンスに手を掛けて立ち上がる。長い前髪を中指で払うと屋上を後にした。




キラの決意など露知らず、アスランは通常通り授業を受けていた。ディスプレイに映る問題を黙々と解いていく。全国トップクラスの学力を持つアスランにとっては数秒も要さない問題だが、授業に出るということに意味があった。これもザラのため。アスランは元から学校で学ぶことは何一つなかった。

アスランが早々に問題を解き終わったのを見計らい、教師が彼女を指名する。アスランが番号を確認すると応用問題である。教師も頭脳明晰な彼女が目に付くのだろう。わざとらしくハイレベルな問題を選んできた。アスランは端末を確認すると前方のホワイトボードへと近づいた。他の生徒は未だディスプレイと睨めっこをしている。

教師を一瞥すると、アスランはペンを持った。そしてキャップをその場に置いた。彼女がマジックを滑らせる音だけが響く。数字と記号の混じった問題の途中式も事細かに書き記すアスランは、嫌味な教師に見せつけるようだった。

粛然とした教室の扉が開き、闖入者が室内へと入ってくる。廊下側の後ろの席に着く数人がそれに気がつき、彼に視線を向けた。そしてクラス全体を立ち、見回していた男性教諭もキラの存在に気がつく。しかし、あまりに自然に彼が歩き回るので呆然と見ているだけだった。

「キラ!何やってるんだ。お前」

騒めく教室内で闖入者にカガリが詰め寄る。キラは彼を見て鼻で笑う。カガリの肩を一度だけ叩くと顎を掴んだ。兄である彼をそっと抱きしめるとカガリが動揺する。いきなり闖入して、同性同士で抱き合うという光景に周囲が訝しむ。キラは視界の隅で寝息を立てているシンを見て冷ら笑う。そしてすぐさまカガリを突き飛ばした。

吹っ飛ぶカガリが尻餅をつき、それをキラが跨いだ。その軽快な足取りが向かう先にいたのは数式を書くことに集中していたアスランである。教室にいる全員がキラに注目し、彼がどういう目的であるかを窺った。

アスランはキラの存在に気がつかないまま長い数式を書き続ける。嫌味な教諭の期待に応えてやらねば可哀相だと、できるだけ細かくホワイトボードに書き込んでいると、視界に何者かの手が現れ、アスランの利き腕を掴む。

いきなりの拘束にアスランは驚きのあまり持っていたマジックを落としてしまう。それは一度跳ねて教室の隅へと転がっていった。アスランは目の前に現れた人物を見つめ、何故彼がここにいて、自分が今掴まれているのか考えた。しかし答えは見つからない。

胸元に光るネックレスと微笑むキラがアスランから考える力を奪っていく。アスランが何か言う前に、ヒステリックな声が響いた。

「ヤマト。いい加減にしろ!授業妨害で停学にするぞ!」

教諭が詰め寄ると、キラは嗤う。アスランは彼の拘束から逃れようと手を引いたが、逆に強く掴まれてしまった。骨に力を入れられ、動けば動くほど痛む。アスランはそれでも平然とした表情を作った。動揺すれば彼の思うつぼである。

「出てきますよ。もう用ないし」

キラはアスランの腕を引いた。アスランの口から小さな声が上がる。彼女が抵抗しようと踏ん張ると、キラが強くそれを引く。外れてしまいそうなほと力を込める彼にアスランが敵うはずもなかった。彼の思惑通り強引に引かれ、アスランがシンに助けを求めようと彼の名を呼ぼうと顔を向けるがが、シンは机に突っ伏したまま眠っていた。

「ザラは置いていけ。おい。ヤマト」

その言葉を無視し、キラはアスランの手を引き、走り出す。戻ってこいと叫ぶ教諭を気にしながら、アスランは彼に手を取られて廊下を仕方なく走った。窓からの光に照らされて時折金色に輝く茶色の髪は左右に揺れ、掴まれた腕は熱を帯びていた。彼が手首に身につけているシルバーのブレスレットが時折アスランの手を掠める。

彼が行き着いたところは駐輪場だった。いくつものバイクが整頓されているそこに連れられ、キラが目的の物を探す。その間も彼がアスランの手を解放されることはない。

「あった、これこれ」

キラが近づいたのはアスランも見覚えのあるカガリのエアバイクである。半年前にバイトをしてやっとのことで購入し、彼が何よりも大切にしていた物だった。カラーリングも拘りがあり、自分でこなすほどの入れ込みようだった。キラはキーホルダーを指に絡ませると何度かまわしてみる。先ほど彼が抱擁した際にカガリの制服のポケットから抜き取ったエアバイクのキーである。

アスランがキラを睨み付け、腕を引く。やはりびくともしなかった。

「モルゲンレーテ社開発、遺伝子キーは登録された本人以外がロックを解除できないようにプログラムされている。その確実性はほぼ百パーセント。遺伝子キーに登録者でない物が解除を臨んだ場合、セキュリティが作動して管理会社に連絡が行く。やめておいた方がいいと思うぞ」
「それは赤の他人の場合でしょ?双子や兄弟の場合は遺伝子の配列上解除できる場合がある。僕はそれを実証済みだ」

キラはキーに触れた。すぐにロック解除の電子音声が響く。アスランは舌打ちをした。脅せば止めると思っていたが、彼の方が一枚上手だった。

「じゃあ行こう」
「俺は結構。授業がある」

戻ろうとするアスランをキラが抱き上げる。簡単に抱き上げられてアスランは驚く暇もなくエアバイの後部座席へと座らされた。座り慣れた場所だったが、キラがいるのでは全く違う乗り物のように感じる。モルゲンレーテ社のアンケートに双子や兄弟にもロックが解除できないようにしてほしいと書こうとアスランは思った。

「俺が今いるべきなのはここではなく、教室だ」
「もう勉強することなんてないのに?」
「座っている事実が必要なだけだ」
「そんなのくだらないよ。僕と一緒に良いところに行った方が絶対楽しい」

今まで会話が全く成立していなかった間柄とは思えないほどリズミカルな会話だった。頑固なアスランと強引なキラの攻防戦は一分間の口論の末、男の力で抑えつけたキラの勝利に終わる。アスランは納得できずに口を尖らせた。

「免許……持ってるんだろうな」
「まあね。カガリが持っていて僕が持っていないはずないでしょ?」

バイクのエンジンが掛かるとキラはハンドルを握り、アスランの腕を腰に回した。その衝動で体が前のめりとなる。アスランはその腕を腰から離そうとすると、直後エアバイクが発進した。その衝撃で彼女は無意識にキラの腰へとしがみつく。カガリの運転とは違う荒々しい動作にアスランは小さな息を吐いた。




23.Bargaining of love