Savior


「ちょっと待ってください!」

彼女の考えを打ち消すような声が閑静な住宅街に響く。車に乗り込もうとしていたパトリックと、父が早くその場からいなくなることを望み、俯いていたアスランが同時に声の発せられた方向を見る。

叫んだ人物は、キラ・ヤマトだった。

車に乗り込もうとしていたパトリックがキラを睨み付ける。先ほどよりずっと鋭い目付きだったが、キラは臆していない。何が言いたいんだと低い声で告げられ、キラは彼に負けじと睨み返した。

「どうして彼女の言い分を聞いてあげないんですか」

他人の何も事情を知らないキラから見ても、彼の行動は間違っているとわかる。せめて理由だけでも聞くならともかく、結果だけで彼女を判断することが許せなかった。アスランとて初めからシンを受け入れていたわけではない。彼女がずっとシンに頑なだったのは、恐らく父の存在があったからだろう。彼と世間の目が常に彼女について回り、彼女はアンドロイドのような性格になってしまった。それが容易に想像できる。

見覚えのないキラにパトリックが近づいてくる。キラは動かなかった。

「久しぶりにあった娘に第一声に怒鳴ったり、挨拶を無視したり、理由を聞かず殴ったり……あなたは最低です」

珍しく、キラの声が震えた。付き合っている女性の旦那に情事を見られたた時以来だった。しかし、キラは自分に非があるとは思わなかった。

政治家としては一流の人間かもしれない。しかし父親として、人間としては最低に思えた。横目でアスランを見やると彼女は頬に手を当てたまま唇を噛みしめていた。我慢するアスランは何か言い返したそうで、しかし必死に口を噤んでいた。キラはパトリックが許せなかった。

それ以上の父親の侮辱は止めろと言う気持ちを込めてアスランがキラの腕を引いた。初めての彼女からの接触だったが、興奮しているキラはそれすら気がつかないまま、パトリックを凝視する。パトリックの表情は見れば見るほど皺が深くなっていく。

口答えをするならば他人であるキラのことも躊躇せず殴りそうなほどにパトリックは怒りを露わにさせていた。黙っていてもそれがひしひしと感じられる。

「アスランはあなたの道具じゃありません。ひとりの人間としてちゃんと意見も持っています。全てがあなたの思い通りになんかなるわけがない」
「貴様!」

一気に足を速めるパトリックが鬼の形相でキラへと詰め寄る。キラの隣で事の次第を見ていたシンが肩を竦めた。しかしキラはそれでも動かない。ここで動いたら彼は負けてしまう気がしていた。

「これは私の娘だ。他人の君にどうこういわれる筋合いはない」

殴りかかりそうな勢いのパトリックに良家の典型的のような台詞を吐く。いつものような厳しくも静かな雰囲気の大臣はそこにはおらず、声を荒げて怒鳴り散らす中年がそこにいた。彼に従うスーツ姿の男性がキラとパトリックを交互に見て、取り乱している。外の異変に気がついた車の運転手も窓を開けて様子を窺っていた。

「……他人じゃありません」

再び背を向けてその場を去ろうとするパトリックが聞き捨てならないと振り向く。シンがキラを抑えつけて止めようとするが、キラはそれを振り解き、パトリックに詰め寄った。その勢いに驚いたパトリックが顎を上げる。

「僕はアスランの夫です」

意志よりも先に口走った言葉にキラが気がついたのはパトリックのあっけらかんとした様子と、もう一度抑えつけようと触れたシンの手が離れた瞬間だった。彼は自分の発言を思い出し、パトリックを見ると声にならない声を発している。そして急いで横目でアスランを見ると、口元に手を当てて魂消ている。引き下がれなくなったキラは、後先考えずにアスランとシンを引き寄せ、肩を抱いた。

