「茶化してなんかないよ、嬉しいって言ってるの」 そう言い、キラがまっすぐに見つめてくる。キスがしたいというときの彼の癖だった。いつもは柔らかい瞳が小さな欲を孕む。それを理解しているのは恐らくアスランのみだ。コペルニクスにいた頃には理解できなかったその視線だが、今では応えることが出来る。アスランも同じ気持ちだった。 彼自身その癖に気がついてはいない。だからアスランは瞳を閉じて首を傾ける。ごく自然に重なった唇は、いつもとは少し違った味に感じられた。負けたような気がして少し悔しかったが、恋愛に勝ち負けはないのだ。それに元々アスランはキラには甘い。それだけは今も昔も変わらない。 いつもより少し長めの口付けに火が点く前に、アスランは静かに唇を離す。離れた熱にキラがもの惜しそうな表情を浮かべていたが、彼も気持ちを理解しているようでそれで身を引いた。 「実はさ、ラクスに貰ったってチョコあるでしょう?」 アスランの体を強く抱きしめるキラが口を開いた。いきなりの話題の転換にアスランは眉を寄せる。渋る言い方をするキラから聞くことは昔からろくなことはなかった。 キラは誤魔化すように訝しむアスランの髪を耳にかけてそこを指で触る。耳を触るのは彼の癖だった。男の硬い体の数少ない柔らかい場所である。 「毎年もらってるあれか?」 孤児院にいるときからラクスはチョコレートを作っていた。ラッピングも手が込んでいて、可愛らしいものはアスランの記憶にある。血のバレンタイン当時のアスランを知る数少ない人間であり、その事件に関しては彼女が一番の理解者だった。だからアスランの気持ちを汲んで、彼女は毎年キラにだけにチョコレートを贈っている。 「あれ……実は君宛だったりするんだよね。僕の手作りチョコ」 「は?え……だってお前っ」 衝撃発言にアスランが声をあげた。身構えていたはずだったが、方向の違う驚きが彼を襲ったためである。 ラッピングの完璧なそれを破り、頬張る姿が記憶にある彼にとってそれは驚き以外のなにものでもない。アスランがいる前でことそのチョコの感想を述べられるのだ。誰も自分で作って自分で感想を言っているなどと思わないだろう。 可愛らしく几帳面さが伝わる包装は大雑把な恋人には結びつかなかった。 「今年は貰ってくれると嬉しいんだけど……駄目?」 キラは鞄から頭を出す箱を指さした。赤と緑のチェック柄に白いリボンが付いている。既製品のように包装は完璧に見える。よく考えればラクス好みの柄ではなかった。彼女ならばパステルカラーを使うに違いない。 恐らく、キラは彼女に口裏を合わせるように頼んだのだろう。それとも、ラクスが恋人であるキラからバレンタインのトラウマを和らげるようにとチョコレート作りを提案されたとも考えられる。 自分たちを玩具にして観察する悪趣味なところばかりが目立つが、ラクスが一番の理解者だった。アスランは、元婚約者である彼女に全てが筒抜けであることを想像し、恥ずかしくなる。 「……ダメなわけないだろう」 甘い声で強請る恋人に“NO"と言えるはずがなかった。アスランは昔からこの上目遣いに弱いのだ。それに、いくらバレンタインを静かに過ごしたいとはいえ、毎年自分のためにチョコレートを作ってくれていたのに渡せなかったという恋人を邪険には扱えなかった。 普段は我儘なくせに、妙なところで健気となる。そんな彼のギャップも魅力のひとつだろう。 「よかった。ちゃんと君用に甘さ控えめだから」 心底安堵した表情を浮かべたキラはまるで片想いの少女のようだった。女顔で可愛いとは思うが、いつもはそんな表情を見ることができない。もし彼が女性だったなら、アスランは二十四時間振り回されるのは目に見えている。 しかし、キラが男だろうが女だろうが、きっと好きになっていたに違いない。 アスランが妄想をしている間に、キラは鞄からチョコレートを取りだした。正方形の箱をそっと差し出すと、期待を孕んだ瞳とぶつかる。彼にしっぽがあったのなら、左右に激しく振られていることだろう。 「家事もほとんどしないお前が手作りか」 「味は良いよ。なにせ毎年自分で食べてるからね」 「馬鹿……」 自虐するキラに申し訳がないという気持ちをどうにか抑える。キラを見やれば気にしていないという表情を浮かべている。 毎年渡せなかったチョコを自分の目の前でおいしそうに食べるのは、どんなに辛かっただろうか。アスランにはそれがどれほどなのか、知ることはできない。どんなに近くにいようが、彼にはなれないのだ。 それを平気なことだと笑える彼は強い。 「ありがとう」 部屋にいるのはキラとアスランの二人だけだというのに、耳元で囁くようにして感謝の言葉を述べた。それを左手に受け取り、キラの右手を握る。 アスランは感謝の意を込めて、彼にキスを贈った。触れるだけでアスランはその場で箱を開ける。キラがするように破くのではなく、セロハンテープを丁寧に剥がし、包装紙も畳む。几帳面さが性格に出てしまう。 