1VS1 |
彼をフルネームで呼ぶ人間は一人しかいない。大抵の人間は親しみを込めて、また双子であるカガリと間違えないように彼のファーストネームで呼ぶことが多い。そしてアスラン・ザラには名前すら呼ばれたことがなかった。そのため、背中にフルネームを投げつけられてもキラはその人物がわかってしまう。 腕の中に収まるアスランの頭が無意識に彼の声に反応していた。キラは別段振り返ることもなく、速度を落とすわけでもなく、歩き続けた。 「やあ息子。調子はどう?」 「おかげさまで」 嫌味を込めてシンが言っても、キラは顔色を変えなかった。彼の腕の中のアスランの唇を見やった。いつもより潤っているそれはシンが誰よりも嫌うキラとした口付けが原因だった。彼はシンが苦しんだのを見かねて彼女に口付けをした。その結果、今アスランは彼に抱かれている。今まで接触という接触はほとんどなかったというのに、急展開だった。引き起こしたのは他ならぬ自分で、シンは自責の念に駆られた。自分は彼らが結ばれないようにすることが目的だというのに、これでは逆効果だった。 ――温かかった 自分の胸に手を当て、その手をゆっくりと握りしめた。彼らが深い口付けをしている間中ずっとシンは温かい何かに包まれているような感覚だった。熱いのに心地よくて目頭が熱くなった。 その心地よさに永遠にそこにいたい気分になった。だから阻止しようと伸ばした手を彼は止めてしまった。あの時本当の意味でシンはキラとアスランが両親であることを知ったのだ。 しかし、アスランに抱く異性的な思いはキラへの嫉妬を生んだ。どんなに頑張ってもシンはアスランとは結ばれない。彼女は母親で、自分は息子。彼の流れる血が抱く感情を許さなかった。そのため彼女と血の繋がらないキラとカガリが羨ましく、それを妬む。カガリとキラと間接的にキスをしたのだと考えると吐き気を覚えた。 「それは残念。でも、この間より大分悪くなってるよね」 ストレートな嫌味にシンは不快になる。彼の言葉にいちいち反応してしまう自分に苛ついてしまう。キラが横目で眺めた。何もかもを知っているような紫色の瞳が彼を映す。鼻に掛かった直毛の長い前髪が印象的だった。シンは気づかれていることに対して弾けるようにして彼を見つめる。 黙りこくっていると、キラが口を開いた。年齢的にはそれほど変わらないというのに、シンは年齢よりも幼くキラは年齢よりも大人びて見える。シンはどこを取っても敵わない父親にコンプレックスを抱きはじめていた。 「僕が気がついていないとでも?」 変に父親みたいな台詞を吐く彼をシンは睨み付ける。そうすることで現実を否定したかった。しかしそんなこと出来るはずもない。ふと視界に入ったキラの腕の中にいるアスランはすっかり瞳を閉じていた。 「……俺は時代に逆らって、未来の事実に逆らって行動してる。その代償は俺の存在」 「彼女、そんなに不幸になるわけ?」 「俺も、本当はよく知らない。ただ、母さんは俺が生まれた直後から狂ったようにタイムマシンの研究を始めた。父親のことを一度聞いたら、すごく悲しそうな顔をしていた」 ――あの時……泣いてた。 もう来ることはない未来だ。彼に何を言おうと大して変化はないだろう。彼女との未来に待っている事実を口にすれば彼も諦めてくれるはずとシンは信じていた。 「アンタの兄貴が母さんに求婚して、俺はそれを機に母さんに反抗して……俺言ったんだよ『俺を生んだことを後悔してるんだろ』って。俺はそんなことないって言って欲しかった……でも!」 何も言ってくれなかった。ただ驚いた顔をし、直後視線を足に移すアスランにシンは衝撃を受けた。彼女は後悔していたのだ。シンを身籠もったことも、生んだことも。放任主義だったが、優しい母親だったからシンは奈落の底に落とされたような気分になった。 「未来の僕って……どこで何してるの?」 「知らない。誰も教えてくれない」 幼い頃から父親はいなかった。調べた結果、名前だけを知ることが出来た。