absolute existence

キラとシンそしてアスランがザラ家の屋敷に到着した時には既に太陽が沈みかけていた。閑静な住宅街は人通りも車通りも少ない。かといって寂れた空気は全くなく、落ち着いた雰囲気だった。大きい塀と広大な敷地が軒並みを連ねている。

一般家庭で育ったキラは居心地の悪さを感じていた。ラクスの家も金持ちで、豪邸に住んでいるが、庭から門から柔らかい印象である。どこか公園を思い浮かばせる彼女の家がキラは好きだった。

比較するのは何だが、アスランの家はまるで脱走囚人が最後の最後に収容される刑務所のよう。黒い壁と厳しいセキュリティ。全てに完璧さを求めて人間味が見当たらなかった。

キラは彼女とラクスを変なところで比べている自分に苦笑した。それに、アスランのことを考えても意味がないのだ。彼はシンの心を聞き、彼に協力することを決めた。腐っても男だ。二言はない。

例えラクスに対する気持ちが恋愛でなくとも、キラはラクスを必要としている。それでいい。

「エアカー?」

呟くシンの言葉にキラがザラ邸へと視線を向けるとブラックのエアカーが停まっていた。国産車だが、高級なことで有名なそれは最近発売されたばかりの新しいタイプだった。金銭的に余裕のある人間はより高級なエアカーを乗ることがステータスだ。ザラ邸の前に停まっているエアカーの持ち主は相当金持ちであることが窺えた。

ちなみにヤマト家は旧式のエアカーだった。目に映るエアカーの値段は何分の一にも満たない安物である。しかし世の中にはエアカーすら購入できない世帯もある。格差社会が広がっていた。この国の抱える問題の一つである。

腕の中から微かに聞こえた声にキラはアスランを見下ろした。シンの声が耳に届いたらしい。目を細めて通路の反対側に停車しているエアカーに目を向けている。頬は学校のメインゲートの時より色を忘れてはいるが、ほんのりと色付いている。キラはそんな彼女を見て諦めるのが少し勿体ない気分になった。

そんなことを考えていると、アスランは突如キラの腕の中から飛び出した。キラは驚き、腕を掴もうとするが、車の中から人が出てきて、その手を止める。国の大臣であることを示す特徴的なスーツを身に纏った男性は襟元を直し、周囲を見渡す。まず、アスランに視線を送り、その後キラ達に気がつき、顔を向ける。

「おじいちゃん……」

小声で呟くシンにキラが反応する。男性はサングラスをしているため、表情が窺えないが、口元は真一文字に結ばれている。皺の入った口元だけで厳格な印象がある。彼はゆっくりとサングラスを外した。キラがディスプレイ越しに毎日のように見ている顔がそこにあった。次期国のトップになるだろう人間のひとり。パトリック・ザラ。アスラン・ザラの父親だった。

「お久しぶりです。父上」

アスランが頭を下げる。その姿は上司に向けているような印象を受け、キラは違和感を覚えた。しかしパトリックはそれには全く反応せずに彼女の後ろに立っているシンとキラを再び見る。サングラス越しで視線を合わせるよりも、鋭い瞳で睨み付けられるように見られた方が威圧を感じてしまう。品定めをされているようで不快感を覚えた。睨み付ける冷たく鋭い瞳はアスランとそっくりだ。特にキラの崩れた服装を見て明らかに不快な表情を浮かべる。キラはそれに気がついたが別段直そうとはしなかった。

「報告は受けている。男を連れ込んでいるそうだな」

視線をアスランに向けたパトリックは挨拶も無しに彼女に問いつめる。アスランは黙った。彼女は嘘が嫌いだった。ここで否定をすればそれは嘘になる。シンを居候させていることは真実だ。連れ込んでいるという表現に気づかれない程度に眉を寄せる。

「誰がそんなことを許した」

二人の間に緊張走る。それをキラは感じ取り、口をきつく閉じた。彼女がシンを家に住まわせていることを告げてないことに驚いたが、この様子では話したとしても頭ごなしに断られることが見えている。

両家の娘が親の不在時に男を連れていればそれは父親としては憤慨するのが当然だろう。キラやシンが口出す問題ではなかった。

「ですが!」

自分なりの意見を言おうと声を発するアスランを、パトリックは眉を寄せて威嚇する。キラとシンは嫌な予感がした。その予感は次の瞬間的中することとなる。パトリックは直後、手を振り上げて勢いよく彼女の頬を叩いた。

「口答えをするな!ザラ家の恥が!」

乾いた音と興奮したパトリックの声が静かな住宅街に響く。キラの目の前で藍色が散る。アスランは蹌踉けたが、自分の足で体勢を持ち直すと、頬に手を当てて俯く。キラの見た限り女性に向けて放つ力ではなかった。

「お前は私の言うとおりにしていれば正しいんだ。無駄なことを考えるな」
「わかっています」

理不尽な言葉にキラは彼に抱いていた驚きと不快という負の感情が徐々に嫌悪感へと変わっていった。画面の中の彼は厳しいながらも正論で、国を引っ張るカリスマ性は多くの人間に支持されている。キラも彼のことはこの瞬間までそう思っていた。しかし、今は違う。キラは拳を握り、怒りに耐えていく。

彼の前では人形のようなアスランに心から同情した。

「申し訳……ありませんでした」

アスランはゆっくりと頭を下げた。その姿はこれまで見た彼女の中で一番痛々しい。いつものプライドが高く、冷徹な彼女はそこにはいなかった。いるのは父親の権力と都合に振り回される少女だ。それでもそこに表情はない。いつもならばそれが冷たいと感じさせるが、今はまるで人形のように思えてしまう。

アスランの声ははっきりとしていたが、弱々しく思わせるものだった。上司から激しい叱咤を受ける部下のよう。そこには信頼はない。当然のことだと言わんばかりに謝罪の言葉をパトリックは無視し、背を向けた。広い背中がアスランの視界を占めていく。

アスランは彼が早く通り過ぎることを願った。我慢をすれば彼は去る。いつものことだった。彼の言葉はいつでも正論。言うことを聞いておけば必ず後々はそれで良かったのだと思う日が来るのだと教えられ、育ってきた。だから父親の言うとおりに生きてきた。

理不尽だと思うのは、自分の心が汚れているせいだ。父親が正しい。彼こそが正義で、彼に異を唱えることがアスランにとっての悪だった。

足音が遠くへ去り、アスランも門の中へと入ろうとする。ザラのために生きることはアスランの使命だった。ザラの名に恥じぬように生活をすることはパトリックに育ててもらっている以上義務であり、逆らうことは許されない。

アスランが何か問題を起こせば父とザラの名に傷が付く。彼女個人の考えなど持っても意味がなかった。だから感情を殺すよう生きていた。言っても何も変わらない。ならば言わない方がいい。全てを諦めていた。

アスランにとって、パトリックという存在は絶対的なのだ。彼の人形となってはじめて存在を許される。余計な感情はいらなかった。



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