自分の性格から、リボンですら大切に持っておくだろう。本当は食べてしまうことすら勿体なかった。 箱を開けると、白と茶色の二色のトリュフが三つずつアスランを迎えた。包装とは違い、チョコレートは素人間の溢れるできとなっている。少し凹凸のあるそれがキラらしくて、アスランは嬉しくなった。 それを一つ摘んで口に入れる。甘みの後に大げさではない苦みがやってくる。確かに自分好みの味となっている。幼馴染みで親友で恋人の舌は流石と言うべきか。ここまでアスランの舌を理解しているのは彼くらいだろう。 ここまで知れていると少し悔しい気もする。勿論、アスランもキラの舌を知り尽くしている。だが、アスランが食べたら胸やけしそうだった。 「どう?おいしい?」 「おいしいよ。ありがとう」 瞬きもほとんどせずに始終見つめていたキラが唾を飲み込んだ。アスランは先ほどとは違う色のトリュフを取り、口に入れる。アスランの言葉が不服なのか、キラが顔を覗きこんでくる。 アスランはその威圧感に思わず後退りをした。何が不満なのかがわからない。下唇を突き出した表情のキラは少し幼く見える。 「わかってる?本命チョコなんだからね」 腰に手を当てて不機嫌そうに口を尖らせるキラ。幼い頃からずっとそうだが、女性よりもずっと扱いが難しい。恋人になってからの方がそれを実感することが多くなった。我儘を言い放題言えるのはアスランだけだからだ。 やっと言葉が足りなかったことに気がつき、アスランは苦笑した。普段物を貰い慣れていないせいか、こういったときどう反応して良いのかわからない。キラの期待する言葉を想像したが、中々浮かんでは来ない。喜ばせようとすればするほど、空回りする気がして仕方がなかった。 「わかってるよ。ホワイトデーは期待してくれ」 大きなことを言って、後で後悔するのは目に見えていた。少し見栄っ張りな部分があることは自分でもわかっている。自分の誕生日ですら忘れてしまうほど無頓着なため、一ヶ月後を覚えているかも怪しかった。 しかし、貰った以上お返しをするのがバレンタインデーとホワイトデーの決まりだ。アスランは貰いっぱなしには抵抗があるため、その制度が有り難い。 バレンタインは甘く楽しく過ごすのには気が引けるが、ホワイトデーはキラのために使うことができる。気は引けるが、一緒に控えめな白のハートの路を歩くのもいいかもしれない。バレンタインほど恋人で溢れかえっていないはずだ。 今から考えないと間に合わなそうだと思う。トリュフ六個と今まで彼が自分で食べたアスラン宛のチョコ。それに釣り合うものがあるのか、きっと一ヶ月後も悩んでいることだろう。しかし、彼のために悩むのはいつものことだった。 「一ヶ月後までとは言わなくて、今すぐ返して貰っても良いんだよ?」 「不謹慎だ……!」 腰に手を回すキラにアスランが叫んだ。チョコレートはいいとしてもそういったことをするのは気が引ける。女の子のようだとときめいていた自分が馬鹿らしくなってしまう。やはり、キラは男だった。どんなに仕草が愛くるしくても、顔が女顔でも。 完全には拒否できないアスランを見て、キラはばつが悪そうな顔を浮かべる。そんな顔をしてもダメだとアスランは人差し指で鼻を突いた。昔はキラの不満そうな表情ひとつで振り回されていたが、今では抗体が出来ている。ちょっとやそっとの嘘泣きでもぐらつかない。 面白くないとキラが頬を膨らませる。だが、恐らく彼も多くとも半分は冗談なのだろう、アスランはそんな気がしてならなかった。 「冗談だよ、馬鹿正直だな」 少し残念そうな顔をして、キラがアスランの手を取り、トリュフの付いた指を見てそれを舐め取る。彼には苦みが強すぎるようで、キラは強く目を瞑った。言っていることとやっていることが全く違う恋人の耳を自由な手で軽く引っ張ると、キラが声をあげて笑う。 寄り添っていると、先ほどまで口喧嘩をしていたことが嘘のようだった。 「キラさえよかったら、来年からは一緒に……母の墓参りに行って欲しい……」 「……言うのが遅いよ。いつもいつも」 待っていたと言わんばかりのキラの抱擁。『YES』というキラの答えにアスランの顔が綻んでいく。これからのバレンタインはきっと、一人で殻に籠もるのではなく、隣にキラがいてくれる。 甘すぎるだけのバレンタインより、少し苦いくらいが丁度いいのかも知れない。その代わりホワイトデーは気持ち悪い程の甘さにしてやろう。甘党の彼がもう二度と甘いものなんて嫌だと叫ぶくらいに。そんなキラが想像できず、アスランは小さく笑う。 空になった箱をきっと何年経っても持っているのだろう。それがこれから増えていくことが容易に想像できてアスランは心が弾んだ。これからのバレンタインはずっと彼が隣にいてチョコレートを渡してくれる。そしてそれを食べながら静かに過ごせばいい。それはとてつもなく幸せな気がしてならなかった。 彼はもうひとつ、歪な形のトリュフを口に入れる。癖になりそうな苦みが、やはりアスラン好みだった。 END |