驚きのあまりふたりとも抵抗をすることすら忘れていた。キラの手の中にシンとアスランが収まってしまう。

「こっちは未来から来た息子です。僕たちは家族です。アスランと僕は結ばれる運命にあります」

アスランが額に手を当てて呆れ返っている。シンは引きつった表情を浮かべていた。何の予備知識も無しにそんなことを言われても理解も納得も出来ないのが当たり前である。パトリックのような型に填ろうとする人間には到底出来ない話だった

「アスラン、こんな男と付き合っているとお前まで馬鹿になるぞ!」

絶叫しながらパトリックがアスランの腕を引き、キラから離れさせようとする。アスランはされるがままとなり、大人しく父親の言うとおりにする。その際に一度キラを振り返り、何かを言いたそうに口を開けたが、すぐに口を噤んでしまった。キラはそれを見て息を吐く。

「お義父さん。仲良くしましょうよ。僕ら長い付き合いになるんです」

何ならお背中でも流しましょうかとキラは笑顔を向けた。人を怒らせるのは彼の得意技である。その間にパトリックの肩を叩き、さり気なくアスランを奪い返し、先ほどよりしっかりと彼女掴んだ。また娘を奪い返そうとパトリックが手を伸ばすが、キラはかわし、それを阻止した。

「娘に近づくなら私の弁護士に法的処置を執らせるぞ!」

子供にペースを崩されたパトリックが形振り構わずに地団駄を踏む。彼自身感情がコントロールできずに怒りだけが増幅していた。キラが含み笑いをし、挑発するとパトリックは更に顔を真っ赤にしてキラの胸座を掴む。だらしなく第三ボタンまで開けたキラの皺くちゃのブラウスが吊られた。彼の筋肉の付いた腹部が晒される。

「そんなことすると、お義父さんの大事な大事なザラの名に傷が付いちゃいますよ。スキャンダルとかまずいんじゃないんですか?」

何度もわざとらしくお義父さんと呼ぶキラは笑顔を向ける。勿論作り笑顔だが、それでもパトリックの怒りを買うには十分だった。血管が浮き出る程に怒りを露わにした大臣は拳を握りしめた。しかし、暴力を振るえば来年に控えた選挙で不利になるのは目に見えている。それ以前に公人として手を出すわけにはいかなかった。

「アスラン!」

怒鳴り声が今までで最高になり、アスランの肩が跳ねた。キラが彼女を守るために遮ると、パトリックは彼を勢いよく突き飛ばした。キラはその場に尻餅をつき、痛みに眉を顰めた。わざとらしく転んだことが割れると、パトリックは戦慄く。

「ザラ大臣!お時間が……」

怒りが頂点に達し、今度は本気で殴ろうと振り上げた拳は運転手の一声で止まった。舌打ちをすると腕を戻し、乱れた服装を正す。一番乱れていた髪を内ポケットにあるコームで軽く直すとパトリックはキラを見下した。怒りがまだ残っているが、彼はもうキラの敵ではない。

「君、名前は?」

パトリックは型破りで不躾な青年を睨み付け、尋ねた。アスランが心配そうに父親を見ている。キラはズボンに付いた埃を軽く払うと立ち上がり、襟を直しながら自分の名を名乗る。

「……覚えておこう。キラ・ヤマト」

キラは彼に微笑む。恐らく彼はこの名を胸に刻み込めるだろう。憎しみを込められた視線はどこか晴れ晴れとする。彼のように明らかな敵意は気持ちいい。それはシンにも言えることだった。血が繋がっているだけあって、パトリックとシンはよく似ているとキラは心の中で笑う。

彼らはパトリックを無言で見送った。何度も後ろを振り返りながら威嚇する彼だったが、アスランは俯くばかりで父親を直視しようとはしなかった。シンは記憶の中の祖父とのあまりの違いに驚き、キラだけが手を振ってパトリックを見送った。それがパトリックのカンに障るのがわかっていてわざと。

パトリックが完全に見えなくなるまでの間、誰一人として口を開くものはいなかった。



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