シンはそれを問いつめることもできずに単独で過去に飛んだ。目的は自分の誕生を阻止すること。アスランを説得してキラに近づかないようにするか、キラを殺すか。どちらかを考えていた。そして心のどこかで自分の父親を知りたいとも思っていたのだ。 シンは時を超えた瞬間を思い出した。最後に見た母は涙を流しながら手摺から身を乗り出し叫んでいた。その雫だけが過去に飛んでもシンの頬に残り、胸を締め付けたのを今もよく覚えている。彼女にはシンしかいなかった。だというのに、シンは何も気がつかなかった。 「安心していいよ。僕はその未来を選ばないから」 いつもより暗いトーンでキラが言った。望んでいた答えを得たはずなのに、シンはどこかに落とされるような気分になった。 「僕がアスランにこだわるのはアスランのことが好きだからじゃない。カガリの悔しがる顔を見たいから」 シンに向けたキラの表情は今まで見たどの表情よりも影を帯びていた。憎しみの込められた言葉にシンは不審に思う。彼が何故そこまでカガリを嫌うのか、理由が見つからなかった。 「小さい頃からそう。彼が欲しがる物や持ってる物を僕は欲しくなる。手に入れてカガリを苦しめる。それが僕の幸福。だから彼女を手に入れたいだけ」 「俺、アンタと同じくらいアイツも嫌いだけど、何でそこまでするんだよ」 「知らない。僕の方が何もかも勝ってるのに、アイツが目障り。殺してやりたい」 キラの無表情は不気味だった。憎いと口にしながらも感情を読み取れるものがない。いつも浮かべる笑顔はなかった。キラは意識のないアスランを静かに見つめる。彼も彼女と同じく物を見るような目だった。 「妊娠させたらカガリがどんな顔するんだろうとか思っちゃったんだろうな、僕。それで怖くなって逃げ出したのか」 独り言を呟くキラを見てシンは怒りを覚える。彼のその思いつきでアスランは身籠もり、愛のない子供が生まれたのだろう。自分の存在が当てつけ目的だと思うと、益々消えてなくなりたくなる。同時に、数式ばかりの白い研究室とその中で狂ったように数式を並べる母親が脳裏に浮かんだ。 「いきなり出来たって言われたら、困るよね。僕なら堕ろしてほしいし」 君も男だしわかるよねと同意を求められ、シンは父親を睨み付ける。彼ら兄弟の確執に巻き込まれたアスランとシンは溜ったものではない。ならば益々カガリとアスランが結ばれることは反対だった。 「アンタ本当に最低だな」 「そんなの、僕が一番知ってるよ」 キラは自嘲する。それは彼自身が一番わかっている。カガリの悔しい顔を見るために何人もの女性を傷つけてきた。カガリは確かに悔しそうな顔を見せるが、キラが満たされることはない。何人奪っても、彼はカガリを憎んでいた。幼い頃からずっと。 シンとキラの初めての長い会話はそこで途切れ、アスランの自宅のある豪邸までは二人とも無言で歩いた。 途中でアスランが意識を半分戻したが、気にしないようにして支え続ける。シンの未来の話を少し聞いただけだというのに、キラには段々とアスランから手を引こうという考えが浮かんでいた。キラがどんなに気をつけても彼女を妊娠させてしまう可能性はある。そしてそれを彼女一人に押しつけて逃げた結果は考えるだけでも恐怖心を与える。彼女を手に入れてラクスと繋ぎ止めたとしても、それは果たして意味があることなのだろうか。カガリの悔しい顔をあと何度見たら自分は気が済むのだろうか。キラの中で答えは出なかった。 彼の覚悟と意志は本物だ。もしこのままキラとアスランが交差しなければ彼は消滅してしまうかもしれない。そうすれば彼女にはどんな未来が待っているのだろうか。きっとキラと交わるよりも明るい未来が開けているに決まっている。彼女は頭も良く、家柄も良く、美人だ。キラの気まぐれに付き合わせて犠牲になることはない。 女が嫌いなキラだが、シンの真剣な言葉に心を打たれていた。ラクスにきちんと気持ちを伝えればきっと彼女はわかってくれる。そう信じることにした。 |
19.absolute existence→ |